第3話 彼女の目的
氷室に導かれるがままに、俺は部屋に入った。彼女はベッドに、俺は椅子に座る。自分の部屋のはずなのに、知らない場所に来たみたいで落ち着かない。しかし、氷室は随分とリラックスしているようで、片手でベッドのシーツをいじっている。かと思うと、すぐに飽きたのか、さっきまで読んでいた漫画を開く。
「あ、そういや読み終わったんだった」
氷室はベッドから立ち上がり、そのまま本棚に向かい返す―――かと思いきや、そのまま次の巻を手に取り、ベッドに座りなおして読み始める――――
「って、いくら何でもくつろぎ過ぎだろ!」
「……ん?」
「いや、ん?じゃなくて!」
俺の部屋にいたのは100歩、いや1万歩くらい譲って見過ごそう。だが、
「あ、ゴメン……」
「やっとわかったか」
本を閉じ、氷室は申し訳なさそうな表情を受かべる。さあ、ちゃっちゃと要件を話せ。わざわざ数年ぶりに会いに来たんだ、それなりの理由は出すんだろうな……?
「この漫画、借りてるよ」
「んなもん百も承知だよ!」
無断で借りるのはトラブルの元だから許可を取るのは大事だけども!だけど、
「今はそこじゃないだろ……!」
「?」
俺の静かな叫びには特にぴんと来てない様子。不思議そうに軽く首をかしげる。この感覚久しぶりに思い出した。氷室は昔からこんなやつだった。マイペースで、俺が何を言ってもまともに話を聞いてない。
「だから、俺が言いたいのは、」
「会いたかったから、じゃ、ダメ?」
「……」
「マサムネに会いたくなったって理由じゃ、来ちゃダメ?」
「……別に、ダメじゃないけど」
それが理由でも、普通の幼馴染ならいいのかもしれない。こんなシチュエーション、それこそラノベやアニメでたくさん見た。だが、
「お前、ウチに来るの何年ぶりだよ」
「うーんと、中三の途中からだから、大体2年くらい?」
「お前、2年ぶりの会話がホントにこれでいいのかよ……?」
そう、俺達には2年のブランクがある。お互いが見える距離にいるのに、決して話そうとはしなかった。氷室の言葉をそのままはいそうですかと受け入れるには、空白の時間が長すぎた。こういうのはもっと段階を踏むべきものじゃないのか……?
「しかも、俺の部屋で……」
「でも、麻衣子さんはいいって言ってくれたよ?マサムネまだ帰ってないから、それまで待ってていいって」
「母さんめ……」
「麻衣子さん、喜んでたよ」
確かに母さんも氷室の事は気に入ってたから、久々の来訪に喜んだのかもしれない。だけど、思春期の息子の部屋に女子を入れるのは流石にひどいと強く抗議したい。
「それで、一体全体どういう風の吹き回しだよ」
「何が?」
「だから、なんで突然会いに来たわけ?」
「言ったじゃん、マサムネに会いたくなったんだって」
「嘘つけ」
「嘘じゃないよ」
「だとしても、それだけが理由じゃないだろ」
図星だったのか、氷室はむーと口を尖らせる。いくらマイペースな彼女とは言え、会いたくなったなんて曖昧な理由で、2年の空白を飛び越えて来たとは思えない。ごまかされないぞという強い意志で、氷室を見つめる。すると、彼女の白い肌に赤みが差す。
「そんなに見つめられると恥ずかしい……」
「誤魔化すな」
ここで俺も照れて引き下がったら相手の思うつぼだ、俺は目をそらさずに、きっちり問いただす。
「教えてくれ氷室。なんでこんな事したんだよ」
「名前」
「……」
「氷室じゃなくて、下の名前で呼んでほしい」
「……はぁ」
「名前で呼んでくれたら、理由、教えてあげる」
そう言って、彼女は得意げな顔を浮かべる。クソっ、なんで振られたその日にこんな事しないといけないんだ、ここに神はいないのか。しかし、ここを越えないと話が一切進まないのもまた事実。しゃーない、腹をくくるか……
「なんでこんな事したんだ、
俺が尋ねると、目の前に座る彼女……愛姫はぱっと表情を明るくする。口角がぴくぴく動いている。
「私達、なんだか昔に戻ったみたいだね」
「おい、茶化すなよ」
「別に茶化してないよ」
「俺はちゃんと読んだぞ。お前も」
「愛姫」
「……愛姫も、ちゃんとここに来た理由を教えてくれ」
どうやら名前呼びはもう確定らしい。部屋凸された側なのに、なぜか防戦一方になり、体力を削られる。今すぐにでもベッドに飛び込んでしまいたい。すると愛姫が何かを察したように、自分の横をトントンと叩く。
「マサムネ、何か疲れてるみたいだね。ベッド座る?」
「大丈夫だから、早く話してくれ」
「じゃあ、座ってくれるまで話さない」
「お前なぁ……」
渋々席を立ち、ベッドの方に移動する。2人分くらい離れて座ったにもかかわらず、花の様ないい匂いがふわりと香ってくる。
