あの日の出来事

(今、ミカエルって呼んだよね。ってことは、ルシフェルはミカエルにされてるんだ)


 ミカエルから一歩下がるようにルシフェルが動く。その分、ミカエルが一歩詰め寄った。


「こんなところで人知れずひっそりと暮らしているの? 魔王ともあろうお方が、なんとも寂しいねえ」


 小馬鹿にするようなミカエルの言い方に、怒りが込み上げてくる。

 そうさせているのは誰だと思っているのか。怒りに身を任せて掴み掛かりたくなるが、これはの記憶。すでに起きたことを、ルシフェルを通じて追体験しているだけにすぎない。そのため、身体の自由はきかず、どれだけ言いたいことがあっても黙って見ていることしかできないのだ。

 俯いたのだろう。微笑むミカエルから地面へと視線が移る。複数人の足音も聞こえてきた。おそらく、勇者一行が入ってきたのだろう。


「……、この者が魔王サタンなのですか?」


 聞いてわかってはいたが、本当に二人が入れ替わってしまっている。いや、それよりも、と杏は息を呑んだ。

 先程の女性の鈴を転がすような声。勇者一行は、勇者、戦士、僧侶、魔法使いで構成されていたと聞く。その中で女性は魔法使いのアンジェリーナのみだった。

 この女性の声は、アンジェリーナのものだと思って間違いない。どんな女性なのだろう。気になるものの、ルシフェルが顔を上げなければ見ることは叶わない。


「そうだよ、みんな。こいつが魔王サタン。さて、君には消えてもらわなければ。そのためにこうして精鋭を揃えてきたのだから」


 ルシフェルは顔を上げた。これでアンジェリーナが見られると思ったが、視線は依然として笑顔のミカエルに向けられる。震えながら息を吐き出し、ミカエルに話しかけた。


「まだ、創造主に謀反を起こすつもりでいるの?」

「……異なことを言う。それは君じゃないか」


 ふと、何か魔法のようなものを感じた。記憶でそう感じるということはルシフェルも何かしら感じ取っているはずだが、話すのに必死で気付いていないようだ。

 そして、この魔力は──杏のものにとても似ている。


「また僕に止められたくなくて、堕天させただけではなく魔王に仕立て上げて……確実に消しにきた? ねえ、


 その瞬間、ミカエルは腰に下げていた剣を抜き、ルシフェルへ振り下ろした。

 ヒュ、と風を切る音。眼前に迫る刃。杏には何もできない。ぎゅっと目を瞑ると、ガキン、と金属同士がぶつかるような音が響く。その音に目を開けると、ルシフェルもどこからか剣を取り出し、ミカエルの攻撃を受け止めていた。このまま鍔迫り合いになるのか。と思いきや、ルシフェルに弾き返されたのか、ミカエルは後方へと押しやられた。

 貼り付けていた笑顔はどこへやら。ミカエルは眉間に皺を寄せ、目を細めると、盛大に舌打ちをした。ミカエルの余裕が、僅かに崩れたように見えた。苛立ちを抑えきれず、後ろの仲間たちへ強く呼びかける。


「何をしているのかなあ君達は! 目の前にいるのは魔王サタンだって言ってるじゃないか! 何のために勇者の仲間として集められたと思っているんだ? 今こそ役目を果たすときだろう!」

「……それは、そうだが」


 視線が動き、声を出した男性に向けられる。男性は重量がありそうな鎧や兜を身につけていて、ロールプレイングゲーム等でよく見かける戦士のようだ。表情はどこか苦々しく、ミカエルとルシフェルを交互に見ている。

 すると、黒いローブを身に纏い、天使が彫られた彫刻を首に下げている男性が前へ出てきた。僧侶だろうか。ミカエルの少し後ろに立つも、彼もまた眉を八の字にし、困惑しているような表情を浮かべている。


「ルシフェル、我々も使命を果たしたいですが、疑問があります。……何故、貴方と魔王サタンは瓜二つなのでしょう。偶然かとも考えましたが、会話を聞いている限りでは初対面でもなさそうですし、説明を」

