里帰り編3 不穏な契約書

「トルネさん、手違いがありまして、大変失礼なことをしました。申し訳ありませんでした」


 わたしは牧場立ち上げの時からお世話になっている、トルネさんに頭を下げた。50代の体格のいい方で、毎日土と相談しながら野菜を育て、事業をも拡大させてきた人だ。


「顔をあげとくれ。商売だからな、何があっても仕方ないさ」


「いえ、違うんです。本当にすみません。申し訳ありません。ですが、もう一度、うちに野菜を卸していただけないでしょうか?」


「え? いや、だって、ハンスト商会から買うことになったんだろ? うちは大手じゃないから、安くはできないし」


「うちは地域で作ったものを使って、物を販売したいんです。ハンスト商会さんとも取引はさせていただきますが、トルネさんのところとも変わらずお付き合いさせていただきたいんです」


 トルネさんはわたしの言葉が本当かどうか、探るように見た。


「うちはありがたいけどよー。あんたんとこはそれで大丈夫なのかい?」


「はい。トルネさんところのお野菜は、とても味がいいからファンなんです」


 理不尽な目にあったのに、トルネさんは許してくれて、今後も変わらず野菜を卸してもらえることになった。お詫びというわけではないが、高騰しているものを多めに買わせてもらった。


 さて、次はハンスト商会さんへと移動しようとした時、歩いていく従業員さんたちの会話が聞こえた。


「じゃぁ、謝りに来たのか?」


「そうみたいだぜ」


「竜侯爵が留守だから……」


 正しくいうと、モードさんは竜侯爵ではない。一番上のお兄さんが現侯爵様だ。だけど、ここらの人は前侯爵様のこともモードさんも、ローディング家の人を見ると誰のことも竜侯爵様と呼ぶ。

 会話の最後まで聞こえなかったが、モードさんの顔にも泥をぬってしまった。

そして、モードさんが留守にしていたから、わたしひとりだからこういうことが起こるのだと、知らしめてしまった。

 馬上から手を差し出してくれるルークさんの手を取って、引っ張り上げてもらう。

 ハンスト商会さんは表門近くの街に支店がある。昨日はそこの人がわざわざ牧場に出向いてくれて契約となったそうだ。


 いきなり来たから当たり前なのかもしれないけれど、1時間待たされた。会ってくれたのはハーバンデルク支部長のバンさんという方だった。細い目で、口調は軽やかに、にこやかな雰囲気だが、もちろん本当に笑っていないのはわかっている。


「お待たせして、すいません。事前にお約束いただけないと、時間をとるのが難しくて」


 わたしは急な訪問を詫びた。


「今日はどういった御用むきで?」


 チラッとわたしより後ろの、壮絶に顔のいい護衛のふたりに視線を合わせている。会う人、会う人、わたしと話しながら視線は後ろにいくので慣れた。

 昨日契約させてもらったけど、わたしはご挨拶させていただいていないので、寄らせてもらった旨を伝えた。


「それはわざわざご足労いただき、ありがとう存じます。ウチもアマン子爵のゼフィーヌお嬢様の口利きだから契約させていただいたんですよ。オタクのところとだと利益は見込めませんが」


 あーーーーーー、そうなんですね。それならお得意様の顔を立てての、一回切りの契約だったのかな。


「契約は3ヶ月で間違いないでしょうか?」


 アキさんは3ヶ月って言ったけれど、契約書にその旨が記載されてなかったのだ。アキさんは契約書を交わしたのは初めてのことで、その時隣にゼフィーさんがいて、親しげな感じだったので、話が通っていると思ってサインしたみたいなんだよね。


「は? 契約通り3ヶ月だけは5%引きでお届けしますよ。そこからは通常の値段に戻させていただきますがね」


 何言ってるんだ? 契約書通りに決まってるんだろと言いたげに、憤っていると感じる。ふむ。


「すみません、わたしが聞いている契約と契約書では、今のお話と少し違うようです」


 と、わたしは契約書を出した。


「そちらが提示してくださった契約がどういうものだったのか、今一度教えていただけますでしょうか?」


 彼は少し驚いてわたしを見てから、姿勢を正した。


「拝見します」


 と契約書を見て、目を見開く。


「これは……」


 彼が急に立ち上がったので、わたしの後ろに立っていた護衛のルークさんが前に進み出た。その隙のない素早さに、わたしとバンさんは同時にびくっとした。彼はわたしに向かって頭を下げる。


