第2話 変人と装置


 メルヴィル子爵家の広大な庭園。その片隅に、ここ数か月ずっと異様な装置が鎮座していた。


 鋼鉄のフレームは、まるで木の枝のように不規則に伸び、透明な球体スピアがいくつもぶら下がっている。

 その間を縫うように配線が絡まる。

 近づくと、どこからともなく低い唸り音が聞こえた。スピアは青白い光を不規則に瞬かせ、まるで命を持つかのように脈動している。


 卒業パーティーから帰宅したコンスタンスは、その異様な光景を目にして思わずため息をついた。


 ――これを片付けて……そう何度頼んだと思っているの?


 兄ドイルが作っている「信号解析装置」とやらの新型。彼女が涙ながらに懇願したのもどこ吹く風。装置は以前よりもさらに大きく、目立つものになっていた。


 これが貴族の庭にふさわしいものとは思えない。おそらく庭師たちは困惑しきっているだろうし、彼女自身もこの異様な物体に囲まれるたび、胸の中に落ち着かない感覚が湧き上がるのを抑えきれなかった。


「兄上」


 ため息混じりに声を上げると、装置の向こう側からすすけた作業着を着た人影がゆっくりと現れた。煤と油汚れが染みついたその男の姿は、まるで労働者のようだ。動きにはどこか自信に満ちた独特の雰囲気があった。


 男は装置の隅々を眺めながら、ぶつぶつと独り言を繰り返している。その声が徐々に近づくにつれ、ぼんやりと聞こえていた言葉の内容がはっきりしてきた。


「デライトリートは完璧だが、ウェーズソンパリンガの調整がまだ不十分だな……スピアの配置をあと6ミリ外側に広げれば、全体のバランスが向上する……」


 ドイル・メルヴィル。メルヴィル子爵家の嫡男にして、世間から「変人」と呼ばれる男である。


「兄上!」


 コンスタンスは苛立ちを抑えながら、もう一度声をかけた。


「ん?」


 ようやく顔を上げたドイルの眼鏡は煤で曇り、レンズには指紋の跡がいくつも残っている。髪は乱れ、顔には薄く黒っぽい汚れがついていたが、本人はまったく気にしていない様子だった。


 彼の表情は疲労の中に満足感を滲ませ、どこか子どものような無邪気ささえ漂わせている。


「また何をしているの?」

「見ればわかるだろう」


 ドイルは装置を指差し、さも当然と言わんばかりの口調で答えた。


「これは『デライトリートを用いた信号解析装置』だ」


 コンスタンスは眉をひそめた。


「信号解析? そんなものを庭に設置する必要がどこにあるの?」

「必要性の問題じゃない。実験環境に適しているかが問題だ」

「兄上、ここは子爵家の庭よ?  実験環境じゃないわ!」


 ドイルは一瞬だけ彼女の方を見たが、それ以上何の反応も示さなかった。その代わり、再び装置に向き直り、スピアのひとつを軽く叩いた。


 青白い光が一瞬強く輝き、低い唸り音が耳に響く。


「うむ、良い環境だ。風雨は結界機能で覆っているから大丈夫」


 彼の声には純粋な満足感がにじんでいた。まるで他人の言葉などまったく耳に入っていないかのようだ。それがコンスタンスの苛立ちをさらに煽った。


「兄上、聞いてるの?  庭師たちがこれにどれだけ困っていると思っているの!」

「庭師が困っているなら、邪魔にならない場所に移せばいい」


 ドイルは肩をすくめながら平然と言い放った。その言葉の軽さに、コンスタンスは怒りを通り越して呆れるしかなかった。


「移せばいい、ですって……」


 絞り出すような声でそう言ったとき、ドイルは顔を上げた。しかし、その表情は妹を心配するものではなかった。

 観察対象を見つけた科学者らしい好奇心に満ちていた。


「コンスタンス、君の目、少し赤いけど……泣いてたのか?」


 彼の声は真剣そのものだが、妹の感情を気遣うようには見えない。単に興味本位で観察しようとしているようだった。


 コンスタンスはドイルの言葉に呆気に取られた。


「婚約破棄されたの!  兄上のその変な機械のせいで!」


 涙が盛り上がり、パーティードレスから着替えたばかりのギンガムチェックのワンピースに涙のしずくが次々と落ちる。


 だが、ドイルはその様子を見て困惑するどころか、心底驚いたように目を丸くした。


「ショーンが婚約破棄……? それは良かった!」


 にっこりと笑みを浮かべたその顔には、妹への同情の色は一切なかった。


「良かった……ですって?」


 コンスタンスは声を震わせながら睨みつけた。


「だってあいつ、いつも僕の装置のことを馬鹿にしていただろう?  あんな無知で時代遅れの男と結婚しても、君が苦労するだけだ」


 まったく悪びれる様子もなく、さも当然というように言い放つドイルに、コンスタンスの胸に怒りが沸き上がった。


 ――この人は、私の気持ちなんて全然考えていない!


「もういい!  兄上なんか……!」


 振り返りざまに声を張り上げると、コンスタンスはその場を足早に去った。

 背後では、まだドイルが何やら装置に向かって呟いている声が聞こえた。


「妹が婚約破棄されたか……興味深い状況だな。ストレスが人間の行動にどう影響するか調べてみるべきか。いや、時間がない! なぜ人間の体は連続稼働できないんだ……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る