第2話
窓のガラス面に薄っすらと映るのは、ゴールデン・レトリーバーのような薄茶色に長毛に覆われた犬の姿だった。
ルーフェ候爵家の長女であるルミリアが、幼い時から友達として飼っている愛犬のゲティは、ゲーム内の登場シーンはまず少ない。
序盤と終盤でしかお目にかかれないマスコットキャラクターのような存在で、ルミリアルートに入らない限りは気にも留めないようなペットだ。
そんな愛犬ゲティに生まれ変わってから早数日。
犬の歩き方にもなれ、豪勢な食事ありつく日々を過ごしていたが、優雅な毎日を満喫していられない瞬間がやって来た。
2階の窓から見つめる視線の先には、玄関先に立つピンクブラウン色の令嬢がいる。
緩く巻かれたロングヘアをハーフアップで後ろに結っている令嬢こそ、健の最愛の推しであるルミリアだ。
隣りには侍女がいて、加えて後ろに控えたメイドと執事が数人整列して、遠くから走って来る馬車を待っていた。
馬車に乗っているのはおそらく、ルミリアの婚約者にして、『愛しの令嬢』の主人公_ローラン・クリグ公爵令息だろう。この出迎え方に健は既視感がある。
きっとこれから繰り広げられるのは、ゲームの中でプロローグに当たる『婚約者の茶会』のシーンだ。
婚約者が邸宅に訪れ、ルミリアの温室の東屋で二人でお茶をするのが一連の出来事で、ゲティは温室へ向かう途中で初めて登場するのことになる。
(このオープニングが大変なんだよな……。でも、今回は俺が取り憑いているわけだし、ゲームの選択肢も変わって来るんじゃないのか……)
少なくとも嫌われることにはならないだろうと、公爵家の馬車が停止するのを眺めていると、待ちかねた『婚約者の茶会』が始まったようだった。
馬車の扉が御者の手により開かれて、淡いグリーンブロンドの髪色をしたローランが現れる。
ルミリアは公子の登場に、綺麗なカーテシーをして見せた。
お似合いな二人だと思う。
他のどんな女性キャラよりも、ローランの隣りにはルミリアが似合っている。
美男美女の並ぶ姿をうっとりとしながら眺めていると、突然アラーム音が鳴った気がしてバッと振り返った。
けれど直ぐに音が脳内でなっていることに気づく。
耳鳴りかと思ったけど、それとも違う。
アラーム音が止んで立ち代わりに目の前に現れたのは、エラーメッセージの表示だ。
目の前に移し出されたことで、何かシステムが起動したんだと分かった。
(なんなんだこれは……?)
首を傾げるとエラー表示が閉じられ、瞬間、一択の選択肢表示に切り替わる。
そう一択だ。『ローランに飛びつく』と云う最悪の選択肢が目の前に現れ、まるで誰かが操作しているみたいに勝手に選択された。
(ちょっ!?)
勝手に決められた選択に健は内心慌てふためいていると、足の感覚が失くなった。
そして身体が遠隔ロボットのように、脳からの命令もなく勝手に扉へと歩きだしていた。
「キャウゥン……!?(はぁあ……!?)」
ゲティの身体は部屋から抜け出して廊下を駆け出す。階段 を下りる四本足を止めようと試みるけれど、いくら踏ん張って力を入れようとするけれど神経が遮断されたようにビクともしない。
犬の身体が向かうのは下位層で、健はサァと頭から血の気が引く。
ヤバイ、と思った。
兎に角、ヤバイことになっている。
それはルミリアの人生が左右するような、玄関ホールにいるであろうローランに出会ってしまったら最後、最悪の展開が始まってしまうことが分かっているが故に、陥っている強制力の怖さに全力で部屋に戻るために神経を注ぎまくった。
けれど虚しいことに、システムの強制力の前では無力な犬の力は踊り場へと着いてしまう。
「犬……?」
その声はローランだ。
(あぁぁぁ……! 終わったぁぁぁあああ……!!)
ルミリアの隣りで階段上にいるゲティを見上げるローランと視線が合った瞬間、ゲームと全く同じスチルを描くべく、ゲティは猛ダッシュで階段を駆け下りた。
そのままダイブするように着飾った洋服に細身の身体を覆ったローランの胸へと飛び込んで押し倒した。
キャンッキャンッと鼻を鳴らし、ハッハッハッと遊んでくれた人が来たことへの興奮で息が切れ、ワンッワンッと声を上げて喜びを表す。
顔を舐めながら、尻尾を振り回すのも忘れずにだ。
(クソぉお。結局こうなるのかよ……!)
予想外に働いてくれた“強制力”。
愛犬ゲティが幼犬の頃からルミリアと一緒に育ち、邸宅にやって来たローランが、度々、ボールで遊んでくれたことで認識した『友達』への歓迎のつもりで、ローランを押しつぶすと云うハプニング。
オープニングでルミリアが嫌われる要因にもなる最悪の出来事に健は申し訳ない気持ちで、行動とは裏腹に胸が張り裂けそうだった。
止まらない顔へのペロペロ地獄に、ルミリアを含めた周りは呆然としていた。
ローランも思考回路が追いついてないようで、されるがままだった。
そんな中、いち早くゲティを引き剥がしたのは控えていたローラン付きの騎士だった。
「ローラン様から離れろ!」
そう言って鞘に収まったままの剣を前足の脇にスッと差し込んで後ろへと薙ぎ払う。
飛ばされたおかげでシステムの強制力も失い、身体の神経が元に戻ったが、動物虐待で訴えたいほど身体を床に打ち付けた健は、吹っ飛ばして来た騎士を見た。
黒髪に鋭い目つきの無愛想な容姿にやっぱりと思う。
アズベル・ハス。
名前の有ることながら、即ち、主要メンバーの一人だ。
ゲームではルミリアの熱烈な狂愛者と言うヤンデレキャラで、エンディングではルミリアを孤独にさせる悪役騎士である。
「ヴゥゥ……」
ルミリア加担の健からすると敵に等しいアズベルの登場に、思わず睨み、低い声を上げて威嚇してしまった。
アズベルも容赦なく殺気立って見下ろしてくる。
一触即発の状況を打消したのは、花の香りと温もりだった。
ルミリアが正面から抱き締めて来たのだ。
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