第4話 シュバルトベルグ帝国

 私がぼーっと悪魔が消えて行った先を眺めていると、私のすぐそばで、豪奢な馬車が停まった。


 馬車からは、一人の貴公子が降りて来た。


 燃えるような赤色の短髪はさっぱりと整えられていて、エメラルドのような深く美しい緑色の瞳は、期待するように、力強く私を見つめていた——この瞳の色は、確かシュバルトベルグ帝国の皇族にだけ現れる色味だ。

 フランツ殿下よりもずっと背が高く、騎士のようにがっしりと逞しく鍛え上げられた体格。軍服のような白い服装はとても凛々しくて、その胸元から肩にかけていくつも勲章が付けられている。


「貴方が、聖女様だろうか? 私の名はオスカー・シュバルトベルグ。女神リヒターナ様の告げにより、貴方を迎えに来た」


 低くお腹の底に響くような、美しい声で尋ねられた。


 丁寧で洗練された物腰に、私はつい、横暴なフランツ殿下と比べてしまった。


「はい。私は聖女でノーラと申します」


 騒動の後ですっかりくたびれた聖女服だったけれど、私は精一杯に綺麗なカーテシーをした。


 オスカー様が、ハッと息を飲む気配が感じられた。


「もし貴方が良ければ、我が国に滞在していただけないだろうか?」

「ええ、もちろん。喜んで」


 控えめに、白い手袋に包まれた大きな手が差し出された。


 まともに男性にエスコートされるのは、初めてだったかもしれない。

 教会ではエスコートされるようなことは無かったし、フランツ殿下は私をエスコートしてくれたことは無かったし。


 ドキドキと緊張しながら、白い手に自分の手を重ねた。

 魔法のように、優雅に馬車内に案内され、ドキドキしながら座り心地のいい席に座った。


 向かいに座るオスカー様は、男らしくて凛々しい顔立ちだ——正直、フランツ殿下よりも好みのタイプかもしれない……


 ゆっくりと気遣うように、馬車が動き出した。



「帝国の教会に、女神リヒターナ様からの告げがくだったんだ。聖女様がいらっしゃるのは隣国の聖シルトバーグ王国のはずなのに、まさか我が国に告げがあるなんて……でも、告げの内容を聞いて、我が国が動かなければ、と思ったよ」


 オスカー様の言葉に、私の胸が不穏にドキンッと弾んだ。


 まさか、私のあの国での状況が、告げられていたのだろうか……?

 指先から急速に冷えていくような感覚があった。


「……今まで全く関わってこなかった私が言えたことではないが、きっと聖女様はとてもお辛かっただろうと……教会では気が休まらないだろうから、是非、帝国の王宮で安らかに過ごされてはいかがかと。いつまでも、ゆっくり休まれてかまいません」


 オスカー様が、ニッと笑いかけてくれた。太陽のようにあたたかくて、優しい笑みだった。


「……お気遣いいただき、ありがとうございます……あれ……?」


 ポロリと、無意識に自分の目から涙が溢れてきた。


 あれ? あれれ??

 自分が泣いてるって自覚したら、余計にポロポロと涙がこぼれ落ちてきた。


 今まで私に「休んでいい」と、許してくれた人は誰もいなかった。


 ずっと張り詰めていた何かが、プツンと切れた。


——ああ、私、本当にあの国から自由になれたんだ。


「……っ、……ぅ……」

「聖女様、これをどうぞ」


 声を押し殺して泣く私の顔を見ないようにして、オスカー様がハンカチを手渡してくれた。


 ハンカチ一つ持ってなくて情けなかったけれど、「ずびまぜん゛」と素直に受け取って使わせてもらった。


 初対面の人に、こんな風に弱みを見せるのも、誰かを無条件に頼るのも、今までだったら絶対にありえないことだった。


 でも、今はどうしても涙が止められなかった。



 しばらくして落ち着いてくると、私はオスカー様に「ありがとうございます」と小さくお礼を言った。

 何とも締まらないけど、気まず過ぎて照れ笑いをしながらだ。


「聖女様は、光の女神リヒターナ様のように華奢で儚いね。守りたくなる。それに、笑顔の方がずっといい」


 オスカー様に、不意に呟かれた。


「……えっ!?」


 いきなり想定外のことを言われて、私の終わりかけの涙もピタッと止まった。


「白銀の髪も月光のようだし、噂の虹色の瞳も真珠のようで美しい。でも、もう少し食べた方がいいかな。帝国には腕の良い料理人が多い。今度、何か美味しいものを作らせよう」


 オスカー様が、ニコニコと話された。


……私を元気づけようと、気を遣ってくださってるのかな?


 それにしても、こんな風にさらりと褒められたのは初めてだから、どう返事を返せばいいか分からないよ……!


 祖国を追われたばかりで、さらに泣いたばかりで、気持ちはぐしゃぐしゃで整理はついてないけれど、何だか悪い気はしなかった……


「?」


 ふと、オスカー様が不思議そうに、私の瞳を覗き込んできた。

 私の瞳は特に珍しい色だからか、時々、子供とかからこんな風にじっと見られることがある。


「? どうかされました?」

「いえ、聖女様の瞳は特別で、虹色の輝きが見られると耳にしたのだが……瞳の色の中に、黄色は無いのだね」

「えっ……」


 オスカー様に思いがけないことを言われて、私は思わず小さく声を上げた。


(……もしかして、リーゼロッテに……?)


 思い当たる節なんて、これしかない!!


「瞳の色は遊色で、いつも移り変わるものなので……」


 私は苦笑して、どうにか誤魔化した。

 オスカー様も「そういうものなのか」と、頷いてくださった。



 悪魔と知って真名を口に出して呼び合えるのは、契約をしている間だけ。


——ああ、もう二度と名前も呼べない友人は、とんでもない悪魔だったな……





 聖女ノーラは数年後、シュバルトベルグ帝国の王太子オスカーと結婚した。


 長年、悪魔や魔物の侵攻に対抗してきたシュバルトベルグ帝国は、強大な軍事力を持っていた。

 聖女ノーラによって帝国に結界が張られ、これらの脅威が去ると、大陸一の大帝国となり、栄華を極めることとなった。


 そしてこの時代より、女神リヒターナの祝福を受けし聖女は、聖シルトバーグ王国ではなく、シュバルトベルグ帝国に生まれるようになった。



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