96 医療センター
「昨日より元気そう」
「確かに、昨日はさすがに参ってた」
「怖くなかったですか?夜」
「隣のベッドがピリリリ鳴りだしてさ…
お医者さんたち走り回ってそれは怖かったな。
俺もああなるかもしれないから
ここに入院なんだよなって思ったら…」
「そっか…」
「それ梅ヶ枝餅?」
「食べますか?お茶買って来ますね」
「冷蔵庫に入ってる」
桂木さんはベッドを起こしてテーブルを引き、梅ヶ枝餅の袋を開けた。
「あー美味い」
「ホントに甘党なんですね」
「和菓子が好き
バター系よりあんこ系が好き」
「意外すぎますよ」
桂木さんは二個食べて私は一個食べて、お茶を飲んでたら
「桂木さんお夕飯でーす」
看護師さんが大きなトレーを運んで来た。
ご馳走。
そして看護師さんはテーブルの上の梅ヶ枝餅を見て、無になる。
「すみません…」
「夕飯18時前って言いましたよね?」
「あぁ…なんか言ってましたね」
呆れた看護師さん。
「あ、よかったら1つどうですか?
買いすぎちゃったし」
「え、いいんですか?」
桂木さんは夜食用に1つ取って、あとは看護師さんにあげた。
で、食べなきゃいけないお夕飯。
箸の進まない桂木さん。
今2つも食べたしね。
「ユイちゃん食べない?絶対食べられないんだけど」
「や、でも…」
「普通に美味い」
ひと口に切ったチキンソテーを
「はい」
パクッ
「あ、美味しい」
「はいフォークあげる」
病院食を2人でつっついた。
あのベッド用の狭いテーブルを挟んで。
「これでビールあればな」
「ホント」
お茶を飲んで笑った。
「しれっと返してきますね」
「俺が食べたって雰囲気で」
アハハ
なんか楽しい。
面会時間は21時までだった。
ご飯の後はテレビを付けて、ゆっくりした時間が流れた。
「明日は?」
「休みです、今日のが空きなので」
「そっか」
「明日福岡に帰るんですか?」
「大丈夫そうだからそのままね」
「朝から来ますね」
「うん」
「さ、帰ろう」
テレビを向いてベッドに座っていた。
立ち上がろうとしたら
「ユイちゃん…」
腕をギュッと掴まれて
「桂木さん…?」
桂木さんの腕の中に抱きしめられてしまった。
「このまま…離したくない」
「好きなんだ」
彼女がいる好きな人より
会いたいと言ってくれる人
後者が楽だな
良司さん、それは違ったよ。
楽じゃなくて、後者が幸せなんだよ。
何もかも忘れて、投げ出して
この腕の中に甘えたい。
桂木さんは、そんな人なんだ。
「桂木さん…」
「あ、ごめん
帰らないとね、看護師さんに怒られちゃう」
腕を緩め、その手は名残惜しそうに私の頬を撫でる。
「可愛い」
「や…」
言われ慣れなさすぎて恥ずかしい。
「そんな顔…可愛すぎるから」
もう一度抱きしめ、なかなか離せない腕は、背中を撫で頭を撫でる。
「連れて帰りたい」
コンコン
「桂木さーん、面会終わりですよ〜」
「見張られてた」
アハハ
腕が離れ、私は病室を後にした。
ガイド辞めて、着いてっちゃおうかな。
病院から少し歩いた。
バス停はすぐ目の前にあるけど、歩きたかった。
1人になりたい。
寮に帰ればみんないて、それはそれで楽しいし落ち込まなくていい。
だけど今、1人で考えたかった。
スマホの画面で笑う私と一之瀬さん。
そもそも連絡先も知らないのに、彼女の次くらいには好きなってくれてるんじゃないかって思ってしまった。
好きなら連絡先くらい聞くし、あんな風に冷たく突き放したりしない。
彼女の次くらいなんてとんでもない。
友達にもなれてないかもしれなかった。
思ってたよりも
一之瀬さんと私の間には
距離があったんだ。
ヤバい
泣きたい
ブーブーブーブー
手の中で震えるスマホ。
桂木さんだ…
「は…い…」
『え、どうした?泣いてる?
あー…ごめん、いきなりあんなこと言って』
「や…違うの…どうかした?」
『いや…どうもしないけど声聞きたくて
ごめんさっきまでいたのに』
ほら。
そうだよね。
好きだったら声が聞きたいの。
電話でもラインのメッセージでも、つながっていたい。
「歩いてたからちょうどよかった」
『そっか、よかった』
ゆっくり歩きながらただのお喋りをした。
どこの旅館のあれが美味しかったとか、学生の頃はバスケットマンだったとか。
お姉ちゃんの子供が可愛くて仕方ないとか。
『ついおもちゃ買って送ってさ…
最近おもちゃ禁止されたんだ』
「あ、じゃあ絵本にするとか?
