王猫
色々書いてきたけれど、私が一番この世に残さねばならないこととなれば、王猫についてだろう。王猫のことは話すのも難しいのに、書くとしたらどうやって書いたらいいものかしら。
でも誰に見せる予定もないのだし、わかっていることだけ書いても許されるだろうか。許されるということで書き進めてみよう。
王猫は、ティエビエンの聖獣だとされていること以外、何もわかっていないと言ってもいい。王猫は人の知識を求めるだけ求めて、彼の——彼らのことは何も話さないからだ。王猫の巫女となった祖先は代々、経験から知り得た王猫についての知識を文献に残してくれているけれど、読めば読むほどわからなくなる。人とは全く違う、異質な獣のことだ、理解しようとするからいけないのだろうか。それにしてもわからないことだらけで、困ってしまうのだけど。
とにかく、今の私が知っていることだけでも書いてみよう。
見た目について。王猫は、見た目はとても巨大な猫だ。寝そべって頭を上げた状態で、額のてっぺんから折りたたんだ足までの長さが、おばあ様の身長の二倍くらいある。白金色の毛並みに金色の瞳。光差す塔の五階に暮らしているせいで、光が集まって猫の形を取ったのかと勘違いしそうになるほど神々しい。
暮らしについて。王猫は基本、塔の五階から動かない。私は体が大きすぎて重いのだと思っているが、毛並みに触れる以外で触ったことがないから、重さのことは確かではない。そのわりに食べる量は少なく、大人の男一人の一食分程度の魚か肉料理を食べる。王猫が好む塩と香草を秘伝の割合で混ぜた香辛料が塔に伝わっていて、巫女は塔に届けられる魚か肉をその香辛料で味付けして、日に二度王猫に供する。割合と材料は、秘伝だからここには記さない。私に娘が生まれたら伝えようと思うけれど、もし生まれる前に私が死んでしまっては困るから、館のおばあ様の部屋にあった戸棚の奥の皿をどかした二重底になっている引き出しに入ったガラス瓶を割ったら出てくる黒い壺に、配合を記した紙が遺されているとだけ書いておく。もしも、万が一、私が次代に巫女のことを伝えられないまま死んでしまったら、次の巫女はこの手帳をがんばって探してほしい。
望みについて。王猫はこの地にある全ての知恵を欲していると伝承にはあるが、それはうそではないらしい。王猫は朝も昼も夜も、塔に届けられる本を読んでいる。人間用にあつらえた大きさの書物をどうやって読んでいるのか、そもそも文字が読めているのか、さっぱり謎のままだが、どうやら読んでいるらしいということだけはわかっている。私が読んだことと同じ内容を、彼も知っていると言うから。どうして知恵を求めているのかについては教えてくれない。もしかすると、人間が睡眠や食事を必要とするように、王猫という聖獣は知恵を必要とする獣なのかもしれない。
声について。王猫は猫とそっくりの鳴き声を発する。普通の猫と違って、その鳴き声は私に、人間が語りかけてくるのと同じ意思を伝える。猫か、動物の伝えたいことがわかる、私と同じ血の力を持っている人でないと、この意思を解することはできないようだ。逆に、人間の言うことは、王猫には大体伝わっているらしい。ティエビエン語を学んだのではないかと考えられていたが、少し前にわかったのは、どうやらユースフェルト語も理解するようだということだ。仮説になるけれど、私が猫の気分がわかるように、王猫の方も人間の意思を言葉から読み取るのではないか。王猫が人の言葉を解さないだろうと思っているような不届き者は、そもそも塔に入る前に私が追い払うが、もし塔に立ち入ったとしたら言葉には気をつけた方がいい。
性格について。王猫は(少なくとも今代の王猫は)とても温厚だ。人間のやることに一々動揺しない。玉座に座った王様のように堂々としている。怒ったところもほとんど見たことがない。新しい書物を求めること以外では、これといった要求もしてこない。普通の猫のように毛づくろいをすることもないので、あの光るような美しさが好きな私たち巫女が、勝手に毛並みをつくろっている。それにも怒って振り払ったりしないので、寛容なのだろうと思う。
ここまでに書いたことだけでも謎が多いが、最も謎が深いのは、生殖についてだ。生殖というのは言葉が正しくないかもしれない。獣の見た目をしていても獣と同じようには生きない生き物だから、聖獣というのだもの。
交代について。王猫は交代する。人間の王が世代を継ぐように。王猫は百年生きると言われていて、これまでの記録を見ても、百年から大きくずれたことはない。百年のうち、七十五年まで生きると、四匹(匹という呼称が正しいかわからないが)の子猫の姿をした分身を生み出す。その四匹は王猫の子と呼ばれ、生まれた時は王猫と同じ白金の毛並みに金色の目をしているが、しばらくすると一匹は薄茶の毛に赤の瞳、一匹は毛に黒の縞模様が入って瞳は金のまま、もう一匹は真っ白の毛並みに青の瞳、最後の一匹は白金の毛はそのままに緑の瞳と、その身にまとう色を変える。四大神と同じ、自然の四つの力を司り、環境に反応して姿を変えるのだ。それぞれ、地(すなわち緑)、炎(と光)、風、水の力を持っている。そして二十五年の間成長したのち、先代が生まれて大体百年目を迎えると、選ばれた一匹を除いて、先代と共に永い眠りにつく。そして選ばれた子が眠りについたほかの全てをその身に迎え入れ、新たな王猫となるのだ。
この生命の循環を王猫は繰り返しており、仕える巫女は百年も生きないから、王猫が交代する時に巫女となることは名誉だと言われている。私はその名誉に預かっている。
王猫の子の性格について。これは、今代の王猫とは似ても似つかない。今代、一番目に生み出された薄茶の毛と赤の瞳をした緑と地を司る子、『地の』という意味でティエラと呼ばれる子は、のんびりやで塔を囲む森からあまり出てこない。昼寝が一番楽しいと思っているのではないかしら。二番目の黒いしま模様があって金の瞳をした光と炎を司る子、『火の』という意味でフェゴと呼ばれる子猫は、真面目な性格で、よく王猫と同じように日にあたったり、本をめくったりしている。三番目の真っ白の毛並みで青い瞳をした風を司る子、『風の』と言う意味でヴェントゾと呼ばれる子は、かなりのいたずらっ子で、よく塔から脱走する。風に乗って外の世界へ行ってしまうのだ。四番目の白金の毛に緑の瞳の水を司る子は、『水の』という意味でアグアと呼ばれ、純粋な子だ。いつも森の中の池やら湖やらで遊んでいるけれど、ご飯が大好きで、ご飯の時だけすごい速さで帰ってくる。子猫たちは最初は普通の子猫と同じで食事や排泄の作法が身に着いていないから、それを教えるのも私の仕事だったけれど、それぞれ性格が違いすぎて一匹ごとに合わせた工夫が必要だった。
みな普通の子猫と変わらないように見えて、魔術師顔負けの力を持っているし、人間の言葉を聞き取ることができる。それに、一年以上経っても子猫の姿のままなのは、王猫の長い寿命を表しているように見える。
知っていることをまとめてはみたけれど、この知識も全て経験から得たことで、仮説にすぎないし、どうやって王猫が本から知恵を得ているのかも、どうして知恵を求めるのかも、何があって交代することになっているのかも、わからないことだらけだ。王猫についてこの世で一番くわしい人間は巫女のはずなのだけれど、それでもこんなにわからない、王猫とはいったい何なのかしら。そもそも、聖獣というのも不思議。古の王に白の塔を建てさせた知恵を求める獣だということ以外、本当にわかっていることなんて何一つないのかもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます