風雲ブロッコ城――ダイコーン王の陰謀――

不二原光菓

第1話 姫の受難

Long Long Time Ago――


 太陽系第三惑星に生命の兆しが現われるよりもはるか、はるか昔。

 宇宙の彼方では一つの恒星を中心とした惑星系に壮大な光合成文化圏が誕生していた。

 惑星系を舞台に繰り広げられた過酷な生存競争を勝ち抜いたのは、根や葉が進化した手足を持つ二足歩行の野菜達。『walking vegetables』

 彼らは自分たちを捕食する節足動物たちの脅威と戦う事で高知能野菜生命体と変貌を遂げ、ついには神鮮野菜帝国『The Holy Fresh Vegetables Empire』を築き上げたのであった。


 ここは帝国の辺境惑星、花菜かさいせいのアブラナーカ地方の西に広がる黒土地帯。

 この地は温暖ながらも暑すぎない気候、適度な降雨、肥沃な土壌と植物生育にとって恵まれた環境が整っていた。多様な野菜達が根手こんしゅを伸ばし、支配権をかけて葉と葉を交える激しい戦いが繰り広げられたが、結局この地域を統べたのはアブラナ原人を祖先とし緑の花蕾からいを頭にいただく、ブロッコ族であった。

 この物語は、彼らブロッコ族の古ぼけた王城から始まる――。





 飾り立てられたホールでは今、盛大な宴が催されていた。大きなガラス窓からはさんさんと陽の光が射しこみ、来場者のすき間を器用に通り抜ける給仕達がグラスに入った色とりどりの水溶液を配っている。詰めかけた来場者たちの蒸散でホールの中はムンムンとむせかえっていた。


 ホールの前面に設えられたステージの下には、ブロッコ族の人々が集まりあたかも緑の山ができたような一隅があった。その中央には頭を白いベールに包んだ少女がたたずんでいる。しかし、周りの盛り上がりとは裏腹にその表情は暗かった。


 彼女はこのブロッコ王国の王女、ブロッコ・リー。小さい頃から冒険に憧れる活発な少女で、いつかこの国を出て自由に旅することを夢見ていた。しかし長じるにつれ王女という立場がそれを許さぬ事を思い知らされ、聡明な彼女は夢を押しつぶし思慮深い王族の殻を被って日々を送ってきた。


 だが、そんな健気な少女に運命はあまりにも非情であった。父王亡き後、意に染まぬ婚儀を押しつけられた彼女はまだその事実を受け入れる事ができず今朝まで枕を涙で濡らし続けていたのである。


「まあ姫、今日は一段とモコモコしい」


 虫除けの木酢液もくさくえきをしみこませたレースの扇を優雅にあおぎながら、頭を緑の染料で塗りつぶした初老の婦人が、励ますように王女に声をかける。

 まだ若い少女の頭部を覆った緑の蕾は固く『モコモコしい』ほどには膨らんでいなかったが、これは婚礼の場面で花嫁を褒める決まり文句であった。


「叔母上、嬉しいお褒めのお言葉ありがとうございます」


 だが、言葉とは裏腹に礼をする少女の緑の目は暗い光を湛えている。


「いや、誠にめでたい」


 両手を広げながら二人の間に割って入ったのは頬に傷の入った大柄な老人だった。

 頭の周りから無頼に飛び出た葉には無残に食い荒らされた跡が残っている。


 ブロッコ達にとって頭周りの葉を整えるのは公式の場における重要な身だしなみであった。周りのご婦人達からはこの男のむさ苦しい出で立ちに非難めいたざわめきが起るが、男は一切気にする様子もない。


 彼にとって、この葉っぱは一族の存亡を賭けたモンシロチョウ戦役を戦い抜いた勇者の証である。勲章にも近い自慢の老いぼれ葉を刈ることなど、彼は夢にも思ったことが無かった。


「ありがとうございます。ブロッコン様もご健勝のご様子、何よりです」


 緑の蕾の頭をうつむかせ、少女はかすれた声で礼をのべる。本当は会話などできる精神状態ではないが、王妃である母が部屋で伏せっているため、大切な来賓には自分が応対せねばならない。


 もう、誰にも頼ることができない。

 このまま為す術無く運命の大風になぎ倒され、絶望のうちに朽ち果てるしかないのか。

 磨き立てられた床にポトリと落ちた一粒の水滴は、孤独な少女の真珠の涙――。




「さあ姫、そろそろ式が始まるようだ。壇上にまいりますぞ」


 姫の目の前に差し出されたのは石灰よりも白い皺だらけの手。手にまけず皺だらけの顔は顎の部分がひょろりと先細っており、干からびかけた髭根が数本ヒョロヒョロと生えていた。参列しているブロッコ達は新郎のあまりに奇怪な容姿に思わず顔をそむける。


 彼はダイコーン王。アブラナーカ地方の北にある強国の主であり、百人の妾を持つ好色な王としても知れ渡っていた。かねてから隣国のブロッコ王国を狙っていた彼は、ブロッコ王の急死に乗じて無理矢理一人娘のブロッコ・リーに政略結婚を申し入れたのである。

 ダイコーン王はブロッコ王室と婚姻関係を築き、他の国々が横やりを入れられない状態にしてこの国を自分のものにする魂胆であった。元々ダイコーンは戦を好む残忍な王である。もちろん婚儀の申し出を断られればすぐさまこのブロッコ王国を焦土と変えるつもりであった。