「もうちょっと近くに座ればいいのに……」
愛姫は距離感に不満そうにしていたが、俺は腕を組み、頑としてここから動かない姿勢を示す。愛姫も流石に諦めたようで、少しため息をついたのちに、ぽつぽつと話し始めた。
「マサムネ、今日、クラスの子に告白してたよね?」
「……やっぱりそこか」
話し始める前から、何となくそんな予感がしていた。わざわざ今日来るという事は、その事と無関係とは思えなかった。それにしても、
「随分、情報が早いな」
「女の子の情報網ナメちゃだめだよ、誰が告白したとか、一瞬で広まるんだから」
「一応、人の少ない場所を選んだつもりだったんだけどな」
「校舎裏なんて鉄板でしょ。逆にバレバレ」
「すごいな、そこまで分かってんのか」
この調子じゃ、もう明日になったら噂になってるかもしれない。でも、早く広まってくれた方が意外と気楽かもしれない。
「だけど、告白、上手くいかなかったんだよね」
「まあな、フラれちまった」
「マサムネを振るなんて、ホントに見る目がないよね」
フラれたっていうのに、愛姫の声はどこか嬉しそうだ。
「はは、嘘でもそう言ってくれると気が楽になるな」
「嘘じゃない、マサムネは、ホントにカッコいいよ。幼馴染の私が保証する」
愛姫は俺の手を両手で撮って、軽く握ってくる。その手のぬくもりと柔らかさに、思わず涙が出そうになる。
「その子の事は、もう、忘れられそう?」
「……ああ、省吾とバカ騒ぎして、吹っ切れたぜ」
「嘘。マサムネ、まだその人の事、好きだよね」
「……」
優しくも力強い愛姫の声に、俺は返す言葉を失う。俺の手を握る力が、ぐっと強くなる。
「いいよ、マサムネ。私に全部吐き出して、楽になろ?」
その言葉は、俺の心の一番奥を揺らしてきた。ぐわんと、体全体がかき混ぜられるような感覚になって、気づけば涙がこぼれていた。
「俺、本気で好きだったんだよ……」
「うん、そうだよね……」
「一緒の委員で仲良くなって、二人とも、おんなじ作家が好きだって分かって」
「うん、それで……?」
「それで、一緒のクラスになって、俺、欲が出ちゃった……友達以上になりたいって、そう思っちまったんだよ……」
「うん、辛かったね。マサムネ……」
「でも、俺、その関係も全部壊しちまった……」
「うん、立派だよ。よく勇気を出したね、マサムネ……」
俺は声にならない声で泣いた。途中から愛姫が背中をさすってくれて、より一層涙があふれてきた。省吾の前ではこんなカッコ悪い姿、絶対見せられなかった。一人でも、こんなことは絶対しなかった。心に刻まれた愛姫との記憶が蘇るとともに、心の奥底にため込んだ感情が全て引きずり出されていく。俺が泣き終わるまで、愛姫はずっと無言で背中をさすってくれた。
「どう、スッキリした?」
「おかげでだいぶ楽になった。ありがとな、愛姫」
「いいよこの位、幼馴染だもん」
愛姫はまるで当たり前であるかのように話す、その言葉は深々と刺さった。2年間のブランクなんてものを勝手に感じて、一方的に壁を作っていたのは俺だけだった。愛姫はずっと俺の事を、幼馴染だと思ってくれていたのだ。
「慰めに来てくれてありがとうな、愛姫。でももうこの通り、大丈夫だから」
背中をさすり終わった後に、ずっと握ってくれていた手を丁寧に外して、回復した様子を見せる。愛姫も嬉しそうに笑みを浮かべる。
「良かった、マサムネが元気になってくれて、私も嬉しい」
「ほんと、愛姫のおかげだよ」
「ううん、そんなこと無い」
「いやいや、謙遜すんなって。お前がいなきゃ、一人でうだうだやってた気がする」
俺が感謝を伝えるも、愛姫は目を閉じ、ゆっくりと首を振る。長いまつげの一本一本の動きが、この距離なら見えた。
「謙遜じゃないよ。だって私、マサムネを慰めるために今日来たんじゃないもん」
「え?いやだって現にお前……」
予想外の言葉に、脳が混乱する。慰めに来たんじゃない?じゃあどうして……?
「私が今日ここに来た本当の理由、知りたい?」
そう聞いてくる愛姫の声は今までの優しい感じとは違い、蠱惑的で、Noと言わせない圧力を感じた。じりじりとこちらに寄ってくる彼女に、俺はこくこくと首を縦に振るしかできなかった。
「じゃあ、教えてあげる。私が今日ここに来た本当の理由は……」
目と鼻の先に彼女の顔がある。まつげ一本一本が見えたさっきと違い、今は呼吸の音まで聞こえる。愛姫は小さく息を吸って、俺の耳元で囁いた。
「マサムネを、他の女に取らせないためだよ」
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