第五幕:サキ




 柳の木を通り過ぎて、川下の方向へ、サキはずんずんと風人を引っ張って歩く。

 力はそれほど強くないが、妙な圧がある。

 風人は様子のおかしい許嫁に遠慮がちに声をかけた。


「……サキ。何をそんなに怒っているんだ。万が一俺とまじない師殿との仲を疑っているのだとしたら、それはあまりにも杞憂だぞ」

「では、何をしていらっしゃったのですか。相良家の次期当主ともあろうお方が、このような寂れた面妖な場所に何度も訪れるご用件などありませぬでしょう」


 ひどく冷たい声が返ってくる。大人しいサキの、知らない面ばかりが見えてくる。何がそんなに気に食わないのだろうか、女心は難しいものだ。


「サキも先日聞いていただろう。俺の顔には死相が出ているらしいんだ。そのことについて、まじない師殿に聞いていた」

「死相? そんなもの、あの女が勝手に言っているだけのことでございます。あなたが気にするようなことなど何もございませぬ」

「まじない師殿だけではないんだ。月彦もそう言っていたんだ。だから」


 風人が次の句を継ぐ前に、サキはぴたりと足を止めた。そのままくるりと振り返り、風人の両腕に縋りつく。


「月彦さんは、あの女にたぶらかされているのですよ。しっかりなさってください、風人さん。あなたまでたぶらかされてしまいます」

「たぶらかすなど、そんな」

「風人さん」


 反論しかけた風人の声を遮って、サキは続ける。


「私と、あの女の、どちらを信じなさるのです。あなたの許嫁であるこの私と、この街に災厄をもたらしかねないあの魔女との」


 一言一言、はっきりと言い聞かせるように問いかけるサキ。

 風人は内心ため息をついた。普通の人間がまじない師に持つ印象などこんなものだ。


「……まじない師殿もただの人間だ。少しばかり変わった力を持つだけの」

「では、私の言うことなど信用できないということなのですね」

「そうは言っていないだろう。おまえのことは大切に思っている」

「であれば、私の言葉も少しはお聞きになってくださいませ。あの女を決して信用してはなりませぬ。これは、相良家の、そして風人さんのためなのですから」

「サキ……」


 サキがもう一歩、前に進み出る。それに圧されて反対に風人は一歩後ろに下がった。


「もう、ここに来てはなりませぬ。月彦さんだけでなく、風人さんまで妖術にかけられておかしくなってしまいます」

「しかし……」

「月彦さんも、私たちの手でお救いいたしましょう。月彦さんさえ目を覚まして相良家に戻れば、風人さんはそれでよろしいはずでしょう?」

「それは、そうだが……」

「風人さん。何を気にすることがあるのです。死相などというのはでたらめ。ここに来れば来るほど、風人さんは下賤の者の戯言に毒されていくのでございます。月彦さんのように」


 有無を言わさぬサキの声音。それは不思議な響きを醸していた。

 サキの黒々とした瞳が風人の視線を捉える。風人は婚約者に迫られてどこか頭の奥の方がしびれるような、妙な感覚を覚えた。


「……そうだな。そうかも、しれないな」

「そうでしょう? さあ、参りましょう」

「……どこへ?」

「もちろん、相良家へ。今なら月彦さんもお部屋にいらっしゃるはず。二人で説得すれば、正気に戻るやもしれませぬ」


 サキはそう言って風人の腕にまた自分の両腕を絡めた。

 彼女に続くように、風人も歩を進める。歩きながら、ふと風人は声を上げた。


「……サキ」

「はい、風人さん」

「もう一度だけ、俺はあそこへ行くことになる。それは止めてくれるなよ」

「なぜ? もうあんな場所に用などないはずでしょう?」

「やはり、気になるんだ。まじない師殿が言っていた、俺に出ている死相について。それを調べるために、満月の夜にここに来ることになっている」


 ぴたりと、またサキの足が止まった。


「なんてことを……なりませぬ。そんなものはでたらめだと、先ほど申したではありませぬか。思想について調べると言う名目で、何か面妖な術でもかけられるに違いありませぬ。月彦さんがあの場所に囚われてしまっているように」

「サキ。どうしてそうまじない師を毛嫌いするんだ。確かにあの者は変わり者ではあるが、俺は」

「ああ、もう手遅れだというのですか! 私の言葉に耳を貸さぬほどに」


 風人の言葉を遮って、頭を抱えて悲痛な叫びを上げるサキ。どこか大げさですらあるその様子に、風人は先ほどの逆に、サキの両腕を掴んで言い聞かせた。


「俺を心配する気持ちはわかる。だが、俺は正気だ。ただ、確かめたいだけなんだ。満月の夜だけ、俺はもう一度あそこへ行く。自分を信じろと言うのなら、サキ、俺の言うことも信じてくれ」

「風人さん……」

「さあ、もう行こう。説得の必要はない。屋敷まで送ろう」


 風人はサキを置いて歩き始めた。

 サキはじっとその場に立ち止まったまま、だんだんと遠ざかる風人の背中をじっと見る。

 ぎり、とサキの歯が嚙み合わさった。


「……いけませぬ……決して……二度とあそこへ行ってはいけませぬ……」


 サキが自分についてきていないことに気づいた風人が振り返った。


「サキ? 何か言ったか?」

「……いいえ、何も」


 サキは静かに答え、淑やかに風人の傍へ駆け寄った。




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