11 ジルベール騎士爵代行 アニエス その8
……ああ、そうだ。
私は確かにそう誓った。
無知で傲慢で世間知らずで……名実ともにただの小娘であった私は、ただ前世の記憶を思い出したというだけで周囲を見下し、思い上がり、さらには彼の純粋な心を、己の都合の良いよいと利用したのだ。
第二王子付きの騎士。
その響きに舞い上がり、将来の安泰を確信し、どれほど楽ができるだろうかと、どれだけ現実から目を背け責任から逃げ出せるかと、浅ましい計算をしていた。
彼がどれほどの覚悟でその言葉を口にしたのか、一片たりとも理解しようとせずに。
ああ情けない。
過去の自分もそうであるが、今の今まで、まともにこの失態のことを考えていなかった自分が不甲斐なくて仕方がない。
顔から火が出るどころか、全身が火達磨になって燃え尽き灰になりそうだ。
このまま消えてしまいたい。
いや消える前に過去に戻って、あの時の自分の愚かな頭を、思い切り壁に打ち付けるのが先だな。
岩盤するしかない。
いやもうほんと、恥ずかしいことこの上ない。
黒歴史ノートを全校生徒の前で公開されるよりも恥ずかしい。
今の私を見てみろ。
あれから十年以上の時が経ち、私はこの世界の常識と貴族社会の厳しさをようやく理解したのだ。
女性が騎士になるということが、どれほど異端であり、困難な道であるか。
全て幼い頃のアルベール殿下が私に涙ながら訴えてきたとおりではないか。
それを私は、苦労も知らぬ幼子の戯言に過ぎぬと内心で一笑して、大人ぶって無視し、彼を侮蔑した上で、しかし彼の威光を利用して、あまつさえ栄達を目論んでいたのだ。
愚か者は経験でしか学べぬと言うが、いやはや至言である。
そして馬鹿は死んでも治らぬという格言もある。
つまり愚かで幼稚すぎる私は、やはり死ぬべきである。
そして王族の、第二王子という立場にある者が、私のような者を傍に置くということが、どれほどの政治的リスクを伴うのか。
それをいくら予備だと自分のことを自嘲なさるとはいえ、聡明なアルベール殿下が理解していなかったとは思えぬ。
やっぱ死ぬか。
いや、ここで腹を切るのは流石に殿下にご迷惑をおかけするし、サーモ伯爵にも申し訳がたたぬ。
よし、騎士として叙任が叶わなかったときは腹を切ろう。
覚悟する。
目の前に立つアルベール殿下の真剣な眼差しから、私はゆっくりと視線を逸らした。
失礼であると承知の上ではあるが、もはや合わせる顔などない。
なんなら、この場から逐電すべきであると思っている。
しかし、殿下の問いに答えぬわけにもいかぬ。
「……覚えて、おります」
ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほどか細く掠れていた。
「もちろん覚えております。アルベール殿下。ですが……」
私は一度言葉を切り、意を決して顔を上げた。
今度は彼の目をまっすぐに見つめ返す。
「あの時の私は、あまりにも世間知らずで、愚かな子供でございました。殿下のお気持ちも、そのお言葉の重みも、何一つ理解しておりませんでした。ただ、己の醜き野心のためだけに、殿下の優しさにつけ込んだに過ぎませぬ。……どうか、あの時の約束はお忘れください。そうでなければ申し訳がたちません」
私の心からの言葉である。
過去の過ちに対する唯一の、そして精一杯の贖罪のつもりだった。
足りないのは分かっている。
この場で殿下に誠意を見せよと言われれば介錯無しで腹をも切ろう。
殿下をこれ以上、私という厄介事に巻き込むわけにはいかない。
彼には彼の人生があり、私のような騎士に……いや、騎士になれるかどうかもまだわからない愚物を抱え込む義理など、どこにもない。
私の言葉を聞いたアルベール殿下は、僅かに目を丸くし、驚いた表情を浮かべた。
しかし、それは一瞬のことだった。
すぐに彼の表情は、幼少の頃と変わらない、穏やかで、少し寂しげな微笑みに戻った。
「……だいぶ変わったね、君は」
彼の静かな声が、埃の舞う部屋に優しく響く。
「昔の君は……ハッキリと言ってしまえば、もっと傲慢で、まるで自分が世界の中心だとでも思っているようなところがあった」
「申し訳ございません……」
的確すぎる指摘に、私はぐうの音も出ず、再び俯いてしまう。
的確な事実陳列で私を訴追するな。
死んでしまうぞ。
いや死のう。
死ぬべきである。
今死なずいつ死ぬというのか。
そんな私の様子を見て、アルベール殿下はくすりと小さく笑った。
