第二話 白鳳学園の転校生
着崩した制服の乱れた襟元やルーズに締められたネクタイは、どこか面倒臭そうな性格を彷彿とさせる。
そして、軽快すぎる足取りと、寝癖がツンツンと跳ねたまま整えられていないだらしない頭髪。
その姿は、名門校として知られる白鳳学園の校門をくぐる転校生としては異質で目立つ存在だった。
しかし、最も印象的なのは彼の表情だ。
どんな相手にも明るく絡みやすいと感じさせるその笑顔が、彼の全体像をおちゃらけた雰囲気で覆っているように見える。
けれども、その外見とは裏腹に、彼の心中には他人に明かすことのない暗い影が潜んでいた。
軽い冗談の裏に隠されたそれは、重く深い葛藤が折り重なった複雑な感情だった。
そんな彼が新たな生活を始める場所として足を踏み入れたのが、全国的にもその名を轟かせる名門校、白鳳学園であった。
この学校は名門と呼ばれる通り、勉学だけでなくスポーツや芸術といった多岐にわたる分野で優れた成果を上げる生徒たちが集う場所であり、この学校に属する、という事が一種のステータスになる、と言える場所であった。
そのため、生徒一人一人に「白鳳の一員としての品格」が求められ、通う者全員がその誇りを持つことを暗黙の了解として受け入れていた。
歴史ある校舎は、創立当初の伝統的なデザインを今に残している。
白い壁に覆われた外観には風格が漂い、どの角度から見ても整った美しさを感じさせる。
そして、その古い建物の隅々までが驚くほど綺麗に整備されているのは、保護者や卒業生たちから寄付された多額の資金によるものだ。
寄付金によって保たれる美しさは、この学校がただの学び舎ではなく、多くの人々から愛され、敬意を払われる存在であることを物語っている。
広大な敷地を歩けば、至るところにその気品を象徴するような景色が広がる。
運動場はただ広いだけではなく、芝生が一面に張り詰められ、その一つ一つがまるで手入れの行き届いた庭園のようで、校内に点在する芸術作品は、まるで博物館のように多様なジャンルに及び、彫刻やモザイクアート、さらには現代アートまで揃っている。
中庭に設置された大理石の噴水は、水の流れる音まで計算されたかのように心地よく響き、周囲を歩く生徒たちに一種の安心感を与える存在として君臨している。
しかし、そんな中でも最も目を引く存在は、校舎の中央にそびえ立つ巨大な鐘。
白鳳学園のシンボルとして古くから存在しており、その威厳ある佇まいは新入生や訪問者の目を奪う。
鐘の周囲には、中でも優秀な成果や活躍を上げた卒業生の名前が刻まれた銘板が並び、その数はこの学園が築き上げてきた歴史と伝統の深さを象徴している。
鐘の音は、ただ授業の開始や終了を告げるだけではない。それは生徒たちに、この学校での日々がどれほど貴重であるかを改めて自覚させる「儀式」のようなものでもあった。
そんな格式高い学校に足を踏み入れた西条の姿はどうにもその景色にそぐわない。
だが、それは彼自身が十分に理解していることでもあった。「普通」を装いながらも、心の中でどこか馴染めない違和感を抱えつつ、新たな生活の幕を開けようとしていた。
外見と内面のギャップが作り出すその特異な存在感は、これから始まる日々にどのような波紋を広げていくのだろうか、
白鳳学園の校門をくぐり、初めて目にする広大な敷地と格式高い校舎を目の当たりにした西条は、内心で軽く溜息をついた。
(思った以上にすげぇ学校だな……。こりゃ、俺が浮くのも当然か)
手に持った転入手続きの書類を握りしめ、示された職員室へと向かう。
廊下を歩くたびに感じるのは、この学校が持つ静謐で重厚な雰囲気だ。ピカピカに磨かれた床や、壁に掛けられた数々の芸術的な絵画。
それはまるで、ここがただの学校ではなく、一種の「特権階級の庭」であることを物語っていた。
「この中で普通に馴染めってか……?」
心の中で呟きながら、彼は職員室の扉を軽くノックした。
「どうぞ」
落ち着いた声が中から返ってくる。扉を開けると、そこにはいくつかのデスクが整然と並び、教師たちが各々の仕事をしている光景が広がっていた。
書類を手にした中年の男性教師が顔を上げると、西条に気づいて立ち上がった。
「君が転入生の西条くんだね。待っていたよ」
教師――中川先生は、優しそうな表情を浮かべながらも、一瞬で西条の制服に視線を走らせた。そして、ほんの少し眉をひそめる。