「必要ないね。君達は僕の言うとおり、魔王サタンを退治すればそれでいいんだよ」

「ええ、必要ないです。貴方は私達に敢えて隠していた。信用に値しないので、何を話されても信じられません。ですので、魔王サタンに魔法をかけて言葉の真偽を確かめました」

「……ふうん。魔法って便利だねえ。さすがは稀代の魔法使いってところかな?」


 ミカエルが振り返ると、水色のロングワンピースに身を包み、右手には杖を持った金髪碧眼の女性が現れた。

 彼女こそ、杏の先祖にして勇者一行の魔法使い、アンジェリーナ。

 耳から上の髪の毛を一部取り、結んでいる。もう片方も同じように結んでいて、容姿が杏とまったく同じ。並べば、どちらがアンジェリーナで杏なのか見分けがつかないだろう。

 アンジェリーナはミカエルの横に立つと、杖を向けた。その杖は、杏が身につけているネックレスと同じ。金色のサークルに、透き通った水色の丸い石がついている。


「結論としては、魔王サタンは嘘をついていませんでした。貴方はルシフェルではなく、ミカエルなのですね」

「だとしたら、何? 君達に不都合でもある?」


 笑顔は崩さないものの、その目は笑っていない。余裕を保っているように見えるが、実際のところは腸が煮え返っているのかもしれない。

 アンジェリーナが持っている杖の先が光り出す。今度はミカエルに魔法をかけるつもりだ。


「名を偽っている理由をお聞かせください」

「そいつに、ルシフェルにミカエルという名を奪われたからだよ」

「……これが真実だと思いながら話しているようですが、無駄ですよ。記憶と整合性が取れていない言葉は、嘘だと判断される」

「ふふ……はははっ! そうかそうか……もういいや」


 ミカエルの全身が光り出す。あまりの眩さにルシフェルの手が視界を遮るも、大きな羽音と共に十二枚の白い羽が広げられるのが見えた。

 優雅に空中へと舞い上がるミカエル。感情が込められていない金色の瞳で、ルシフェル達を見下ろしている。


「正義感が強いのはいいことだ。勇者一行に相応しい。……まあ、そのせいで身を滅ぼすことになるが」

「……天使、だったのですか。では、旅の最中さなかに私達に話してくれたことは」

「嘘だよ、嘘。魔王サタンに殺された親なんていない。魔王サタンに殺された友人なんていない。に真実など話したことはない」


 幼い頃に見た美しい笑みが浮かべられる。背筋がぞくりとしてしまうほどの、美しい笑みが。

 こうやって、ミカエルは嘘を重ねてきたのか。見ていることしかできないのが何とも歯痒い。怒鳴り散らしてやりたい気持ちでいっぱいだ。

 そんな杏に同調したかのように、ぎり、と奥歯を噛み締めるような音がした。ルシフェルが一歩前へと踏み出す。


「……っ、僕を殺すことが目的なら、僕だけを殺せばいいだろう! 何でこんな回りくどいことを……! この人達も巻き込んだ!」

なら、世界の危機に立ち向かうから」


 ミカエルはくるりとその場で回ると、空中で座るような姿勢を取り、足を組んだ。膝の上には左肘を起き、手には顎を乗せる。


「とはいえ、残念なことに世界の危機なんてそう簡単には起きない。ならば、自分で起こすしかないだろう? で、堕天させたお前を利用することにした」


 黙って話を聞いていたアンジェリーナが「待ってください」と声を上げた。


「魔王サタンとは、元は天使で、創造主への謀反を企んだことで堕天し、世界を脅かす魔王となった。有名な話です。これは、どこまでが真実で、どこからが嘘なのですか?」

「二度も同じことを言わせるなよ。俺は、に真実など話したことはない」

「……ああ、そういうことですか。貴方は、どこまでも嘘つきなのですね。そうして世界にまで嘘をつき続け、いつしか真実にしてしまった」


 にい、と口角をこれでもかと上げ、愉快だといいたげに笑うミカエルに、アンジェリーナは杖を構えた。戦士、僧侶も戦う姿勢を取る。かつては仲間だった三人から敵意を向けられるも、ミカエルは気にすることなく鼻で笑い飛ばした。

