97 駅のホーム

桂木さんは病室にいなかった。

ベッドのテーブルにはパソコンと書類が出てて、一口かじった梅ヶ枝餅が置いてあった。


窓から見えるのは、どこかの学校と山とどこかの会社と、バイパスの降り口。

いつもはバイパス降りる頃にバスから見てるこの病院。

病院からはこんな風に、バイパスを走るバスが見えてた。


バイパスを下りてくるバスを見てるのは楽しかった。



「あ、ごめん来てた」


昨日は移動は車椅子だと言ってたのに、桂木さんは歩いて戻って来た。


「バイパス面白い?好きそう」

「こんな風に見えてたんだなって」

「俺も思った」

横に来て一緒に眺めた。


「診察どうだった?」

「うん、退院してオッケーだって

 でもお酒は控えるようにって」

数字の沢山書かれた紙を見せてくれた。

見てもわかんないけど。


桂木さんはテーブルの上の書類をまとめ、パソコンをカバンにしまう。

「そうだった、食べてる途中だった」

って梅ヶ枝餅のビニールを開けた。



「失礼しまーす

 あ、彼女さん昨日は梅ヶ枝餅

 ありがとうございました。

 夜勤のみんな喜びました~」

「いえ」

「桂木さんこれ退院の手続きですが」

看護師さんが説明を始め、私はまた窓の外の景色に目を向けた。




『行くな』



一之瀬さんの目が怖かった。


出会った頃、あの目が嫌で一之瀬さんは嫌いだった。


いつの間にか忘れてたあの目。


私から動きを奪うあの強い目。


何かを答える前に

次の言葉を待つ前に


行き先の違う来たバスに飛び乗った。





「ユイちゃん終わったよ

 着替えるから待ってて」

「うん」

仕事で来ていたから、着替えた桂木さんは添乗員さんスタイル。

よく似合ってる。

「お持ちしますよ患者様」

「そうですか?」

私がコロコロバッグを引いたら、桂木さんはベッドを綺麗に整えた。

普段、仕事でもそうしてるんだろうなと思った。



退院の手続きを待つ1階の大きな待合所は混雑していた。

「気長に待つか」

「そうですね」

空いてる椅子を探して座った。

「せっかく休みなのにごめんね」

「どうせ昼まで寝てますから」

「昼まで寝ちゃうんだ」

「桂木さん休みの日は何してるんですか?」

「ほぼ一日洗濯で終わる」

「一緒です、掃除洗濯してたらもう夕方です」

「そうそう、で夕方にはビール開けてしまう」

「私も」

そんなこと話して笑う。


「休みの日…どっか行かない?」


「耶馬渓とか?」

「耶馬渓とか洞門とか」

「紅葉の時期は無理かな」

「そうですね」

「オフに時間合わせたい」

「はい」


また笑った。


それからだいぶ待って、やっと呼ばれたころには1時間経っていた。


「行こっか」


タクシーに乗って駅に向かった。


「あ、これって七色バスさんの路線だよね?」

窓から横を走るバスを見上げる。

「けっこう台数走ってるね」

「交通手段がバスしかないので」

バスの話をしてるうちに、そんなに遠くないからすぐに駅に着いた。


切符売り場の前で時刻表を見上げると、福岡行きの特急はちょうどよく10分後。


「よかったですね」

「よくないけど…」


恨めしそうに私を見て、桂木さんは手を握った。


急に何を話していいかわからなくなった。


桂木さんの手から気持ちが伝わる。


離したくないって。



桂木さんはホームに入るお見送りの切符も買ってくれた。

「こんな切符知らなかった」

「勝手に買ってごめん」

「ううん、お見送りするつもりだったよ」

桂木さんはカードをピッてなんかして、私は切符を通してホームに入った。


駅になんてめったに来ないから

「あの電車カッコいい!」

「未来的形

 あっちが味があってよくない?」

「レトロ~」

「面白い?」

「はい!バスにしか乗らないから」

「そっか、バス会社の人だもんね」

「全線無料なんで」

「だよね」


「あ、あれだ」


ゆっくりホームに入ってくる特急列車。


未来的でもレトロでもない。

特急と赤で表示されてるのは、このデジタル時代にはめ込み式の板だった。



桂木さんの手がギュッと私の手を握る。


「桂木さん…」


繋いでた手が離れ


桂木さんの手は私を抱きしめた。



優しく

でも強く




「一緒に来てくれる?」




耳元で聞こえる不安が混じる声。



そのつもり



こんな風に思われて抱きしめられて、桂木さんはきっと幸せにしてくれるし、私も桂木さんを抱きしめたいと思った。



今は100パーじゃないけど


絶対に好きになる。



「ユイちゃん…?」



なんで…


邪魔しないでよ



『行くな』



勝手な事ばっか言わないで

関係ないって言ったじゃん

彼女いるくせに

私が一番じゃないくせに


行くななんて勝手すぎる




もっと早く


言ってよ




「桂木さん…」

「ん?」


息を吸うと、大人っぽい爽やかな香水が香る。



「好きな人が…いるの……」



力が抜けるように腕の力が緩んだ。



「ごめん…なさい…」


「俺はそれでもいい

 いてくれたらそれでいい」



首を振ったら桂木さんは


手を離した。



「そっか…ごめん」




優しくしてくれる人に逃げて


傷つけただけだった。





一之瀬さんを好きなのは

わかってたのに

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