第3話 どらごんぼーる

 高校生活最初の夏休み、その最初の金曜日。僕は刈宮高校の別棟から、自宅に帰ろうとしていた。

 刈宮高校は県内有数の進学校なので、「3年間で履修すべき内容を2年で終わらせ、受験対策のためのフェーズに入る」ことを指導の目的に掲げている。そのため高校生活最初の夏休みからのんびり過ごさせる気はさらさらなく、数週間は「補習」という名の特別な時間割が組まれる。いわば昔、僕の親の世代に行われていた「土曜日の半日授業」のような授業が始まるのである。

 それが行われるのが、さっき僕が出てきた別棟だ。年季が入っている建物なので、空調がよく効かず、この時期の学習には正直向かない。またあくまでも「補習」という扱いなので、部活動がある生徒はそちらを優先したとしても出席日数には響かないような配慮がされている。そのためか今日の参加したクラスメイトの中で野球部やサッカー部などの姿が見えなかった。大方どこかで練習試合などがあるのだろう。もちろん文研部の僕はそんな恩恵にあずかることはできず、汗をかきかき今日の補習に参加してきたというわけだった。

 今日の補習の最後は1年2組の担任、志田先生の古文の授業だった。和歌を何本か先生が選んできて、そこからその基本的な構造や、文法、その歌が詠まれた時代背景などを学ぶという内容だった。何百年も前にこの国で生活してきた人間が、季節の移り変わりやそれに連なる心の動きを決められた文字数や規則に従って歌にしていく。春や秋がすっとばされていきなり夏や冬が来るようになってしまった日本のことを、彼らが知ったらどう思うだろうか。

 そんなとりとめもないことを考えながら、僕は別棟を出ていこうとしていた。その時、教卓の前で他のクラスの女子生徒数名と雑談をしていた志田先生と目が合った。すると志田先生は彼女達との雑談を中断し、僕に近づき、声をかけてきたのだ。

「高梨、帰るところすまんが、ちょっとええか。」

「大丈夫です、何ですか志田先生。」

「君は5組だで、あの牛山とおんなじクラスだな。」

「はい、そうですけど、あの牛山がどうかしましたか。」

「実は牛山に渡すものがあるんで持ってきたんだが、今日は姿が見えん。何かのついででええからこれを渡しておいてほしいんじゃが。」

 そういって志田先生は持っていた手提げの紙袋の中から弁当箱サイズの箱を取り出して僕に渡した。箱の表面に平安時代の絵巻物のような図柄が描いてあるのが見えた。それを見て僕は箱の中身に見当がついた。

 「これ、百人一首のカルタですね。」

 「そうじゃ。」

 「何で牛山が百人一首なんか。」

 「ほれ、今度刈宮祭恒例の校内百人一首大会があるじゃろ。あれで成績がいいと副賞で刈宮高校の校章が入った扇子がもらえるんじゃが、それを牛山は狙っとるらしい。だで百人一首の練習をするから、わしに百人一首のカルタ一式を貸してくれんかって言ってきたんだわ。わしが趣味で百人一首をやっとるのを知っとるでの。そんでこないだ在所に余っとるのを持ってきたってわけだ。」 

 なるほど。何でも興味を持ってすぐ飽きることを繰り返している牛山らしい。

「わかりました。次いつ会うかわかりませんが、機会があれば渡しておきます。」

「すまんの。よろしく頼む。あと、その時には『わしの補習を横着するとはええ度胸じゃの。』と言っといてくれ。」

 すみません。と僕は謝っていた。そしてすぐに僕が謝ることでもないか、と思った。その内心を見透かすように「なになに、高梨が謝ることじゃないわ」とカラカラ笑いながら志田先生は職員室に戻っていった。ちなみに志田先生は何セットもカルタを持っているらしく、これは別に返さなくても構わないとのことだ。

 そしてこの時初めて、僕は牛山の姿を一度も見ていないことに気が付いた。いつもなら僕の姿を見かけるとすぐに近寄ってきてちょっかいをかけてくる牛山に、今日は会っていない。つまり補習に来ていなかったのだ。

 まあ牛山のことだ、単にサボりだろうなと思った。「同級生360人全員と友達になる」と入学式当日に宣言し、その野望を実現すべく日々高校生活を満喫している牛山あおいにとって、勉学はどうしても割く時間が削られているのだろう、お世辞にも成績がいいとは言えなかった。予習をすっぽかして授業中にまごまごしていたり、テストが返却される日に、担任が渋い顔で解答用紙を渡し、それを気まずそうに受け取っている姿を何度も見てきた。5組の担任の口癖は「お前どうやって刈宮に合格したんだ?」である。

 まあ牛山は牛山で自慢の友好関係を活用し、最低限の勉学のやりくりはしているらしく、今のところは大目に生温かい目で見守られているのだが、このまま3年生になったらどうなってしまうのかは若干心配である。まあ僕が心配することではないが。


 校門から駅へ向かう道へ出て、校内では電源を切るように指導されているスマホの電源を入れたのと同時に、牛山からLINEの通知が入った。開くと「電話していい?」というメッセージとともに、一枚の写真が添付されていた。黄色い文字で「H16」と書かれた一枚のカードの写真だった。カードは芝生の上に置かれ、それを上から撮影してある。何だこの写真は?と思っているところで牛山から電話がかかってきた。まだ電話をしてもいいと返事を返していないのに相変わらずマイペースなやつだ。

 「もしもし?一生君?」

 「返事をする前から電話をかけてくるなよ。『わさビーフ』。」

 「だからそう呼ぶのやめてってば。まあいいや。あんまり時間ないんだよね。今電話いい?」

「補習終わりだよ。ていうか牛山、補習はどうした。」

「そんなモリケンみたいに野暮なこと聞かないでよ。明日はちゃんと行くから。」

 牛山は悪びれもなくそう答えた。ちなみにモリケンとは僕と牛山の所属している1年5組の担任のあだ名だ。

「送った写真は見てくれた?」

「ああ、何だこれ?」

「今からさ、そのH16が示している場所に行かないといけないんだけどさ、一生君、それ何のことだか分かる?」 

 色々と話が見えてこないので僕は混乱した。この文字が指し示している場所へ行けだと?なんだそれは?なんでそんなことを僕に聞く?そもそも牛山はどこで何をしているんだ?