「うーん、ネクタイの締め方が気になるね。それにシャツも出てるし、髪も整えてきたほうがいいかな」
指摘は穏やかなものだったが、その言葉の奥には「白鳳学園の生徒としての基準」に則った期待が込められていた。
「あー、すみません! ちょっと急いでたもんで……次からは気をつけます!」
西条は軽く頭をかきながら、軽快な声で答えた。その態度に中川先生は少し驚いたようだが、すぐに柔らかい笑みを浮かべた。
「まぁ、最初だから仕方ないね。だが、白鳳の生徒として、少しずつその辺りも意識してもらえればいいと思うよ」
中川先生の口調は穏やかだったが、西条はその奥にある「名門校の誇り」という暗黙のルールを感じ取った。
(やっぱりこの学校、肩肘張った連中ばっかなんだろうな。ま、俺は俺で適当にやらせてもらうけど)
中川先生が転入手続きの書類を確認し、軽く内容を説明した後、彼は西条を教室へ案内するために歩き出した。
「西条くん、少し緊張しているかもしれないが、うちのクラスの生徒たちは優しいから安心していい」
「いやー、緊張って言うよりも、今はこの新しい環境が楽しみっすね」
西条はそう言いながらも、内心では別のことを考えていた。
(緊張しないってのは嘘だけどな。"新しい環境"には慣れてるだけで、実際胸の中じゃけっこうドキドキしてるんだよな)
「それはいいことだ。そういう前向きな姿勢は、きっと君の助けになるよ」
中川先生は微笑みながら廊下を進んでいく。その道中、すれ違う生徒たちは皆、先生に挨拶をしながら、西条にもちらちらと視線を向けていた。
「……君の服装や雰囲気は、確かに白鳳らしくはないかもしれない」
思いがけない言葉に思わず顔を上げる。
「だが、それが必ずしも悪いこととは限らない。時には違った視点を持つ者が、新しい風を運んでくれることもある」
その言葉に、西条は一瞬だけ目を見張った。だが、すぐにいつもの軽い調子で答える。
「新しい風...?」
そんな反復を聞いた中川はどこか含みのある微笑みで応じる、そんな会話をしている内に教室の前に辿り着いた。
西条は、目の前の教室の扉を見つめながら、少しだけ息を吸い込んだ。
(さて……ここからが本番か)
だらし無くも親しみの持てるキャラクターとしてこの学園を訪れた事で、自分が如何にこの場で異質な存在となっているかは充分に理解していた。
それでも、あえてだらしない性格を選択した彼は「お調子者」という仮面を利用し、本来の自分を隠し通そうとしていた。
(普通の生徒として生きるってのも、なかなか骨が折れそうだな)
彼は軽く自分の頬を叩き、気持ちを切り替えた。そして、再び明るい笑顔を浮かべ、扉を開ける準備を整えた。
「今年度より、皆と同じクラスで学んでいく転校生を紹介します。西条くん、どうぞ」
担任の中川先生が告げると、教室が一瞬にしてざわめく。
新しい刺激を求める生徒たちの興味と期待、そして好奇心から来るものだった
何しろ、名門校である白鳳学園では、転校生という存在自体が珍しい。
それは転入生に求められる、厳しい入学基準を突破し、なおかつ高い品格が求められるからだ。
そんなここに新たに加わる生徒とはどんな人物なのだろうか、そんな思いが教室中に渦巻く。
その視線を一身に受けながら、ひとりの男子生徒が軽い足取りで教室に入ってきた。着崩した制服は明らかに校風にそぐわない乱れた印象を与え、ツンツンと跳ねた寝癖混じりの頭髪が、彼の「準備不足」を物語っている。それにもかかわらず、彼の表情はどこまでも明るく、目を輝かせた笑顔は周囲の警戒心を一瞬で和らげるような不思議な力を持っていた。
「今年からこのクラスでお世話になります、西条零でーす! みんな、よろしくな!」
その明るい声は、教室の空気を一気に塗り替えた。
周囲が期待していた「名門校にふさわしい品格ある生徒」とは、かけ離れたカジュアルな自己紹介であったが、その気さくな態度と親しみやすい笑顔は、瞬く間にクラスメイトたちの興味を惹きつけた。
そんな彼の内心には、過去と現在との葛藤が渦巻いていた。
わずか二年で日本を制覇した伝説のチーム「紅蓮」の総長――かつての自分。その姿を捨て去り、ただ「普通」になることを望んでいた。
だからこそ、自分の過去を知る者が誰一人としていない、この白鳳学園に転入を決めたのだ。
(ここでは、俺の過去を知るヤツなんて一人もいねぇ……。俺は、ここで“普通”になるんだ)
