1-5-2



宴会やら行事に使ういつもの大広間。



そこは前回、誕生日の時にも使った同じ場所だが、今日はシンとした少し張り詰めた空気が包んでいる。組員は一言も喋らずにただジッと正座をする光景は久々に感じる。



均等に並ぶ膳と座布団、霧島組と九条組が向かい合うような配置だ。




料理もあまりこっちでは出ない懐石料理風で、小さな皿に色とりどりな食べ物は、パッと見どんな味付けなのか想像がつかない。



恐らくこの料理は霧島家のだろうと思う。今までこういう感じの食事が出ることはあまり無かったし、向こうも気を使って用意してくれたのかもしれねえ。




見渡して今この場に居ないのは凪とその妹だけだ。




静寂な空気の中、口火を切ったのは霧島組の組長

玲さんだった。




「本日は忙しい中、娘の披露目の機会を設けていただきありがとうございます。互いの家族を紹介し親睦を深めたく、勝手ながら高校入学を機に紹介させていただきます。少しでも絆が深まればと願っております。」




スっと静まる室内に声が通る。玲さんは両手を軽く拳を作りながら畳につき頭を下げた。




何十人ものスーツが擦れる音と共に全員頭を下げた。数秒待って顔を上げると、先程まで射抜くような瞳をしていた玲さんは一瞬表情が緩まった後。




「凪。」




ハッキリと響く重低音の声で凪の名前を呼んだ。




そして最奥の襖から静かに開く。一本足を踏み入れるのはいつもの凪の姿で皺ひとつ無い真っ黒なスーツ姿で部屋に入る。




その後ろに続くスラッと細い足。黒いスカートは膝丈で揺れていて通う学校の制服か、セーラー服に身を包む真っ黒な服。胸下のスカーフだけは深緑色で歩く度揺れていた。




微かにスーツが擦れる音が俺の隣からする。一瞬目を見張ったのは恐らく夏目も同じだと雰囲気で分かった。




甘ったるいミルクティー色の髪がふわっと柔らかそうに毛先が靡く。




少しだけ顔を俯いていたが、つい数日前に会った顔はすぐ分かるもので──────九条組の面子に対面するような形で凪の横に立つ女は、やっぱりあの時の女だった。




凪は女の背中に手を軽く添えて、見たこともない柔らかな温和な表情を女へと向けていた。




そんな凪に驚愕する気持ちもあったが、俺はそれよりも女の方が驚きだ。




畳の床に女はスカートを丁寧に裾を添えて折り畳みながら正座する。その隣で凪は半歩後ろの場所で同じように正座をした。




視線が下がっていた女は、一度俺達の親父へと身体の向きを変え、真っ直ぐ静かに見据えると白い小さな手を前に着いた。




「お初にお目にかかります。霧島組 組長が娘、

霧島 葵(きりしま あおい)と申します。本日はお忙しい中、九条家の皆様と親睦を深める機会をいただきましたこと、誠に嬉しく思います。今後ともよろしくお願いいたします。」