「ていうか牛山、お前今どこにいるんだ?」

「庄内緑地。」

「庄内緑地って、名古屋のか?」

「そうだよ。名古屋の庄内緑地公園。」

 庄内緑地は、刈宮市から電車で20分、名古屋市北部にある公園である。その名の通り名古屋市を流れる庄内川の河川敷にあり、サイクリングコースや陸上競技場などがある。また広い芝生広場があり、たまに野外イベントなどが行われてもいる、名古屋市民の憩いの場の一つだ。

 「そんなところで何をしてるんだよ?」僕は尋ねた。

 「あのさ、一生君、『高校生クイズ』って見たことある?」

 「あの、毎年9月にやってる『知の甲子園』のことか?3人で参加して、謎解きとか早押しクイズをする?」

「そう、それ。私は今、その高校生クイズの地方予選に参加してるんだ。そしてさっきのカードが、私たちがこれから解かなきゃいけない謎なの。」

 予想外の展開に僕は言葉を失った。そして牛山は電話の向こうから付け加えた。

「ねえ一生君、お願い。あおいを全国大会に連れてって。」


 牛山のボケには一切リアクションを取らずに刈宮市駅の方へ歩を進めた。スマホの向こうで牛山のいつものドヤ顔が浮かんできたので、このまま電源を切ってやろうかと思ったが、ギリギリのところで踏みとどまった。駅へ向かう途中、電話口で牛山が説明してきた内容をまとめると以下のようになる。

 高校生クイズ、正式名称『全国高等学校クイズ選手権』は、日本テレビが主催するクイズ大会だ。同じ学校に通う高校生が3人1組で参加し、全国の予選を勝ち抜いたチームが全国大会で日本一を目指して競う。クイズの内容は多岐にわたり、知識だけでなく発想力やチームワークも試されるのが特徴だ。  

 僕は知らなかったが、どうやら刈宮高校にも「クイズ部」があるらしい。部員の数は少ないが、近年のクイズブームも相まって徐々に部員数は増えているらしい。

 そのクイズ部のメンバー数人が今日の高校生クイズの地方予選に「部活動の一環」として参加しており、その中には1年生で編成されたチームもエントリーしていた。しかしその登録メンバーの一人で、1年5組の内山司うちやまつかさが季節外れのインフルエンザに罹患していることが判明し、自宅療養を余儀なくされた。本来ならば内山チームは失格となるところであるが、何の落ち度もない他の2人のメンバーに対し申し訳なく思った内山が牛山に声をかけ、それを快諾した上で代打で出場することになったという経緯らしい。ちなみに事前エントリーの時点で出場者の顔写真までは求められていないため、今日だけなら別人が参加していることを見咎められる可能性は低いと判断し、この作戦を強行したらしい。この日のために牛山はクイズ部に本日付で仮入部することで体裁を整えるという気合いの入りようだ。

「それに『内山』と『牛山』だからほとんど同じようなもんでしょ?同じクラスなんだし。」と牛山は言い放った。その理屈はどうなんだ。

 ちなみに他の2人のメンバーも男子生徒なので、牛山は高校指定のカッターシャツを着た男装で参加しているらしい。わざわざ美容院に行って髪をバッサリ切ったというから驚きだ。「暑くなってきたからちょうどよかった」と牛山は言っていたがそれもどうなんだ。また牛山曰く「こういう時は堂々としているのが一番。こそこそしているから怪しまれるのよ。江戸川先輩みたいにね。」とのことである。

 どうにかこうにかして無事に庄内緑地公園に到着した牛山たちは、堂々と受付を通過し、高校生クイズの予選に何食わぬ顔で参戦した。最初の問題は◯✕クイズだった。牛山たちはその関門を無事突破、その時点で参加したチームが30チーム程度に絞られた。そして次の関門として渡された封筒の中に入っていたのが、先ほど牛山が送りつけてきたあの1枚のカードだというのだ。困惑する参加者たち。地方予選の司会進行を務める日本テレビ系列のアナウンサーはこう告げた。

「その文字が指し示す場所へ向かえ。そして7つの星を集めろ。それを集めた者には、願いを叶えるチャンスを与える」と。

 

 「しかし、クイズ素人のくせに、よく最初の◯✕クイズを突破できたな。他の二人はそこそこクイズができるのか?」

 刈宮市駅に到着した僕は、改札には入らず、駅前のロータリーにあるベンチに腰を下ろした。校門の前からの牛山とのスマホでの会話は今も続いている。このままの状態で電車に乗るわけにはいかないだろう。

「まあ、一応今日まで高校生クイズのための対策はしてきたみたい。あと私、◯✕クイズは昔から得意なんだ。7問全部私が答えたんだよ、そして全問正解。」

 牛山が電話の向こうで得意げにそういった。

 「あと、さっき浅見君と井川君に聞いてみたら、他の学年の刈宮高校のチームは〇×クイズの時点で全員敗退しちゃったらしいの。つまり刈宮高校クイズ部の夏は私と一生君にかかってるってわけ。どうよ一生君、少しは燃えてきた?」

 浅見、井川の名前に心当たりはなかった。おそらく他のクラスだろう。牛山と違い、誰とも友達にならないという意志の元、高校生活最初の夏休みを迎えている身としては、自分のクラス以外の同級生の名前と、所属している部活動なんてのは地球の裏側の国の外務大臣の名前と大して変わらない程度の情報だった。

 僕はもう一度牛山から送られてきた写真を頭の中に思い浮かべた。

「Hの16。この文字が指し示す場所に向かえって言われたんだな?」

「そう。二人にも聞いてみたんだけどピンと来ていないみたい。H16でググっても自動車の部品しか出てこないし。何でも例年は一般的な知識を問うクイズが多かったから、こんな謎解きみたいなのが出されるとは思っていなかったって。」

 牛山のため息が聞こえた。なるほど、知識を問うというよりも、ひらめきとか発想のやわらかさが求められるタイプの問題だろう。牛山と参加しているメンバーはこっちの謎解きは苦手なようだ。