「これはうちのものが持っていったのですよね? これは契約書として成り立ちません。大変失礼をいたしました。昨日契約に行ったものに確認を取ります。申し訳ありません」


 担当者が不在だったこともあり、後ほど、バンさんが牧場に来てくれるということで話はついた。


「契約書がおかしいことは気づいていたのか?」


 王子に尋ねられて頷く。


「パズーさんが、おかしいって教えてくれて」


「で、手は打ったのか?」


「まず商会さんがどんなつもりでいたのか、それを知りたかったから、まだ何も」


「あの令嬢が絡んでいるのだろう?」


「……どうなんだろう。まだわからない」


「切ってしまう方がいいぞ。あれは何かやらかしそうだ」


 少し言葉を交わしただけで、王子はそう思うんだ……。


「モードがいないと切りにくいのか?」


「そういうわけじゃないけど、判断を下すのに私見が入りそうで怖い」


「ハナはオーナーなんだから、それでいいんじゃないか?」


 ゼフィーさんは金策のために働いているわけではないけれど、やはり自分から辞めたのではなくクビになったらそれは心に残ってしまうことだと思う。解雇は人の人生を左右することになるかもしれない。それがちゃんとした理由ならいいけれど、わたしは不安になる。感覚で決めてない? 合わないからって理由を探していない?

 結局のところ、どう理由を並べてみても、わたしは人の人生の岐路に関わるのが怖いだけなのかもしれない。


 牧場に帰り着くと、割とすぐにバンさんがいらした。かなり焦ってきたようで、馬車ではなく、自身で馬に乗って来られたようだ。リビングに通してお茶を入れる。念のためパズーさんにも同席してもらった。

 バンさんにはまず謝られた。担当者が先走った契約を交わしたこと。バンさんに報告があがっていた契約内容とも違ったようだ。今までこんなことが起こったことはないので、彼も慌てふためいている。教育が行き届いてなかったと謝られた。


 どうやらアマン子爵から担当者に話がいったようで、3ヶ月だけ安く抑えて商品を提供してくれれば、その後10%乗せで返していくし、他の取引も斡旋する約束が交わされていたようだ。

 何その権力があるからまかり通る取引内容は。アマン子爵家は何がしたかったのか。これ知らずにいたら、3ヶ月後どうなっていたんだろう。急に契約だってことで10%も上乗せてうちが返すことになったわけ? それはアマン子爵が企てたの? 彼女は知らなかったの?


 こちらとしてはまだ被害にあったわけではないのだが、お詫びとして3ヶ月野菜を安く卸すと言ってくれた。でもそれはお断りした。冷夏で被害を受けているのは野菜を作っている人たちだ。ここで卸業者が安くしたら、生産者にそのしわ寄せがいくことは目に見えている。正規の価格で買うので、とりあえず3ヶ月の取引をしてみないかと持ちかける。

 市場を拡大するのは悪くないことだからだ。手広く他の国にも支店がある商会だからこその品揃えも見込める。新参者には敷居の高い商会のようだから、これはある意味チャンスだ。


 バンさんはそれは悪くない取引だと思ったらしく、新しく契約書を作成し、わたしたちは契約を済ませた。大きい商会だから信用が第一なことをわかっているのだろう。とりあえず顧客であれば、ちゃんとしていない契約を持ってきたんだよ、あのハンスト商会がと言いふらされたりしないってところで妥協したんだろうな。同席してくれたパズーさんにお礼をいう。

 護衛をかってでて、商談中はずっと立ちっぱなしだった王子たちにもお礼を。


 パズーさんと入れ違いに入ってきたのはゼフィーさんで、洗濯物を取り込んで持ってきてくれたようだ。わたしは自分のまぶたがピクピクしているのを感じる。

 まだ考えがまとまっていない。彼女がどこまで関与しているのか尋ねるのにどうするのが一番いいか考えなくてはいけない。だから、言葉を飲み込む。

 代わりにお礼を言わなくちゃいけないのも、イラッとくる。


「ありがとうございます。でも、前にも言いましたが、こういうことはなさらなくて結構です」


 彼女は時々とても親切だ。洗濯物を取り込むのが遅くなった時とか、風で飛んでしまった物を持ってきてくれたこともある。わたしはそれが多分他の人なら、まぶたがピクピクすることなんてないのだ。わたしが彼女に対して過敏になっていることもあると思う。彼女と気を使うところがどうも合わないのだ。

