真実を世界に晒す

「待って! 後ろにミカエルが!」


 杏の声はアンジェリーナに届くことはなく、いつの間にか屋上へと戻っていた。目の前には眉間に皺を寄せ、心配そうに見つめる暁斗がいる。


「……何で、高瀬くんからあたしの魔力の残滓が感じられるんだろって、思ってた。こういうことだったんだね」


 浅い呼吸を繰り返し、胸元部分の服を握りしめて俯いた。

 ルシフェルにかけられた魔法は、転送魔法だろう。あのまま戦っていれば、共倒れは避けられなかった。そうなれば、世界はミカエルの都合のいい嘘で包まれたまま。アンジェリーナ達はその嘘が暴かれることを望み、ルシフェルをあの場から逃したのだ。

 世界に真実をもたらし、堕とされてしまったルシフェルもあるべき場所へと戻れるように。

 そうして逃したあと、アンジェリーナ達は。知っている。知っているとも。杏は唇を噛み締めると拳を握り、床を叩いた。何度も、何度も。

 何が「魔王サタンとの戦いで勇者以外は命を落とした」なのか。

 真実を知ったアンジェリーナ達は、ミカエルに殺されてしまった。それすらも魔王サタンに、ルシフェルに罪をなすりつけたのだ、あの嘘つきは。

 最後に一際大きく床を叩いてから、はあ、と息を吐き出し、両手を膝の上に置いた。

 死人に口なしとはよく言ったものだ。一人残ったミカエルがどのように言おうが、真相を知る者が他にいなければそれが真実となってしまう。その真実が、どれだけ嘘に塗れていたとしても。


「アンジェリーナの魔法で飛ばされた僕は、姿を変えながら世界各地を転々とした。見つからないように、ひっそりと。誰とも関わらずに」

「……どうりで、何も知らないわけだ」

「そうだね。小鳥遊さんを見て、アンジェリーナが生きていたって思ったくらいだし。馬鹿だよね、あの場を何とか切り抜けられていたとしても、人間には寿命があるのに」

「馬鹿だなんて思わないよ。まあ、あのときは何言ってるんだとは思ったけど。記憶を見せてもらった今は、何となくその気持ちがわかるから」


 ミカエルにすべてを奪われ、嘘によって追い詰められ。どれほどの孤独を抱えながら、生きてきたのだろう。逃してもらった先でも、姿を変え、世界を転々とし、些細なことから気付かれないように誰とも関わらず。あの洞穴で一人過ごしていたときから、何も変わらない。むしろ、孤独は加速しているように思える。

 それゆえに、アンジェリーナの「生きていれば、後から追いかける」という言葉が胸に深く刺さっていたのかもしれない。それこそ、人間の寿命など頭から抜けてしまうほどに。


「……そう言ってもらえると、少しは救われるな。情報を仕入れる余裕すら、僕にはなかったんだ。逃してもらったこの命を、ミカエルにも、誰にも奪われるわけにはいかなかったから。だけど、生きるのに必死で、何もできていない」


 絞り出したかのような声に顔を上げると、暁斗は肩を落とし、両手を組んでいた。力が入っているのか、微かに震えている。


「アンジェリーナに、彼らに託されたのに、僕は……っ!」


 正直、非常に難しい問題だ。

 たとえば、今の暁斗の姿で真実を話すとする。何を言っているのかと、奇異の目で見られるのは間違いないだろう。

 生きていなければ、真実は話せない。そのとおりだ。されど、真実を話したとしても、信じるに値する根拠を示さなければならない。

 何せ、話すとなれば自ずと魔王サタンだと名乗り出ることになる。いくらそう仕立て上げられたのだと話したところで、信じてもらえなければ騒ぎになり、聞きつけたミカエルがやってきてしまう。いつかは必ず対峙するだろうが、早めるような事態は避けたい。

 アンジェリーナがしていたように、魔法を使って真実だと証明するか。しかし、今は科学的証拠や物的証拠がものをいう時代。魔法での証明は超常的な手法となり、納得できる形で裏付けることが困難だ。

 だが、このままにしておくわけにはいかない。託された想いを叶えなければ。アンジェリーナ達が命を賭した意味がなくなってしまう。記憶を見ていただけだとはいえ、杏自身もそれだけは嫌だった。


「……あたしも、一緒にやるよ」

「え? 一緒にって?」


 暁斗は目を見開いた。どうやら戸惑っているようだ。


「ご先祖様達に託されたことだよ。二人でなら何とかなるかもしれないでしょ」

「……嬉しい申し出だけど、危険すぎるよ。あのとき何が起きたか、君も見たはずだ。僕だって、こんな有様で」

「見たからだよ。嘘を知ったのに、ご先祖様が頑張ったのに、その末裔が何もしないなんて顔向けできない。それに、あたしは……ママが亡くなったあの日から、十二枚の羽を持つ天使を探してた」