「で、なんとなくそのまま芝生の広場にいてもしょうがないから、今、入り口の公園の案内図の前でいろいろ考えているところ。ねえ、一生君、何か思いつかない?」

 まあ、スマホが生活必需品になっている以上、検索してすぐに答えが出るものを謎解きの答えにはしないだろう。少し本腰を入れて考えないといけない気がする。

「他に何か手掛かりはないのか?そのカード以外に何か出題者側から渡されたものの中にヒントがあるかもしれない。」

 僕はそう聞いてみた。

「ええと、待ってね。井川君、ちょっと電話代わってくれる?」

 牛山がそういうと電話口に井川と呼ばれたクイズ部のメンバーが出た。

「もしもし。1年2組の井川です。そちらは?」

「1年5組の高梨。牛山のクラスメイトだ。」

「なんか巻き込んで申し訳ないな。あ、俺は浅見だ。井川と同じ2組。」

 自己紹介もそこそこに、丁寧な話し方の井川と、少し雑多な口調の浅見が交互に説明を始めた。この地方予選に参加をすると、当日までに必要な書類一式が代表者に送られてくるそうだ。必要書類を記入し、同封されていた筆記用具や名札などを持参するよう指示されていたらしい。今日は出発前に代表者の内山の家へ行き、必要なもの一式を玄関で受け取ってから参加しているという。

「入っていたのは名札とそれを首から下げるためのホルダー、番組ロゴが入ったオリジナルの3色ボールペンとバインダーにメモ帳、あとスポンサーの試供品と地下鉄バスの一日乗車券です。これも今回の高校生クイズ用に作られたオリジナルデザインのものでした。」

 井川が答えた。その後、LINEに物品を一枚に収めた写真が牛山から送られてきた。試供品の多くは洗剤や歯磨き粉、そしてデオドラントスプレーに汗拭きシートなど、スポンサーである日用品メーカーの定番商品が含まれているようだ。

 3色ボールペンやバインダー、それにメモ帳というのは、今日のクイズのために必要になるもの一式だろう。そして一日乗車券か、会場までの交通費も兼ねているのだろうか、と思ったところで何かが頭の中で引っかかった。井川に一言断ってから会話を中断し、通話アプリとは別に路線情報アプリを開いた。すぐに知りたい情報が得られ、同時に「H16」の謎が解けた。なるほどそういうことか。

 するとスマホから牛山の声が聞こえてきた。

「ねえ、一生君。何か他のチームが公園を出て地下鉄の駅の方に向かってるけど、何か分かったのかな?私たちも行った方がいい?」

「ああ、そうしたほうがいいな。他の二人にもそう伝えろ。理由は移動中に説明する。牛山、電話しながら移動できるか?」

「うん。通話もできる無線イヤホンだからそのまま移動できるよ。」

「わかった。じゃあ牛山、名古屋市交通局のホームページは今見られるか?」

 ちょっとまってという声とともに、牛山が「ねえねえ井川君、ちょっとスマホ貸して」という声が少し遠くから聞こえた。

「開いたよ。」

「よし、じゃあ名古屋市営地下鉄の路線図を表示してくれ。」

電話の向こうから路線図路線図と牛山がつぶやく声が聞こえてくる。その直後に牛山が息をのむのが聞こえてた。

「!?一生君!これって…!」 

「駅ナンバリングだ。」

「駅ナンバリング?」

「ああそうだ。牛山、刈宮市駅でも駅名の看板は見るだろ?それに駅の名前とは別に、アルファベットと数字の組み合わせが表示してあるのを見た覚えはないか?あれが駅ナンバリングだ。日本語に馴染みのない外国人旅行者にも駅の説明がしやすいように多くの鉄道で採用されてる。そして当然、駅ナンバリングは名古屋の地下鉄に設定されている。「H16」は地下鉄東山線の「本山駅」だ。アルファベットと数字が黄色い文字で書かれていたのも東山線のカラーと一致している。間違いない。今から地下鉄に乗って、本山駅に行けば何かわかるんじゃないか?」

 僕の言葉を聞き終わらないうちに電話の向こうから牛山の「わかった!!さあ行くわよ!!」という威勢のいい声とそれを追いかける井川、浅見両名の慌てた様子が伝わってきた。

 駅構内は走るな、あと電車に乗ったら通話はするなよと牛山に呼びかけると「了解!」という返事とともに通話が終了した。さっき開いたアプリによると、庄内緑地公園駅から本山駅までは乗り換えも含めて35分ほど。次の電話はそのあたりだろう。ここから僕の自宅の最寄り駅の碧中央駅までは20分、帰りの電車がちょうど3分後に駅を出るので、次の連絡までには帰宅できるはずだ。そう踏んだ僕はスマホをしまい、刈宮駅の改札を抜けて階段を駆け上がった。


 電車に揺られていると、牛山からLINEの通知が来ていた。牛山が今日のために作成した「高校生クイズ予選」というグループへの参加通知だった。僕はそのグループに参加を表明したのちにメッセージを送った。


高梨「無事に乗れたか?」

牛山「うん。ちょうどいい電車がきてラッキー」

井川「ありがとうございます。助かりました。」

浅見「たぶん正解だ。いい推理だった。」

牛山「一生君、名古屋の地下鉄事情に詳しいじゃん?鉄ちゃん?(笑)」

高梨「父方の在所が名古屋だから、名古屋の地下鉄はよく使う。あと古本市とかでたまに大須も行く。」

牛山「へー。」

高梨「それよりも浅見も井川も2組だよな?今日の補習、志田先生の古文だぞ?」

浅見「それは問題ない。志田先生には前もって許可取ってある。」

井川「怒られるかな?と思ったらノリノリで行って来いって言われました。」

牛山「さすが志田先生。いい人」

浅見「なんか和歌、詠んでたな。何だっけ。」

井川「『熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな』だそうです。」

高梨「額田王だな。」

牛山「誰それ。一生君和歌まで詳しいの?」

高梨「今日の補習で出たんだよ」


 あれが駅ナンバリングだと気付いたきっかけは参加者に事前に渡されていた一日乗車券だった。予選参加の記念品と遠方から参加するチームへの交通費だと考えられなくもないが、それには一点、気になることがあった。金額である。名古屋市交通局のサイトを見ればわかるのだが、名古屋市営地下鉄の一日乗車券には土日祝日に使える1枚620円の「土日エコ切符」とそれ以外の日に使える1枚870円の「バス・地下鉄全線一日乗車券」がある。そして今日は金曜日、高校生は夏休みだが、世間は平日。使えるのは「全線一日乗車券」だ。なのでこの乗車券が同封されていたことには問題がないのだが、これが庄内緑地公園駅から参加者の最寄り駅の往復分の交通費だとするとなのだ。どんなに遠くから地下鉄に乗っても庄内緑地公園駅までは片道340円、つまり往復680円で済む。にもかかわらず全員に870円の「一日乗車券」が配られていたのはなぜだろうか。まあ参加チームそれぞれの交通費を個別に計算するのは面倒だっただけの可能性が高いが、なんとなく「この一日乗車券を使って何度も地下鉄を乗り降りする」ことを念頭に乗車券が配られている気がしたのだ。