 ルシフェルも剣を構える。空中で偉そうに足を組んで見下ろしているミカエルを見ると、彼の金色の瞳がルシフェルを映した。


「回りくどいこと、お前はそう言ったな。少し考えればわかるだろう? 魔王サタンを倒せば、世界の危機を救えば、俺の功績になる。創造主からの信用と信頼も得られる。俺を慕う天使も増える」

「……僕に、成り代わったのは」

「ルシフェルというだけで、創造主に近付ける。全天使の長というだけで、天使どもの洗脳が容易い。そいつらを率いて、創造主が油断を見せた瞬間に謀反を起こす。俺が神へと成り代わるために」


 どこまでも、どこまでも。ミカエルは、身勝手な天使だ。

 母の前に現れた理由は知りたい。けれど、身勝手そのものだったら。怒りでどうにかなってしまいそうだ。


「人間として活動していたのは、なるべく天使の気配を消すため。でなければ、お前は俺を警戒してその身を隠してしまうだろう?」

「自らを勇者と偽り、この人達も巻き込んだのもそのためか」

「そのとおり。俺とお前を見て、違和感を抱くことは想定していた。だから、成功した暁には口止めも兼ねて、褒美を与えるつもりだったんだ」


 ミカエルは足を組むのをやめ、その場で立ち上がった。

 何故だろうか。眉尻を下げ、悲しげな表情を浮かべているように見えるのに、瞳の奥は笑っているような、そのように感じた。


「ああ、残念だよ。勇者一行は果敢に魔王サタンへと挑み、倒すが……勇者以外は全員死亡。このような結末を与えることになるなんてね」


 アンジェリーナの杖から激しい炎が放たれたのをきっかけに、戦闘が始まった。僧侶と戦士も立ち向かうも、ミカエルの動きは素早く、攻撃を仕掛けても難なく躱されてしまう。

 三人に加勢したいが、杏には何もできない。その代わりと言ってはなんだが、ルシフェルがミカエルへと向かっていく。視界が滲んで見えるのは、涙を浮かべているからだろう。

 剣を交え、二人は睨み合う。何度も火花が出るほど激しく打ち合うが、ミカエルが優勢だった。いたぶるように、腕、足、胴、と切先を突きつけてくる。アンジェリーナ達も援護に入るが、片手で振り払われる上に倍以上にして返されてしまい、どうにもならない。

 そのとき、ルシフェルがいきなり後ろへ飛ばされた。地面に倒れ、顔を上げると、傷だらけの戦士がルシフェルを庇うようにして立っている。


「アンジェリーナ!」

「……っ、ええ!」


 戦士の呼びかけにアンジェリーナが応じ、一瞬でルシフェルの傍へやってきた。彼女も血を流しているが、杖をルシフェルへと向け、魔法をかけ始める。


「今から、貴方をどこかへ転送します」

「何を言ってるんだ! 君達だけで敵う相手じゃない!」

「そうですね。ですが、私達も決めたのです。ここで共に倒れてしまっては、ミカエルの思う壺ですから。真実を知る貴方だけは逃がそうと」

「……余計なことを! 逃すか!」


 気付いたミカエルがやってくるが、戦士が立ちはだかった。


「アンジェリーナって、言ったよね。逃げるならせめて、君も一緒に」

「……生きていれば、後から追いかけます。魔王……違いますね、ルシフェル。どうか、世界に真実を」


 邪魔だと言わんばかりに、戦士が振り払われた。彼の身体は真っ二つにされ、上半身は空へ舞い上がり、下半身は蹴り飛ばされる。

 怒りの形相をしたミカエルが、もうすぐそこまでやってきていた。


「貴方も、あるべき場所へと戻れるように」


 アンジェリーナの後ろにやってきたミカエルは、剣を振り上げる。

 彼女も気付いていたはずだ。されど、振り向くことなく、ルシフェルに笑顔を見せると、魔法をかけた。

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