 ほんとつまらないことだと思うんだけど、どうしても嫌なことがある。わたしは寝室に、人に入られるのが嫌なのだ。1階のリビングはみんなが集うところにしているし、客間もあるし、人の出入りは気にしていない。

 他の人は2階に上がってくることはほぼない。ホストであるわたしかモードさんがいなければ用はないわけだから。頼まれた用事や、寝込んでいてお見舞いとか、そういうのは別だけど。2階はわたしたちのプライベートルームオンリーだから。

 ところが彼女は2階にも平気で上がってくる。部屋にも入る。わたしが帰ってきて2階に上がったら、洗濯物が風で飛ばされていたから拾って届けにきたと、寝室のベッドの上に置きにきてたんだよ。わたしたちがいないのに。

 わたしはそれがどうしても嫌で、2階には上がってこないように伝えた。ひとりに言うのはよくないと思って、朝の伝達の時にみんなにお願いした。それなのに、彼女は時々やりやがるのだ。何度か言ったが、返事をしておいて、親切故のわたしの嫌がることをやってくる。


「2階に置いてきますね」


 というので、わたしは丸ごと受け取る。


「いえ、結構です。前にも言いましたが、2階には上がらないでください」


「オーナー、そんな遠慮なさらないでください。貴族といっても、私はオーナーの下で働いているんですから」


 これだよ。どこをどうとると遠慮してやめてって言ってることになるんだ。

 もう、彼女には何をどう言えばいいのかわからない。


 シュタタタタタ、クーとミミが走り込んできて、わたしの肩に駆けのぼる。するとゼフィーさんは一歩下がり、


「では、失礼しますね」


 と出ていった。多分、クーとミミというか動物そのものが苦手なんじゃないかと思うんだよね。

 それなら尚更、なんでここを働き場所に選んだのか、本当、理解に苦しむ。


「おかえり。ゲンちゃんは帰ったの?」


『うん、またくりゅって』


『ティア、あにょおんにゃといると、ここにしわよりゅ。あいつ、ひっかいてやりょうか?』


「いや、やめて。やるときは自分でやるから。大丈夫だよ、ありがとう」


 大きく息をつくと、椅子に座っていた王子に声をかけられる。


「参っているようだな」


「そんなこともないけど」


 王子が指でテーブルを叩く。


「気分転換が必要なんじゃないか。結婚して2年か。……そうだな、そろそろ里帰りしてきたらどうだ?」


「里帰り?」


「普通は半年ぐらいで、家族に顔を見せに行ったりするぞ」


「ハナ様も会いたい方たちがいるんじゃありませんか?」


 ルークさんに言われて、どきっとする。会いたいは会いたい。急に大きくなってしまったため、会いに行くのは我慢している。

 モードさんも言ってくれたんだよね。

 どうやらわたしはこちらでは小柄らしく、年齢よりも若く見えるという。16歳で再会した時もとても成人しているようには見えず、14歳ぐらいに見えていたそうなのだ。今18歳で認識されているはずだが、やはり15、6歳にしか見えないそうだ。そしてアジトのみんなは成長が早い。だからね、まぁ、若く見えると言っても12歳よりはるかに上だけど、そろそろアジトの家族にだけはバラしても大丈夫じゃないかって。モードさんがこの仕事から帰ってきたら、アジトに連れて行ってくれると言っていた。


「うん、モードさんが帰ってきたら、連れていってくれることになってる」


「でもモードはいつ帰るかわからないんだろう? そうだないつも世話になっているから、ハナに休暇をやろう。私が牧場をみているから、ルークに連れて行ってもらえ」


「いや、それはいくらなんでも……」


「正直者だな、顔色がよくなったぞ」


『ほんとだ。ティア、あかりゅくなった』


『うん、この頃、ずーーーーーっと、くりゃかったにょに』


 クーとミミに言われて驚く。そっか、わたしけっこう堪えてたんだ。ダメだな。


「いつも走りっぱなしでは疲れてしまいます。たまには休まれてはいかがですか? 離れることで見えてくることもありますしね」


 ちょうどいいことに、明日は火の日で牧場の営業はお休みだ。結局、行きたい気持ちがあったからだろう、のせられたように取り繕いながら、里帰りすることにした! 16人の家族の元へ。

 ゲンキンなことに、みんなに届けたいものを詰め込んでいるうちに、お腹の痛みも頭の痛さも気にならなくなっていた。

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