 地下鉄の乗り換えのタイミングで一度LINEのやり取りを中断することにした。本山駅に着き、何かあったら連絡をする旨のメッセージを受け取るのと、僕の乗っている電車が碧中央駅につくのが同時だった。

 電車を降りて初めて、自分が昼食を食べ損ねていることに思い当たった。さすがにお腹が減っている。僕は駐輪場から自転車を引っ張り出し、自宅へ向かって漕ぎ出した。途中、コンビニで割引になっていた菓子パンとサンドイッチ、それと缶コーヒーを買い、ついでに店内のコピー機で名古屋市営地下鉄の路線図をスマホから印刷した。自室にはパソコンがあるのだが、これからの展開を想像するに紙で把握できる路線図があったほうがいい気がしたからだ。そうこうしているうちに牛山たちが本山駅に到着する時間が近づいていた。僕は急ぎ気味でペダルをこぎ、自宅へ向かった。

 両親は当然仕事で外出しているので、自宅には誰もいない。弟もまだ高校から帰ってきていないようだ。玄関で靴を脱いでいるタイミングで牛山からの着信が入った。僕は制服を洗濯籠に放り込み、部屋着の上下を適当に選んで2階の自室へ入った。

「悪い、牛山。今部屋に戻った。」

「いいよいいよ。私たちも今、本山駅でいろいろ終わったところだから。」

 牛山の声がスピーカーフォンに設定したスマホから聞こえてきた。

「ということは、あれはやっぱり駅ナンバリングで正解だったんだな。」

「そうだね。改札出たらさ、高校生クイズのスタッフジャケット来た人が案内してた。そうしたら高校生クイズ用のブースみたいなのがあったんだ。そこでいろいろ説明を受けた。次のカードももらったよ。さすがだね一生君、今日も冴えてる。」

 牛山の声が弾んでいる。

 本山駅で何があったか説明しておくと、ブースに到着後、スタッフから例の「H16」と書かれたカードを提出するように指示された。牛山たちが提出すると、その裏面に五芒星の中に「1」の数字が書かれたシールを貼った状態で返却された。そして一から九の漢数字が書かれた箱を一つ選び、新しいカードを受け取るように指示された。そしてその指令が示す場所で同じようにスタッフへと提示し、新たなカードを受け取るように言われたそうだ。そして「指令を受け取るときは必ず3人でいること」「同じ漢数字の箱には同じ指令が入っているので、一度選んだ漢数字の箱を再び選択しないよう注意すること」を注意事項として説明されたそうだ。

 そして牛山たちが選んだ箱から得たカードには青い文字で「T8」と書いてあった。庄内緑地公園と同じように画像がLINEにも送られてきた。これは鶴舞線の「大須観音駅」の駅ナンバリングだ。そこへ向かう前に牛山たちも駅構内のコンビニで食べ物を買い、地下鉄の到着を待っている状態だった。

 「つまりこれで2枚の「星」が手に入ったてこと・・・いや、集める星は7つだけど、箱は9つ。つまり「星」ではない「はずれ」が3枚紛れ込んでるから大須観音駅で貼られるシールが「あたり」の「星」であるかはまだ分からないか。」

 僕は買ってきたサンドイッチを食べながら独り言を言った。


浅見「でもこれを7枚集めると、どうなるっていうんだ?」

牛山「きっとすごい奇跡が起こるのよ。親友テレカみたいに。」

高梨「お前は本当に令和の女子高生なのか」

井川「そこはもう普通にドラゴンボールでよくないですか。」

牛山「てかみんなドラえもんズ知ってる?私はドラリーニョが好き。」

井川「知らないです。」

浅見「知らんな。」


 そんなバカみたいなLINEのやり取りがまた途絶えた。大須観音駅に到着したのだろう。僕は少し空腹感を感じながら、口の中を冷感が失われた缶コーヒーで潤した。

 7つの星を集めるまで、この移動が繰り返されるとなると、なかなかの長丁場だ。名古屋の夏は信じられないくらい蒸し暑い。あまりの暑さから逃げるように名古屋の人々は地下街を充実させてきた。名古屋市営地下鉄名城線は日本初の地下鉄環状路線だ。この暑さの中で高校生クイズらしい「ひと夏の冒険」をするには熱中症のリスクの少ないこのやり方は上手にできているなあと思う。次の行き先を参加者にランダムで選択させることで駅での混雑を緩和し、他の利用者へ配慮もしている。また3つの外れを仕込むことで運要素も取り入れている。移動している牛山たちには悪いが、エアコンの聞いた部屋で一人で謎解きをするのも悪くない。気分は安楽椅子探偵だ。

 そうしていると、牛山からまた画像が送られてきた。一枚目は「T8」のカードの裏に「7」の星の数字が張られた写真。どうやら牛山たちが引いたカードは2枚目も「あたり」だったようだ。そして次のカードは「S5」の赤い文字。桜通線の「久屋大通駅」を示していた。多少乗り換えが面倒くさいが、大須観音駅からは比較的近い駅を引き当てていた。僕は先ほどコンビニでコピーしてきた名古屋市営地下鉄の路線図の「久屋大通駅」に丸印を付けた。


牛山「久屋大通か、そういえば、リンリンたちが聞いてたあのラジオ局、久屋大通の近くだった気がする。」

高梨「そうだったけか」

牛山「井川君たちはラジオって聞く?」

井川「聞かないですね。」

浅見「父親が運転する車でしか聞かないな。」


 その後の牛山たちからの報告は続いた。「S5」のカードの裏には「6」の星のシールが張られ、次のカードは「H4」。東山線の「中村公園駅」が次の目的地だった。そうして移動時間の空白と写真の報告が繰り返され、牛山たちが7枚の星のついたカードを手に入れたときには、時刻は3時半を過ぎていた。カードの順番と、それに対応する星の数字をまとめると次のようになる。


「H16 本山もとやま 星1」

「T8 大須観音おおすかんのん 星7」

「S5 久屋大通ひさやおおどおり 星6」

「H4 中村公園なかむらこうえん 星5」

「S11 桜山さくらやま 星3」 

「M13 ナゴヤドーム前矢田なごやどーむまえやだ 星4」

「M18 名古屋大学なごやだいがく 星2」


 牛山たちが最後のカードを手に入れたのは名城線の「名古屋大学駅」だった。最初の本山駅から名城線で一駅、刈宮高校からも毎年多くの生徒が進学する国立大学、名古屋大学の最寄り駅だ。そこで「2」の星のシールを張り付けられた写真が送られてきたあとで、牛山は僕に電話をかけてきた。