 勇猛果敢で戦上手な王を失ったブロッコ王国の戦力低下は歴然、今攻め込まれてはひとたまりもないことは火を見るより明らかだった。王国には、王女の嫁入りくらいで助かるのなら仕方ないという空気が蔓延している。

 美しき貴婦人だが政治には疎い王妃に、娘の結婚を断るという選択肢は無かった。




 ダイコーン王は上機嫌で姫の手を取りステージに作られた祭壇に上がっていく。その後ろからは一糸乱れぬ歩調で無表情なダイコーン兵団が付き従った。冷酷無比で有名な彼らは拷問に使うすりおろし機能が付いた電子サーベルをこれ見よがしに腰に下げていた。


 聖歌の代わりにダイコーン王国の国歌が流れ、頭頂を冠のように長い葉で包んだルッコラ族の司祭が二人の前に立った。


「ダイコーンよ。汝はこのブロッコ・リー嬢を虫に食まれる時も、健やかなる時も、栄養に富める時も、日照りの時も、妻として愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」


 司祭の言葉に、ニヤリと微笑みながら王が返答する。

 次は自分が誓いをたてなければならない。この国を救うために。

 ブロッコ・リー姫はベールの下で唇を噛みしめる。


 その時。


「その結婚、待った」


 声とともに一人の青年が居並ぶダイコーン兵を華麗に蹴散らしながら台上に駆け上がってきた。悲鳴と怒号の中、階段からブロッコ頭のカツラが弾みながら転がり落ちる。


「姫、お助けに参りました」


 差し出された掌。何が起ったかまだ状況がつかめないブロッコ・リーであったが、金色の瞳で慈しむように自分を見る美青年に無意識のうちに手を委ねる。


 姫を助けに来た青年、彼の頭はブロッコ達とは違って美しい黄緑色で、尖った頭頂を中心に規則正しい模様が螺旋を描くように広がっていた。

 そして驚くべき事はその模様。一つ一つが細部にわたって全体像の繰り返しになっている――すなわちフラクタル構造を呈していたのであった。


「だ、誰なんだ」


 会場から声が上がる。


「あ、あ……」


 王妃の年の離れた姉である叔母が突然頭を抱えてしゃがみ込んだ。


「な、なぜ、今ここへ……ロマネスこう

「あの頭、ブロッコ族ではないのか」


 傍らに立つブロッコンが老葉を振り立てて詰問する。


「彼は若き日の王妃とカリフラワー王子との一夜の過ちによって誕生した不義の子。王妃のたっての願いで命だけは助けられ秘密裏に辺境に住む先代のロマネス公爵に預けられたのです」

「間違いないのか」

「ブロッコともカリフラワーとも違う、あの特徴的な頭は忘れようにも忘れられません。遠い噂で、家督を継いだと聞いていましたが……」


 涙ながらに叔母は壇上の姫君に叫ぶ。


「姫、彼は父親の違うあなたの兄上なのです」




「お、お兄様……」


 姫は大きな瞳に涙を浮かべて傍らの兄を見つめる。


「間に合ってよかった」


 兄は優しくうなずいた。


「お母上はギリギリまで悩まれた末、私に連絡をくださったのです。さあ一緒に脱出しましょう。大切な妹を国の犠牲にするわけにはいきません」

「お母様が」


 姫の目から涙がこぼれ落ちる。慰めの一つも言わない母の態度を見て自分の事を見捨てたかと思っていたが、裏切る可能性のあるブロッコ族以外で娘を助けることができる者を寸暇を惜しんで探していたのであった。

 今日出席をしなかったのも、彼を城内に引き入れるためにいろいろ工作していたためであろう。


「ええい、あの黄緑頭をやってしまえ」


 叫んだのは、今でもブロッコ王国の軍隊に強い力を持つブロッコンであった。


「ご乱心か、ブロッコン。彼は王妃の――」


 姫の叔母が勇者の腕にすがりつく、が。


「ブロッコ王国とダイコーン王国の和平を途切れさせる訳にはいかんのだ。お下がりくださいダイコーン王、この始末はこちらでつけますゆえ。ええい、お前は退いていろ」


 突き飛ばされた叔母は、参列者の方へ思いっきり吹っ飛ぶ。しかし、群衆の中からすっと現われた黒いマントをはおった長身の青年が、背後から彼女の身体をそっと受け止めた。


「一国に主は二人も必要無い。あの黄緑頭にはいなくなってもらわなくてはならないのだ。いでよ、親衛隊ども」


 大音声で呼ばわるブロッコンの声に舞台袖から出てきたのは、パツパツの服に身を包んだ、太くて濃い眉毛と鼻の下のちょび髭がちょいと暑苦しい屈強そうなブロッコ族の兵士達だった。


「わしはブロッコ・ラー」

「ブロッコ・ルー」

「ブロッコ・レー」

「ブロッコ・ロー」

「「「「我らブロッコ・リー姫をお守りする強者親衛隊。その名もラ行の戦士っ」」」」


 一列に並んだ彼らが腰を落し右腕を前に突き出す、そしておもむろに拳を握って肘を曲げる。

 盛り上がる力こぶとともにピリピリと袖に亀裂が走り――。


 バボッツ。


 彼らの服が一瞬で四散し、煙の中から公序良俗的に必要最小限の布きれをまとった見事なムキムキボディーが現われた。


「ラ行の、いや、裸形の戦士かっ」


 先ほど受け止めた姫の叔母を隅っこの椅子に座らせながら、切れ長の目をした青年がつぶやく。


「ふんっ」


 気合いを入れた彼らの筋肉はさらに膨張し緑色にテラテラと光る。身体は二倍に膨れ上がった。


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