第十九話 愛しの旦那様奪還作戦①
『アヤメ。お前は本当に可愛いな』
蛙国での祝言の時のように素敵なお召し物に身を包み、旦那様が私を引き寄せる。優しい腕。逞しい身体。深く沁みる声。安心する温もり。こんなにそばにいたら、どうしても衝動を抑えられない。
『……あの、旦那様。キスをしてもいいですか』
『ははは、お前は欲しがりだな』
『……だって』
『いいよ。目を閉じて』
旦那様は私の
ちゅううう~~~
きゃああ、唇が巨大なブラックホールに吸い込まれて行くわ。
誰か、助けて! 助けて、旦那様―――――っ
「……姫さま。……姫さまっ! しっかりして下さい!」
幸せな夢が一転して恐怖に襲われた時、身体を乱暴に揺さぶる衝撃にアヤメは目を覚ました。目の前にばあやのドアップがある。落ち窪んだ目。皺だらけの頬。土気色の顔。氷の塊が載ったざんばらな髪。
「きゃあっ」
「……きゃあとは何ですか、きゃあとは!」
恐ろしい夢の余韻と相まって思わず悲鳴を上げてしまったアヤメをばあやは不服顔でじろりと見る。
「あ、……あら、ばあや」
ドキドキとせわしない心臓をなだめながら引き攣った笑みを貼り付けた。
老女の妖怪、
「あらじゃございませんよ、姫さま。大変です! 出たんですよ、妖怪が!」
「え……」
やっぱり、とまじまじばあやを見つめると、
「……なんで私を見るんですか」
ばあやがじっとりとした半目で見返してきた。
……あら?
気を取り直して状況を検証してみる。
アヤメとばあやは雪と氷ばかりが広がる大地にぽつねんと取り残されていた。
吹雪は止んで、陽も差しているが、見渡す限り銀世界で、昨夜泊まったはずの旅館も寒帯国の街も見当たらない。
ばあや曰く、全ては妖怪雪女の仕業だという。
ばあやが夜中に目を覚ますと、雪女たちがシュラフで眠りに就いている旅館の客人たちを次々と凍らせ、氷の
その中には、アヤメの花婿ガマニエルもトカゲ族長マーカスも、金と銀の王子もガラコスとルキアも含まれていた。連れ去られたのは全員男性であったという。
ばあや、アヤメをはじめ、雪見酒を楽しんでいた姉姫たちも、女性は皆、氷漬けのまま地面に転がされ置き去りにされた。ばあやは去り行く雪女たちに目いっぱいの文句を浴びせかけ、必死で氷の中から出ようともがいたが、雪女たちは鼻で笑って去っていったのだという。
「おばちゃん、そんなに怒ってどうしたの?」
「年寄りの冷や水」「さようなら、また会う日まで」
ばあやはぐぬぬと唇を噛みしめた。
「あやつら、絶対に許せませぬ」
年寄扱いされたことが相当頭に来たらしい。
陽が昇り、氷が溶けて、中に閉じ込められていた人々が徐々に目を覚まし、今に至る。というのがばあやの話の全貌だった。
「お姉さまたちは?」
「馬車の中で腐ってます」
姉姫のアマリリスとアネモネは、雪に鼻面を突っ込みながら食料を探している馬を放置して、馬車の荷台の上でだるーんと伸びながら、
「だいたい、あの女たち、最初っから気に食わなかったのよ」
「少しばかり可愛いか知らないけど、人の亭主に色目使ってさ」
意外と元気そうにぶつぶつ文句を言いながら非常用の乾菓子を摘まんでいた。
「雪女の妖怪なんて気味が悪いわ」
「私たち、どうなってしまうのかしら」
「ああ、ガマニエル様。早く助けに来てえ」
泣き真似もどきも披露されているが、「この
「あら、アヤメ。起きるの遅かったじゃない」
「ねえ、喉乾いたわ。お紅茶とかないかしら」
そしてやってきたアヤメとばあやを見ると、ここぞとばかりに使おうとする。
全く。どこまでも自分本位な性質は変わらない。
そもそも見た目が良いだけのお飾りな姫など、サバイナルにおいて何の価値もないのだ、とばあやは内心で吐き捨てた。それに引き換え我が姫さまを見よ。
まずは雪を溶かして飲料水を作り、お腹を空かせている馬に干し草の餌を与えると、
「アマリリスお姉様、アネモネお姉様、こちらで待っていて下さい。旦那様方を探して参りますわ」
てきぱきと出立の準備を整えた。
すなわち、荷台に積まれていた布、ビニール、紐、テープなどを駆使して即興のそりを作りあげたのだ。
アヤメはマッチ、
「それでは行って参りますわ」
「アヤメ、王子様には目覚めのキスよっ」
「早く連れて帰って来てね!」
何のアドバイスかよく分からないが、以前聞いたキスの相談に対するものだろうと解釈する。姉姫たちの声援を背に、ぐんぐんスピードを上げていくそりを巧みに操るアヤメに、
「ところで、姫さま。婿殿がどこにいらっしゃるか分かるんですか?」
ばあやが至極もっともな疑問を投げかけると、
「任せて。匂いを追うわ」
鼻の穴を最大限におっ広げた姫さまがにこやかに振り返った。
見たか、お飾り姫ども。
我が姫さまの嗅覚は野犬並みなのだ!
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