「一生君、聞こえる?今、大学の外の適当なベンチに座ってる。浅見君も井川君もいるよ。とりあえず7枚のカードは集まったけど、これ、いったい何なんだろうね。」

「7枚目を集め終わったあとで、何か今までとは違うことがあったわけではないんだな?」 僕は尋ねた。

「そうです。これで終わりでした。」

「スタッフからは、特に何も言われず、別のアイテムももらわなかった。」    

 スピーカーの向こうから、井川と浅見の声も聞こえてくる。外にいるので多少雑音がするが何とか会話は聞き取ることができた。

 ということはこの7枚のカードを手に入れた時点で、最終目的地を推理する材料は全てそろったと考えるべきであろう。僕は駅ナンバリングが示す駅名と、それに対応する星の数字をもう一度眺めてみた。

「牛山さん、この裏面の星と数字が何かカギになると思うんです。」

 井川の声が聞こえた。

「星と数字?」

「だって、アルファベットと数字が駅ナンバリングを表しているのに、カードに追加された星と数字については7枚集め終わっても謎解きに使っていないじゃないですか。こういう時はこの星と数字を何かに使うと思うんですけど。」

「確かに、そうかも。一生君、どう思う?」

 確かに井川の言う通りだ。この星と数字を何にも使わないというのでは筋が悪い。しかしそうはいっても何にどう使えばいいのだろうか。

「しかし、はずれを引かないまま最短で7枚のカードが集まったのはよかったけど、早く謎を解かないとね。あー、何だろうこれ。暑い中移動してきて疲れたから何も思いつかないや。」

 牛山の間延びした声が聞こえる。さすがの牛山も夏の名古屋市内を東西南北に縦横断するのは大変だったと見える。

 すると浅見の方が口を開いた。

「高梨、俺が思うに、この予選、この謎を解いた先の最終ラウンドは早押しクイズだと思うんだ。」

「どういうことだ?」

「だって○×クイズや、謎解き的な形式もいいけど、やっぱりクイズの醍醐味は早押しクイズだろ?今日はここまで普通の早押しクイズをしてない。だからこれから向かうべき場所はそう言った早押しクイズができるような場所だと思う。」

「なるほど。」

「確かに、このまま早押しクイズをせずに終わるのは嫌ですね。」

 井川も同意した。

「あ、そういえば、今まで聞いてなかったけど、クイズ部って普段どんな活動してるの?」

 牛山がそう二人に尋ねた。

「基本的には、部室にある早押しクイズができる機械、僕たちは『押し機」って呼んでますけど、それを使って、誰かがクイズを読み上げて、それで早押しクイズをしてます。」と井川。

「部室には早押しクイズの問題が載ってる問題集が何冊もある。今は日本全国にあるクイズサークルが作った問題集をネット通販で手に入れることもできるからな。でも俺や井川みたいに高校生になってからクイズを始めたような人間は最初はよく出る基礎的な問題を覚えることから始める。百人一首も札の歌を覚えることから始めるだろ?あれと一緒だ。」浅見が続ける。

「そうだよね。私も今度の百人一首大会で刈宮扇子、狙ってるから覚え始めたんだんだけど意外と大変。」

 この時、僕は今朝の補習で志田先生から預かった百人一首のことを思い出した。まだ鞄にいれたままだ。牛山にその件を伝えると、「明日の補習の時でいいから持ってきて。」とのことだ。

「基礎ができたら次は『なるべく早くボタンを押す』ための練習をします。基礎問題には『ここまで読んだら答えが一つに絞れる』部分があります。僕たちは『確定ポイント』って呼んでます。ほら、百人一首にもあるじゃないですか、「ここまで読んだら取る札が一つに絞れる」って歌が何首か。」

「あ、私それ知ってるよ井川君。志田先生が言ってた。ええっと、『むすめふさほせ』でしょ?」

「そうです。それは「一字決まり」ですね。この語呂合わせもクイズに出ます。他にも二字決まりや三字・・・。」


「ちょっと待って。」

「ちょっと待った。」


 牛山と僕の声が重なった。

 僕はさっきまで見ていた名古屋市営地下鉄の路線図のコピーをひっくり返し、裏面の余白にボールペンを走らせた。電話の向こうでは牛山が無言で何かを書き出している音が聞こえている。

 電話の向こう側とこちら側で、二人の謎解きが交差していく。


「わかった!」

 先に声をあげたのは牛山だった。ほぼ同時に僕も牛山たちがこれから向かうべき場所を導き出した。

「よし!説明は後!急ぐよ!二人とも!」

 バタバタと牛山が荷物をまとめる音と「ちょっと待て」「どこに行くんですか?」と急展開に慌てる浅見と井川の様子が電話の向こうから聞こえる。電話がつながりっぱなしになっていたので、僕には音声が聞こえていたのだが、牛山のやつ、流しのタクシーを拾ったらしい。まあ必ず地下鉄で移動しなければいけないとは明記されてないからルール違反ではないだろう。タクシーのドアが閉まる音がした。そして牛山が運転手に伝えた行先は、僕が導き出した答えと同じ場所だった。

 

 さて、せっかくの安楽椅子探偵の真似事ついでに、ここでもう一つのミステリのお約束、「読者への挑戦状」をしてみようか。この話が実写ドラマやアニメになった暁には、ぜひとも場面を暗転させて、僕にスポットライトを当ててもらおう。


 果たして牛山と僕がほぼ同時に思いついた、この「高校生クイズ」の謎解きの最終目的地はどこか。あなたは名古屋市を巡って情報を集めた牛山や、自室に居ながらにして真相にたどり着いた僕と同様にこの謎を解き、見事その場所を指し示すことができるか。その答えを導き出すための情報は、全て示されています。読者の皆さんの検討を祈ります。

 高梨一生でした。


 私たち3人が乗り込んだタクシーは、目的地へ向けて動き出した。私は助手席に乗り込み、井川君と浅見君は後部座席に座った。エアコンのよく効いた車内は快適だった。慌てて走り出したことで吹き出した汗が少しずつ引いていくのが分かる。