先日聞いた消え入りそうな声とは違い、凛とした声色で親父とお袋に深く頭を下げた。




ゆっくり頭を上げた後、膝の向きを変え翔と俺に身体を向けると再び深く頭を下げた。




────────葵。




あの日は助けるかどうかで頭いっぱいだった。こんな、ちゃんとした顔をしているそれが、妙に引っかかった。




揺れるミルクティー色の髪がカーテンのように顔にかかり、姿勢を正すと共にふわりとそのカーテンが開く。




伏せていた長い睫毛が瞬きをし透き通るような瞳が翔と俺を捉える。




目が合った瞬間、胸が一拍だけ遅れた。たったそれだけのことなのに、なんでか分からねえ。




確かに目が合ったその一瞬でも、反応した俺に対して目の前の女……葵は微塵も反応しなかった。




──────まさかだと思った。




先日の女だったという事を差し引いても、組が溺愛する女。凪の妹はそれはもう大切に大切に甘やかされて、世間知らずのお嬢様だと想像していたからだ。




一つ予想通りだと思ったのは、誰も寄せつけない程の絵に描いたような美人な女だったという事だ。




霧島組のルールなのか全員黒髪だが、葵だけは明るいミルクティー色で、それは異質ともとれる存在感を放っている。




葵の表情は何も読み取らせないような顔で、血が繋がっていなくても凪と少し似てると思った。




挨拶を終えた葵に、凪は玲さんを一瞥すると二人を優しく目を細めながら見つめ返した。




凪は片膝を立てて葵の肩に手を置く。耳元で何かを囁くと葵と合わせて立ち上がった。その様子を玲さんは着席する二人を確認し再び口を開く。




「本日は不慣れな宴席で不行き届きな点も多々あったかと思いますが、何卒お許し願います」




頭を下げると儀式のように霧島組全員も同時に頭を下げる。




そういえば翔も若頭に就任した時は、こんな感じの事をしたなと少し懐かしく感じた。




親父は玲さんの肩を抱き気持ちよく笑った後、猪口を上へ持ち上げる。




「それでは両家、益々繁栄を祈って。乾杯」




音頭の合図と共に『乾杯!!』と親父に続き全員が声を発して地響きのような低音が襖にビリビリと伝わった。





本日の主役である葵はうちの組員からは注目の的で、凪はそれを不服そうな顔をしながらピッタリと葵に寄り添っている。




その場から微動だに動かず、葵のグラスにオレンジジュースを注いでやっている姿は何とも異様で、遠目で見ても凪は、居心地が悪そうに口元は引き結んでやがる。




「なぁ〜?陽ちゃん」



「なんだよ」




その二人を見ながら耳だけは翔に傾ける。兄貴も二人をじーっと見ながら、猪口に入る日本酒を摘み持ち上げた。




「さっき、なーんか勘づいてる感じだったよね?」




翔が二人から俺へと視線を流すと、こてんと小首を傾げる。なんか知ってるよな?と。




「もしかして、この前捕まえた女の子?」



「……まあ、あの時の女だよ」



「まじか」



「まじ」



「なーんで逃げてたんだろうな?」



「分かんね」




別に隠す必要もない為、正直に吐露すると翔はふーんと曖昧な返事を返して日本酒をクイッと飲む。




俺達双子の間であの日の怪しい女と凪の妹が合致したが、何で逃げてただとか何であんな怖がってたのかは、今この光景を見てもさっぱりだ。




「なぁ陽〜、葵ちゃんこっちに挨拶してくれるかね?」



「無理だろ」




ほら、凪のあの顔見てみろよ。葵を守るようにべったりだ。もしあの日の出来事が無ければ、俺も普通にただのシスコン野郎だなと思ってる。




あの時誰から逃げてるかと聞いて、もし本気で逃げてるならヤクザに追われてるなんて言って逃げそうだが。俺達を堅気だと思ったのか、もしくは追いかけてるのが兄から逃げてるからと、口ごもってたのか。




「まぁ向こうが普通にてるんだし大丈夫か」




葵は気付いてるのか気付いていないのか、俺と翔、そして夏目を見ても反応はなかった。




それに向こうが知らぬ存ぜぬを通すなら、こっちから掘る必要はねえ。




俺はそのこともそうだが、披露目前にあんなワクワクしていたはずの翔は、ただじっと葵を眺めてるだけで。




「で?お前は何考えてんだ?」



「んー?葵ちゃんのこと?」




朱色の椀を手に取ると中身は鴨肉や野菜が煮込まれている。それを口に運びながらも「うん」と返事した。




全体的に甘い味わいだがアクセントにワサビもあって美味い。




楽しみにしてしていた分、いざ目の前にするとあれ、そうでもなくね?っていうパターンか?だけど自分で自分のハードル上げたんだから俺は知らねえぞ。




「可愛いよ?想像以上に。名前もかっわいーしさ」



「そうかよ」




まあ、この場でやらしい目で見ても、霧島から反感買うかもしれねえから、俺はそっちの方が良いし安心だけどよ。




今回の披露目の話は霧島から持ち込まれた話だが、ただの顔見せだけで本当に終わりなのか?それに凪があんなべったりの状態で食事を終えたら、はいサヨナラ、で解散とはならなさそうだ。




「なーんか裏ありそう」



「裏ってなんだよ」



「これで終わりじゃないでしょー。本当の目的が隠れてるな」



「それは俺も同意だ」




さすが俺の兄貴だ。きっと凪もこの場を大反対しただろうし、霧島がそうまでしてこの場を設けたかったのも何かあると見る。




翔と一緒に組長同士雑談をしている親父を見ると、俺達の言いたい気持ちを察したのか親父は待て、と手を軽く上げた。



俺らは犬か何かか。




それを合図にお袋が先に席を立つと、そそくさと襖を開けて出ていくのを見届ける。




「さてさて〜料理冷める前に食べきりますか」



「兄貴、この鮎の塩焼き美味いぞ」



「あ、ほんとだ〜」




懐石料理も悪くないな。身体が温まるような優しい味付けに舌鼓を打った。




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