西条はそう自分に言い聞かせながらも、心の奥底に封じ込めた記憶が不意に蘇る。荒れ果てた土地、大規模なチームとの衝突、そして血に塗れた過去の数々――。その全てが、自分自身を形作った日々であり、今の自分が最も遠ざけたいものだった。
(あんな日常には、もう二度と戻りたくない。これ以上、何かを失うのはもうたくさんだ)
そう心の中で呟いていると、教師の視線が何かを探すように教室内を彷徨い、やがて一点に定まった。
「じゃあ、西条の席はあそこの空いてる席だな。花ヶ崎、色々教えてやってくれ」
中川先生の言葉に促され、視線を向けた席の隣には、どこか異様な空気を纏った少女が座っていた。その一言で、教室内の生徒たちの視線が自然と窓際の花ヶ崎星羅へと集まる。
窓から差し込む柔らかな日差しを受けた花ヶ崎星羅は、淡い光の中で静かに微笑んでいた。その微笑みは完璧だった。均整の取れた顔立ち、上品な仕草、礼儀正しい口調――すべてが「花ヶ崎家の令嬢」としての品格を体現していた。彼女の周囲に漂う空気は、誰にも近寄りがたい威厳を感じさせる。それでも、彼女は相手に気を遣わせることなく、上品な声で挨拶をした。
「よろしくお願いします、西条さん」
その言葉には隙がなく、抑揚のついた声色と洗練された所作が、彼女の教育の行き届いた背景を暗に示していた。しかし、西条はその優雅さに特に気を留める様子もなく、軽い口調で返事をした。
(すげぇ上品な人だ。俺みたいなヤツとは正反対だな……こういうタイプは今まで関わった事も無かったな)
内心では、本来の自分とは全くの真逆のタイプである彼女に対して、どこか警戒心を抱いていた。堂々とした彼女の視線が自分の本当の姿を見透かすのではないかと、そんな不安が胸の奥に静かに広がっていく。
改めて"お調子者"の仮面を被り直し、軽い調子で声をかける。
「あー、よろしくな! 俺、分からない事だらけだから、色々頼らせてくれ!」
星羅は微笑みながらも、ほんの一瞬だけその笑顔の端を引き締めた。周囲には伝わらないほどの小さな変化だったが、それは星羅の中に芽生えた興味と警戒が入り混じったものだった。
(この人……なんや隠してはる気がするわ。あの笑顔、どこか作りもんみたいやな)
その考えが、星羅の中で不意に膨らんでいく。
「えぇ、もちろんですわ」
星羅はすぐに表情を整え、丁寧にそう返した。だが、その内心はすでに彼への興味でざわめき始めていた。
こうして始まった転校初日。白鳳学園のシンボルである巨大な鐘が、ホームルームの終わりを告げる音を響かせた。澄み切ったその音色は、生徒たちの心を引き締める役割を果たす――はずだった。だが、この日、クラスメイトたちの心を支配していたのは、転校生・西条零の存在だった。
星羅は席に座ったまま、目の前に広がる教室の光景を眺めていた。クラスメイトたちが彼の周りに集まり、あっという間に話の輪が広がっていく。明るく軽妙な西条の言葉に、クラスメイトたちは引き込まれ、気づけば笑顔が絶えない雰囲気が作られていた。
(なんて軽い人なんやろ……私にあないな態度とるなんて、初めての経験やわ)
星羅は内心でそう思いつつも、その様子から目を離すことができなかった。
「なぁ、お前、どこから来たんだ?」
授業が始まるまでの短い空き時間、声をかけたのは藤井拓海だった。クラスのお調子者である彼は、同じく明るい性格の西条に強い親近感を覚えたのだろう。
「住んでたのはずっと東京だよ。でも親の仕事の都合で学校が変わっちまってさ!」
西条は軽い口調で答え、肩をすくめてみせた。その一言で周囲の生徒たちは興味を持ち、さらに話題が広がる。
「へぇ、東京だったんだな。けど東京って言っても広いだろ!どの辺?」
藤井がさらに尋ねた瞬間、西条は一瞬だけ表情を曇らせた。
自分の過去を思い出すと同時に、脳裏には、荒れ果てた過去やチームでの大規模な抗争など、暴走族時代の様々な記憶が浮かぶ。
誰にも気付かれない程度のそれは、隣の席で探る様な視線を向けていた彼女の視界にはバッチリ映る。
「……まぁ、都心じゃないけど、別に大したとこじゃないよ」
西条の声色は軽いままだったが、その奥底には触れてはいけない「何か」が隠されているように感じられた。
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