「牛山さん、どうして「ここ」に向かってるんですか?」

 息を切らしながら井川君がそう尋ねた。

「何って、謎の答えが分かったからよ。」

 私は名古屋大学駅に着く直前に買った500mlのポカリスエットをガブ飲みしながら言った。

「そうだろうけど、俺たちにも説明してくれ。急すぎて全然わからん。」

 浅見君がシャツの襟もとのボタンを外して冷気を体の内側に送り込んでいる。

「ああ、そうか。じゃあこの移動時間を使って説明するね。どっちか紙とペン出せる?」

 私がそういうと、「僕が出します」と言って井川君が鞄から事前に配布されていたバインダーを取り出した。

「準備できた?じゃ始めるよ。さっき百人一首の話が出たじゃない?どこまで読んだらどの札を取るか分かるみたいな。それで思いついたんだけどさ、駅名を全部ひらがなにして、その駅でつけられた星の数字の文だけ読んだ字を拾ってもらっていい?」

 後部座席で井川君がペンを走らせる。それを浅見君が横から覗き込んでいる。


「も」とやま

おおすかんの「ん」

ひさやおお「ど」おり

なかむら「こ」うえん

さく「ら」やま

なごや「ど」ーむまえやだ

な「ご」やだいがく


「書き出したら、今度は並び替えよ。ほら、何て言うんだっけ?アナコンダ?」

「アナグラムだな。」

 浅見君が教えてくれた。

「そうそう、アナグラム。やってみてよ。ねえ、何か見えてこない?」

 そう尋ねると、井川君の方が先に気づいたらしく、声をあげた。


なかむら「こ」うえん

「も」とやま

ひさやおお「ど」おり

なごや「ど」ーむまえやだ

さく「ら」やま

な「ご」やだいがく

おおすかんの「ん」


「コモドドラゴン?」

「ピンポーン。そう、コモドドラゴン。コモドオオトカゲの別名。ここまで言えばもう説明は不要ね?だって日本でコモドドラゴンを見ることができる場所は一か所しかないもん。そう、


 タクシーは名古屋大学を東西に分断する山手グリーンロードを北上し、東山動物園に向かっている。乗り込んだ時に私は目的地を「東山動物園の北門」と運転手に指示していた。なぜなら多くの来園者が利用する正門よりも、コモドドラゴンが飼育されている北園に近い北門の方が早く到着できると踏んだからだ。

「場所なら任せて。東山動物園久しぶりだけど、マップを見る限り、コモドドラゴンの建物は、前にゴリラのシャバーニが住んでた場所と同じみたい。小さいころ何度か連れてきてもらったから、行き方はだいたい分かる。着いたら見咎められないレベルのスピードでコモドドラゴンのとこまでダッシュね。」

 タクシーが到着すると、私は運転手に5000円札をつかませ「おつりは取っておいてください!」と伝え、(一度言ってみたかったのよね。)東山動物園の北門へ向かった。そこには例の高校生クイズのスタッフが待機しており、首から下げている名札を確認すると、そのまま園内に案内してくれた。高校生クイズの参加者は入園料を払わずに済むようになっているらしかった。

 「園内は走らないように。」と注意したスタッフに満面の笑顔で応えたてから、私たちは言われた通りに早歩きでコモドドラゴンが展示されている場所へ急いだ。遠くからフクロテナガザルのケイジが咆哮する声が聞こえてきた。

「あ、そういえば忘れてたけど、私今日、内山君の代理で来てるから、中に入ったら私のことは内山で通すの、忘れないでね?」

 後ろをついてくる二人にそう確認した。二人が「そういえばそうでしたね。」「分かった。」と答えるのと同時に、コモドドラゴンが展示されている建物の前にたどり着いた。スタッフがこれまでに集めた7枚のカードを提示するように指示した。私が7枚のカードを差し出すとそれを確認した後、スタッフはこう告げた。


「よく辿りついた。君達は5番目に謎を解いたチームだ。決勝進出おめでとう。」


 牛山たちがタクシーに乗り込んでからはLINEに連絡が来なくなった。上手くいったかどうかはわからないが、今頃は東山動物園に着いたころか。僕は牛山よりワンテンポ遅れて「コモドドラゴン」を導き出した路線図のコピー用紙を丸めてゴミ箱へ放り込んだ。

 なるほど。「7つの星」がついたアイテムを集めて、「ドラゴン」を呼び出したのか。やっぱり最初からドラゴンボールでよかったんじゃないか。


 LINEが来た。

 牛山「決勝進出(ピース) これから早押しクイズ」

 僕は「そうか。足引っ張るなよ」


 それから1時間後、全国大会出場を決めた3チームが、コアラ舎の前で撮った集合写真が送られてきた。ドラゴンボールの作者、鳥山明先生がデザインしたコアラのレリーフの前で、他のチームと一緒に牛山、井川、浅見の3人が笑顔で並んでいた。

 井川と浅見の顔を見たのはこの時が初めてだった。顔も知らない同級生と協力しながら一日中謎解きをしていたのかと思うと、なんだか不思議な気持ちがした。


「祝勝会するから、一生君も来ない?」

 そんな連絡がきたのは、全国大会出場の写真が送られてきた一時間後の17時半ごろだった。とりあえず牛山がイベントの大小にかかわらずことあるごとに誰かと祝勝会と称して飲み食いをするのが好きなのはわかった。

 料理を担当している父親に電話をかけて、今日の顛末と夕食について聞いてみたところ、今日の献立は肉じゃがで、今日の僕の分を明日に回すことができるので、せっかくだから行ってくればいいとの返事だった。そういえば志田先生から預かった百人一首のカルタを渡すいい機会だ。牛山に参加する旨の連絡を入れてから、部屋着からもう一度外出用の私服に着替え、僕は家を出た。

 牛山が待ち合わせに指定してきたのは、刈宮市駅の一つ先、JRとの乗換駅でもある刈宮駅の北口だった。補習に出席するために今朝一度乗った電車に揺られ、僕は刈宮駅を目指した。

 ホームから改札に上がると、すでに改札の向こうで牛山が待っていた。クイズの参加していた時の男装とは違う、女の子らしいピンク色のTシャツにデニムの短パンという格好だった。私服姿の牛山を見るのは初めてだったが、何を着ても様になるやつだ。(あといつもピンク色だな。)今日のためにばっさり切った髪型もよく似合っているんじゃないかと思う。よくわからんが。

