0159 う、そでしょ。なんで……


「あのね、お姉さん。僕は森の外には」


「他の、でても大丈夫な魔獣に伝えられ、いえあの、贅沢だったわ。森の出口を教えてくれる? あまり意味はないかもしれないけど学園の結界の中に入った方がいいと思」


「アリア様っ!」


 突然、名を呼ばれて振り向いた私の視界の隅で一角獣ユニコーンの赤ちゃんが脱兎逃げていったのが見えて「うわあ」思いながら声の主を見ると、見覚えのある顔だった。騎士団の。


 ハリーさん。――に叱られたあの日ずっと倉庫整理だったそうだけどなぜここに?


「アリア様、ぜふっ、なんでこん、なとこに。ってのはどうでもいいので早く学園に移動しましょうっ、みなさん心配しています! 特に王子様は食事まで断ってしまって」


「! ……何日くらい経って」


「誘拐された「女の子」たちが帰って五日、トータル十日は経ってます。だからっ」


「……。……誰?」


「え、なに言って、アリア様?」


「答えて。あなたは誰、なの?」


「……ふう。さっすがねえ~ん」


 人懐っこいの代名詞みたいだったハリーさんの表情が驚愕から無表情に変化したと思ったらにやあ、と意地の悪い笑みを浮かべてその姿が溶け崩れ、新しい姿が発現した。


 おどけた文句を吐いたのはユーリ公爵、だった。でも、一馬身分離れているだけでもっと離れたいのに動けない。なぜか? それは現れたのがユーリ公爵だけでないから。


 私のまわりを取り囲むように魔族たちがじりじり距離を詰めてきている。逃げるべき場所がない。ちょっ、と待って。どうしてこんなに早く。それも待ち伏せされてって。


「どうしてバレちゃったのかしら?」


「……」


「ううん、素っ気ない☆」


「おい、公爵。もたついている場合か? 魔王陛下がお待ち、どころか心待ちだぞ」


「わぁかっているわよ。たーだ今後の参考にね、必要だと思ったからこそよ。ねえ、アリアちゃん? 探求心を忘れたらその種族はたちまち退化すると思わないかしらん?」


 ユーリ公爵に焦燥をぶつけたのはラカラン伯爵で彼はいつでも飛びかかれるよう身構えている。全身に霜を纏っているのを見るに私の、私自身を焼いた炎を警戒している。


 なのに、ユーリ公爵は落ち着いていて余裕そのものなていで構え、てもいない。でもだからといって私が横を通り抜けるのを許してくれるわけない。だって、彼らは、魔族。


「さ。他がうるさいし、お互いの疑問解消は後回しで、とりあえず帰りましょう?」


「あなたが一番うるさいし、アホだわ」


「……あらあら~ん、なぁぜ?」


「私の居場所はここよ! せっかく帰って」


 ――どつどつどつッ、ドッ! 私は当然の主張でようやく帰ってこられた地を踏みしめていた。と、思ったのに鈍い音が連続して全身、右脇腹、左太もも、右上腕、そして、トドメとばかり脊柱に覚えの深い鋭いものが突き刺さり、足が浮き、持ちあげられる。


 息が、できない。痛みで、だけでなく持ちあげられると同時に、間髪入れず注ぎ込まれだしたモノのせいで体が痺れて、痙攣して。ひくひく、とびくつく体。刺激で涎が零れるが体、動かない。痛みは刺さった瞬間だけ。痺れと強烈な眠気が襲う。鞄が落ちる。


「さすが聖女様。汚い手を存じないのね☆」


「あ、っかは、はっ……っ」


「無理無理。「今は」もう話せないわあ。ふふ、かーわいいわねえ。敵対者に意識向けすぎててこっそり忍び寄っていた針に気づけないなんて。だから、あとは刺すだけ♪」


「はっ、ひゅ、う……く、ぁ」


「ああ。安心して? 今アリアちゃんに注ぎ込んでいっているのは魔王陛下のモノですからねえ。うふ。他の魔族たちの媚毒びどくも混ぜた方が刺激が強くなるのに独占欲かしら」


「……ぃ、ひ、はあ……っ」


「ほら、動かないの~。あと少しで全量注ぎ終わるからねえ。いいコにしましょ?」


 抵抗の意、だけは示そうとして刺されていない足でユーリ公爵を蹴ろうと動かしたつもりだけどほんのちょっとびくついた程度でしょうね。魔族の爵位持ち、ばっかりだというのにこんな卑怯な真似して、許せないわ。それとも私が間抜けすぎるだけ、だとか?


 でも、これ、この媚毒。髄膜以外に刺してもこれって、どういうこと、なの……?


 すると、一足先に注ぎ終わった魔族たちが自らの針を引き抜きながら私に寄ってきてところどころ封印術が仕込まれているたまが輝く鎖で私の体を一周ほど巻いた。なのに。


 鎖に巻かれただけなのに、体、重い。地に縫いつけられる錯覚。うつ伏せの体が地面に押しつけられているかのような、そういう感じ。うつ伏せ、なのはユーリ公爵のノルマがまだだから。ユーリ公爵が大瓶おおびんの中身を呷って飲み干し、ぶる、と身震いした途端。


 ――……ぢゅ~~ぢゅぢゅぢゅるるっ。


 ダメ押しよろしい媚毒が大量に注ぎ込まれて仰け反ってしまう。体、びくびくし、ていうこと、聞かな、い……っあ。ダメ。ダメ。このままじゃあ、あっという間に、私。


「――……っ、ひゅ、う」


「あーん。アリアちゃんったらいい反応するわね。自分のじゃないし、刺して注ぎ込む感触だけなのにアタシが興奮しちゃうん☆ さ、これで充分でしょ。いくわよ。散れ」


「応」


 ユーリ公爵の合図で、一声で魔族たちが四方に散り、私の体の真下に転移魔法の儀式陣が速記されていく。そんな、せっかく逃げだせたのにこんな即行で捕まる、なんて。


 視界が滲む。眠気が襲ってきて、波のようにゆらゆらして私を睡魔で押し潰そうとしてくる。びくつく体は緊張しているのでしょうが、眠気に応じて徐々に脱力していく。


 その視界の隅に見えたのは、なんだろう。いけない、しっかりしないと、って思うのに強烈な眠気に抗い切れず意識が沈んでいった。柔らかい草原くさはらを感じていたのに、そのぬくもりと陽の暖かさは消え、しっとりした空気が肌を撫でたのだけ感じて瞼が閉じた。


 多分、転移魔法の儀式陣が敷いてあったあの洞窟の空気だわ。ダメだった。魔族なる存在が、人間の比でない狡猾さを持つ種族が一度、とて許すわけない。なかったんだ。


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