 どうして、天使ミカエルは母の前に現れたのか。

 どうして、母を救ってはくれなかったのか。


「あの記憶見たらさ、たぶん碌でもない理由なんだろうなって思うんだけど。それでも、あの日のことを本人の口から聞きたいんだよね」

「小鳥遊さんは、立ち向かおうとする勇気があって、すごいな。アンジェリーナもそうだった。それに比べて、僕はなんて情けないんだろう」

「何言ってんの? 情けなくなんかないよ。生きるのに必死で、何が悪いの? 託された願いを叶えたくても、死んでしまったらどうしようもない。一人だったら尚更でしょ。けど、今はあたしがいる」


 杏はニッと口角を上げると、右手を差し出した。


「魔法使いの末裔と魔王でさ、勇者ミカエルに立ち向かおうよ」

「……っ、ははっ」

「え、なんか変なこと言った?」

「ううん。自分でもわからないけど、小鳥遊さんの言葉を聞いてると、不思議と背中を押されたような気がして。あれだけ、悩んでいたのに」


 そう言って、暁斗は手を伸ばし、一瞬躊躇するも、杏の手を握った。


「よろしくね、小鳥遊さん」

「こちらこそ! あたしのことは杏でいいよ。あたしも、高瀬くんのときは暁斗って呼ばせてもらうね」

「う、うん。わかった、あ……杏」


 杏自身が言い出したことだが、何とも珍妙なバディだ。

 勇者一行の魔法使いの末裔と、魔王サタン。しかも、立ち向かう相手は世界を救った勇者なのだから、傍目から見ればヒール役だ。


「これから、どうしようか」

「それだよね。まずは……お弁当、食べちゃわない?」


 ぐう、となる腹の虫。タイミングがいい、と暁斗も笑みを溢し、途中で止まっていた昼食を再開することに。

 唐揚げを食べながら、ぼんやりと空を眺める。暁斗と手を組むことにしたものの、どうやって事を進めていくべきか。ごくん、と飲み込むと、ふりかけがかかった白米を一口放り込む。

 元より、置かれている立場が悪すぎる。片や魔王サタン、片や世界を救った勇者。ルシフェルとミカエルでは、信用と信頼の度合いに天と地ほどの差がある。この差は、どう足掻いたところで埋まりはしない。


(埋まるとすれば、ミカエルがルシフェルと同じ立場になったら、とか? そうなれば、その逆もまた然りで……)


 いいことを思いついてしまったかもしれない。口に入れていた白米を飲み込むと、杏は箸を置いた。

 世界に真実を。

 貴方も、あるべき場所へと戻れるように。

 ──この方法ならば、その両方が一気に叶えられる。


「ミカエルを堕天させよう。で、暁斗は天使に戻る。どう?」


 暁斗が口に入れていたものを吹き出した。これでもかと目を見開いており、今までて一番かもしれない。

 

「──っ、なっ、えっ、どう? って、自分が何を言ってるかわかってる!?」

「わかってるよ。だってさ、よく考えてみて。本来なら、堕天すべきはあっちじゃん。暁斗が堕天させられたときから、嘘が始まってるんだよ」


 そうやって、何もかもがミカエルに都合のいい嘘で塗り固められてしまった。声高こわだかに言ったところで、世界的にはミカエルの言葉が正しいのだからどうにもならない。

 で、あれば。


「堕天させてしまえば、ミカエルの言葉なんて届かなくなる。本当なら堕天しているはずなんだから、あるべき姿を、真実を世界に晒してやるんだよ」

「言いたいことは、わかるけどさ。どうやって堕天させるつもりなの?」

「それは……あれだよ。これから二人で考えていくんだよ」

「ええ……」


 うまくいくのかなあ、と不安を口にする暁斗に、杏はわざとらしく咳払いをする。


「ところでさ、天使に戻れたら名前はどうする? 取り返す?」

「気が早いね。……でも、そうだなあ。このままミカエルでいいかな。今もそのように認識されているし」

「意外。ルシフェルじゃなくていいんだ」

「この計画がうまくいったとして。堕ちたミカエルは、ミカエルを名乗る僕が天使に戻ることをどう思うのかなあって」


 眉尻を下げて口元に弧を描く暁斗に、思わず笑ってしまった。

 諦観の境地に入っているのかと思って聞いていれば、今のは完全にミカエルに対しての当てつけだ。


「やられたらやり返すってことね」

「僕は聖人君子ではないから」


 何だろう。うまく言えないが、杏の中で暁斗の好感が上がったような、そんな気がした。


「じゃあ、元の姿のときは、ミカエルって呼んだ方がいい? できれば、このままルシフェルって呼びたいんだけど」

「どちらでも構わないけど、理由を訊いてもいい?」

「……本当のあんたはルシフェルだけど、これから先もミカエルとして生きていくんでしょ。それもあって、あたしだけでも、覚えておきたいというか」

「ありがとう。優しいね、杏は」

「……っ、いいから、早くお弁当食べちゃお」


 考えなくてはならないことが山積みだが、不安はなかった。

 根拠も何もないが、自分達ならばどうにかなりそうなそんな気がして、胸が躍るほど。杏は服の上からネックレスを握った。

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