 「なにげに私服の一生君見るの初めてかも。ていうか夏なんだからそんな黒っぽい服着てたら暑くない?AIが生成した陰キャの画像みたい。よくわかんないけど。」

 余計なお世話だ。

 近くに自動車関連企業の本社があるため、刈宮駅北口周辺はサラリーマン御用達の居酒屋がひしめくちょっとした歓楽街だ。そして未成年お断りな風俗店も軒を連ねている方向へ、牛山がずんずん歩を進めていくのを少し心配しながら僕はついて行った。まだ宵の口なので人はまばらだが、高校生の男女がうろうろしていることについて後ろめたさを感じる雰囲気で満ちているのは間違いない。てっきりファミレスかカラオケにでも行くかと思っていたのだが、いったいどこに向かっているのだろうか。

 メインストリートから外れ、薄暗い路地に牛山が入っていたタイミングで、さすがに声をかけようとしたのと同時に、牛山が「着いたよ」とこちらを振り向いた。

 えんじ色の暖簾に「おばんざい」の文字が見えた。その暖簾をくぐると左側に料理場とカウンター、右側に二人掛けのテーブル席があった。まだ他の客は入っておらず、 その間の通路を進んで、正面にある座敷席のふすまを牛山が開けた。ふすまの向こうは畳敷きで、6人ほどが座れそうな机と座布団が敷いてあった。井川、浅見両名はすでに着席しており、おしぼりとお冷の入ったグラスを前にして居心地が悪そうにしていた。その理由はというと、彼らの向かいの席に僕のクラスメイトかつ牛山の幼馴染、馬原潤がコーラを飲みながらスマホをいじっていたからだ。

「何で馬原までいるんだ。」

「『暇?』って聞いたら『暇!』って返ってきたから誘ったの。」と牛山。

「おじゃましてまーす。てか高梨君と話すの初めて?どーも、『マハラジャ』こと馬原潤でーす。うちの『わさビーフ』がいつもお世話になってまーす。」

「だからその名前で呼ぶなっていってんでしょ?せめて「わさび」って呼べ。」

 牛山が本気で嫌そうに顔をゆがめてから馬原の隣に座った。僕はなし崩し的にその向かいに座っている井川の隣に腰を下ろした。

「はい、一生君お疲れ様。飲み物何がいい?ソフトドリンクだとコーラかウーロン茶しかないけど、ウーロン茶でいいよね?」

「ウーロン茶でいい。しかしどこに連れていかれるかと思ってたけど、大丈夫なのか?ここ居酒屋だろ?」

「ここ、私のお母さんの店だから大丈夫。この座敷は貸し切り。2階と隣が私たちの住んでる家。裏で繋がってる。まあ青少年なんとか条例とか言い出すと面倒だけど、要はだから何も問題ないでしょ?」

 そういって牛山は「お母さーん、一生君来たから料理持ってきてー。」とふすまを開けて厨房の方へ声をかけた。「はーい」という返事が聞こえた。以前牛山が「家が自営業」と言っていた記憶があるがまさかの居酒屋だったとは。

 しばらくすると全員分のコーラとウーロン茶を入れたジョッキを牛山が運んできた。たまに店を手伝うこともあるのか運び方が様になっている。牛山と馬原がコーラ、僕と井川、浅見がウーロン茶だった。しかしジョッキに有名なウイスキーメーカーのロゴがばっちり入っているので、一見すると誤解しか招かない状況になっている。店が混雑してくる前に切り上げた方がよさそうだ。

 「じゃあ、刈宮高校の高校生クイズ全国大会出場を祝って乾杯!お疲れー。」

 牛山の発声で5人はジョッキを合わせた。勢いよくコーラを飲みほした牛山がすぐに特大のげっぷをかました。花も恥じらう令和の女子高生が異性の前でそれはどうなのか。それを聞いてゲラゲラ笑っていた馬原が牛山に負けない音量のげっぷをしたところで、牛山の母親が料理を運んできた。

 あまり長居するとそれぞれの家で心配をかけるという配慮の元、最初からご飯とみそ汁とポテトサラダ、それと牛山が「世界一おいしい」と豪語するチキン南蛮が運ばれてきた。その言葉の通り、大きめに揚げられたチキン南蛮に、ゆで卵とラッキョウがたっぷり入った少し甘めのタルタルソースがよくあってものすごくおいしかった。それを牛山に伝えると、「タルタルソースのレシピならあとで教えてあげるよ。」とのことである。

 話題は今日のクイズに移っていく。飛び入りにも関わらず、○×クイズを全問正解し、地下鉄を乗り継ぎながら集めた謎をいち早く解読した牛山に、井川が改めて感謝の意を伝えた。

「他の先輩たちはみんな間違えるくらい難しかったのに、牛山さんすごかったです。感動しました。」

「だーから言ってたでしょ?私、○×クイズ解かせたら私、無敵だから。」

「たしかにあおいは昔から勘がいいよね。小学生のころからずっとさ。ゲームブックとかいつも爆速でゴールしてたし。」

 馬原が自分が褒められたみたいに嬉しそうな顔をしながらそう言った。

「うわ、ゲームブックとかめっちゃ懐かしい。あの選択肢を選んで、指定されたページを読んでいくやつだよね?小学生にころよく読んでた。」

 そういえばあったなそんなの。

「ところで牛山、全国大会は誰が行くんだ?」

 僕は口の端についたタルタルソースをおしぼりで吹きながら牛山に聞いてみた。

「そりゃあ、内山君よ。東京での収録は8月らしいし、そのころにはさすがにインフルエンザも治るでしょ。」


 食事が進む中で、次第にそれぞれが座っていた席の場所が移り、馬原と井川たちがYoutuberの話題で盛り上がり始めたタイミングで、僕の正面に牛山が移動してきた。 

 牛山が「お疲れ様。」とコーラを近づけてきたので、僕もそれに応じた。

「ねえ、一生君、今日、楽しかったでしょ?一人でいるのもいいけどさ、たまにはチームプレーも楽しいって思わなかった?」

 牛山がそう聞いてきた。

「そうだな。たまにはこういうのも悪くないな。」

 僕は少しうつむいて答えた。

 そんな僕に、牛山が少し真剣な口調で話を続けた。

 「一生君に何があったかは知らないし、詮索もしない。話したくないなら話さなくてもいいよ。でもさ、友達になることって、私、そんなに身構えて考えるものじゃないと思うんだ。友達になる理由なんて『一緒に遊んで楽しい』だけでいいんじゃん。今日みたいなことがあった時、一生君が私といて楽しいと思ってくれるなら私もうれしい。お互いがそう思えばそれはもう友達だよ。だから私と友達になること、もう少し力抜いて考えてみてよ。」