図鑑とかお勉強できるやつ」
そんな話をしながら通りかかったコンビニに入った。
喉が渇いたから何か買おうと思って。
『今ファミマ入った?』
「聞こえました?」アハハ
雑誌コーナーを流し見。
「あ、じゃらん秋のお出かけ特集だ」
『そんなのやっぱチェックする?』
「しますね
耶馬渓の紅葉が表紙ですよ」
『いいね耶馬渓』
「私、耶馬渓は苦手。
基本的に山道は間を持たせるのが大変で」
『あぁ、黙っちゃうガイドさんいるもんね』
そんな話をしながらじゃらんを手に取った。
そのまま飲み物の冷蔵庫の方に行こうとして
え…?
『もしもし?どうかした?』
心臓がドクッと掴み潰される感覚。
背が高くてヒールの似合う綺麗な足
ふわふわのロングヘアー
美人なのに笑うと可愛い
モデルみたい
私と正反対
友達数人といた一之瀬さんの彼女がいた。
一度見ただけなのにはっきり覚えてた。
「麻美~それ一緒に買うよ!」
「え、いいの~?」
麻美?
え、待って
麻美っていうの?
じゃあ
美和子は
誰なの?
意味わかんない
もういい
美和子が誰か知らないけど
私
関係ない
無理
一之瀬さん私には無理だ。
『ユイちゃん?どうした?』
「いえ…何でもない」
雑誌と飲み物を買ってコンビニを出た。
彼女はお友達とみんなで車に乗り込んで行ってしまった。
「桂木さん私…」
『ん?』
「あのさっき言ったこと」
『あ、待って
まだ覚悟できてないから明日聞かせて?』
一緒に行く。
すぐ明日って訳にいかないけど。
このまま一緒にいたら、私は絶対桂木さんのこと好きになる。
『ユイちゃん、100パー好きじゃなくてもいい』
うん。
大丈夫。
いくつも見つけたの。
桂木さんを好きだなって思う所。
『ホントもう…困ったな』
小さなため息
『好きだ』
うん
すごく伝わるよ。
私も好きになるね。
寮に帰って私は、窓辺のビードロをしまった。
チンアナゴはクローゼットの奥に立て置いて
スマホからイヤホンジャックを外した。
眠れなかった。
目を閉じると涙が溢れるから。
『関係ない』
一之瀬さんの冷たい表情
『好きだ』
桂木さんの優しい腕の中
どっちも、涙の原因だった。
.
面会時間が何時からなのかわからない。
だからとりあえず朝起きて準備した。
桂木さんはどんな服装が好きなんだろう。
あとで聞いてみよう。
コンコンガチャ
「あ、リンリン」
「ユイおでかけ?
明日一年生の入寮だから
3階の空き部屋見とけってよ恵子さんが
ユイ今月まで3階の班長でしょ?」
「そっか明日だったね」
一年生が今日までで教育課を卒業。
教育課の宿舎からガイド寮に引っ越してくる。
と言っても、私たちが何かするわけでもなく、空き部屋を軽く掃除くらいしてあげる。
「帰って来てからやるね、急ぐからごめん」
「どこ行くの?イッチー…じゃないよね
なんかあった?チンアナゴいないし」
「何もないよ」
最初から
私と一之瀬さんは何かあったわけじゃない。
「話したくなったら聞くよ」
「うん、ありがと」
リンリンは遅出の出勤。
私はバス停へ。
寮から車庫に繋がる入り口の前で別れた。
車庫を囲むフェンスに沿って歩道は大通りへ。
外水道の壁、自販機、ゴミ捨て場の壁
その先に洗車機があって、洗車用の用具のある横に灰皿が置いてある。
灰皿がフェンス側にあるからよく一之瀬さんに会った。
今日はいなかった。
スマホを見ると時間は8:45。
『診察のあとお昼には出れそうです』
桂木さんからラインが来ていた。
『今から行きます』送信
あ、バス来てる
足が急ぐ
なのに
「おい」
追いかけてきた声が止めた。
「どこ行くんだよ」
バスが行ってしまった。
「何ともなかったんだろ
そんなに会いたいのかよ…」
もう嫌…
「何で…そんなに怒ってるの…」
一之瀬さんはジッと私を見て
息をついた。
「行くな」
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