 牛山の言葉の一つ一つが僕の身体の中を巡っていく。

 「そうだな。正直、刈宮に来てから今日まで、牛山とのあれこれが、楽しくなかったわけじゃない。今日だって、なんだかんだで楽しかった。だから「友達を作らない」ことを続けることに、前ほど意味を見出せなくなっているのは正直感じる。」

 ここで僕は顔を上げて、牛山の目を見つめ返した。

「だけどやっぱりまだ早いと思ってる。あの日のことを完全に過去にしてしまうことに、僕の中でまだ折り合いがついていない。このまま妥協したら、いつか後悔する気がする。だからもう少しだけ、時間をくれないか。」

 僕の言葉を聞いて、少しだけ残念そうな顔をした牛山が、すぐに笑顔になった。

 「そっか。一生君が少しずつ変わってくれてることは、すごくいいことだと思う。じゃあ、これからも一生君が好きそうなことがあったら誘うね。一生君が私と友達になってもいいって思ってもらえるような、私と友達になったほうがこれからの高校生活が楽しいと思えるように。」

 ここで馬原が牛山を呼んだ。門限が近いから早くデザートが食べたいそうだ。

「はいはい、すぐ出しますよ、待ってくださいね、お嬢様。」

 牛山はそう言って僕の向かいの席から立ちあがると 「お母さん、杏仁豆腐まだー?」と厨房に呼びかけた。「もうできてるから持って行ってちょうだい。」と声が返ってきた。


 食事会は一時間ほどでお開きとなった。金曜日とあって徐々に店に仕事帰りのサラリーマンたちが集まってきていた。僕らが食事をしていた奥の座敷には居住スペースにつながる通路があり、そこから他の客から目につかない方法で店を出た。

 馬原は迎えの車が来るとのことなので、店の前で別れ、僕ら3人はネオンサインと呼び込みの声であふれる通りを速やかに抜け、駅に向かった。井川達とはJRの改札の前で別れた。

 「高梨君も、今日はありがとう。」

 井川が改めて頭を下げた。

 「ああ、牛山から謎の画像が送られてきた時は何だと思ったが、やってみたら意外と楽しかった。全国大会、頑張れよ。」

「なあ、高梨もクイズ、やってみないか。お前、才能あると思うぜ。先輩たちから人数をもっと集めてくるように言われてるんだ。」

 浅見が真剣な顔で勧誘してきたが、「やめとくよ」と僕は固辞した。

 そうして僕らはまたお互いに握手をしてからそれぞれの帰途に就いた。夜の刈宮駅は、家路に急ぐ人と、金曜の夜を楽しむ人たちがそれぞれの行き先に向かって交差していった。その隙間を縫うように人込みを抜け、僕は改札をくぐった。


 電車は僕の帰る街へと静かに動き出していた。母親に「刈宮駅を出た」旨のLINEを送信した後、対面シートの向こうに流れる、通学の時とは違う夜の車窓を眺めながら、僕は牛山とさっきまで交わした会話のことを考えていた。

 高校に進学するとと同時に買い与えられたスマホ。大して最新式でもないこの端末にも、最近話題の生成AIが搭載されている。何のために存在しているか分からないこのテクノロジーに「友達ってどういう存在ですか?」と気まぐれで打ち込んでみた。数秒後、無機質な人工知能はこんな回答を返してきた。

「友達とは、喜びや悲しみを共有し、互いに支え合う存在です。一緒に笑い、時には悩みを聞いてくれる、人生を豊かにするパートナー。信頼と理解を基に、気楽に自分らしくいられる関係が友達の魅力だと思います。」

 友達を作るのをやめようと心に決めたあの日のことを思い出した。かつて友達だった彼の顔がまた浮かんだ。思い出の中の彼はいつも悲しい顔をしている。彼は、この世の全てに絶望し、愛想を尽かしたような目で僕を見ると、そのまま二度と振り返らずに、僕のもとから離れていく。

 あの日の僕が、今日の自分を見たらどう思うだろう。クラスの女子が持ち込む小さな謎に、文句をいいながら向き合うことに小さな喜びを感じている自分を。友達になりたいと手を差し伸べてきた彼女を、受け入れてもいいかと思い始めている自分を。

 あの日のお前の誓いは何だったんだと責めるだろうか。それとも時間が経ってまた新しい一歩が踏み出せたじゃないかと称えてくれるだろうか。

 僕はスマホの電源を切った。画面を閉じるだけではこの思考の連鎖を断ち切ることができないような気がしたから。眠りについた端末を、僕は鞄の中に放り込んだ。

 少し感傷的にはなったが、今日はここまでにしよう。今はさっきまで食べていた、あのチキン南蛮が、僕の頭と心を満たしてくれている。この電車が駅に着くまでの間なら、僕が幸せな気持ちに包まれていることを誰も咎めやしないだろう。そんなことを考えながら、僕は動き出した車窓から注ぎ込む、登りかけの月の光と一緒に電車に揺られることにした。電源を落とされたスマホのように、僕は目を閉じた。そして少しだけ、彼も同じ月をどこかで見ていればいいな、と思った。


 刈宮高校が高校生クイズの全国大会出場する、というニュースは瞬く間にクラスメイトおよび刈宮高校の関係者の間を駆け巡った。それに牛山が嚙んでいることが馬原によって伝えられると、1年5組のグループLINEは、一晩中、その話題で持ちきりだった。

 

 翌日、補習の参加者は刈宮高校の別棟で、そわそわしながら牛山が来るのを待っていた。そして開始時間ギリギリに制服の襟とスカーフ、男装のために短くした髪を振り乱しながら「寝坊した!!」の一言で駆け込んできた彼女を全員が歓声で迎えた。

 逆転サヨナラホームランをライトスタンドに叩き込んだメジャーリーガーのようにハイタッチをしながら、牛山は照れくさそうに自席に向かう。あの時の牛山のドヤ顔は、朝からすでに蒸し暑い別棟の中で、額の汗とともに、真夏の太陽に負けないくらいに輝いていた。


LINEが来ていた。

牛山「ねえ、聞いた?内山君、インフルエンザが治ったあと、自転車で派手に転んで、膝の靭帯やっちゃって、今松葉杖だって。」

高梨「マジか」

牛山「さすがに松葉杖じゃ無理だから代役が認められるかどうか確認中だってさ。」

高梨「もうそのままお前が出ればいいじゃないか」

牛山「やっぱそう思う?牛山あおい、全国デビューしちゃう?どうしよう。事務所にスカウトされたら。私って清楚系だから坂道シリーズでも十分通用すると思わん?」


牛山「既読スルーすんなし。」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る