だがそれは、私が長らく受け続けてきた嘲笑のそれとは違う。
その笑い声には、棘など少しも含まれていない。
「だが、今の君は違うようだ。ずいぶんと……そう、丸くなった、と言うべきか。あの頃の君なら、私の申し出に、ふんぞり返って『当然です』とでも言っただろうからな」
「返す言葉もございません」
本当に言いそう。
いや、言うに違いない。
過去の私が、そう言ってる姿が想像の中で目に浮かぶ。
死んでくれ、過去の私。
いや、私が過去の私を殺しに行こう。
100%オフの買い物をして位置エネルギー車で轢き殺そう……いやそれは別の映画か。
アルベール殿下は、そんな私の葛藤を見守るように、やはり侮蔑など一切混じらぬ穏やかな眼差しを向けてくる。
「アニエス。私は、あの時の約束を違えるつもりはない」
はっきりと彼はそう言った。
その声には迷いも、ためらいもなかった。
「君が私をどう思っていたかは、もういい。君が言うように、お互い子供だったのだから。だが私にとって、あの約束は今でも……いや、今だからこそ、大切な意味を持っているんだ」
私は顔を上げた。
彼の金色の瞳が、窓から差し込む光を反射して、真摯な輝きを宿している。
「だから、頼む。この試合を乗り越え、君が正式に騎士として認められたなら……私の下に来てほしい。そして、私の相談役になってくれないだろうか」
「相談役……で、ございますか?」
予想外の言葉に、私は思わず聞き返した。「殿下の騎士」になるのではなかったのか。
私の疑問を察したように、アルベール殿下は少しだけバツの悪そうな、残念そうな顔で続けた。
「ああ。……本当は、君を私の近衛にしたかった。君と約束した後に父上にも、そう願い出たんだ。だが、許されなかった」
彼の声に、苦い響きが混じる。
「前例がない、と。女性を、それも、飽くまでも地方領主に過ぎないジルベール家の者を王族の近衛に迎えるなど、貴族たちの反発が大きすぎる、と……」
ああ、やはりそうか。
無理もない話だ。
王族の近衛騎士というのは、単なる護衛ではない。
主君の最も信頼する側近であり、その一挙手一投足が、主君の威信に直結する。
言うなれば騎士の最上級だ。
下手な男爵や子爵よりよほど名誉ある地位と言えよう。
そこに私のような素性も性別も異例尽くしの人間を置くなど、さらに言えば家柄すら足りぬ家の者を置くなど、伝統を重んじる貴族たちからすれば、到底容認できることではなかろう。
それがたとえ「予備」だと自他ともに認めておられる第二王子であろうと、王家は王家である。
ピエロを置くようなものだ。
いや宮廷道化師のほうが私なんぞより遥かに高貴であるか。
国王が、そして次期国王を担う王太子が、アルベール殿下の個人的な願いよりも、王国の安定と貴族間のパワーバランスを優先するのは、為政者として当然の判断である。
王家が自身の「お気に入り」に多少の便宜を図る、くらいは貴族も黙認し通用するだろうが、直接的に地位や名誉や権力に関わってくるとなれば話は別だ。
そんなもんを了承したら汚職と政治闘争に明け暮れる羽目になる。
リュミエール王国は絶対王政に移行しつつある封建制の国家だ。
そりゃあ少しでも隙は見せたくない。
「……それで、相談役、と?」
「そうだ。近衛という公式の役職は与えられない。だが『第二王子の相談役』という立場ならば、誰も文句は言えまい。形の上では、君は王宮に仕える一介の騎士であり、私は時折、君に助言を求めるだけだ。これなら、他の貴族たちも口を挟むことはできん」
政治的な障壁を迂回し、実質的に私を彼の配下に置くための苦肉の策。
非公式な立場とはいえ、一応は役職を与えられるのだ。
第二王子の歳費から給金も支給されることになる……馬どころか装備の調達にさえ苦労している私にとっては、有り難いことこの上ない。
そしてそれは同時に、彼がどれほど真剣に、私を慮ってくれているかの証明でもあった。
第二王子という自身の立場、王宮内の政治的な力学……それらを承知した上で、それでも私という「常識外れの騎士」を、自らの手駒として、迎え入れようとしているのだ。
あの頃のただ心細げだった少年は、もうここにはいない。目の前にいるのは、自らの無力さを嘆きはすれど、間違いなく一人の王族である。
ここまでお膳立ていただいたのだ。
私はこの人の期待に、応えたいと思った。
いや、応えなければならぬ。
ここで応えられねば、それはもはや騎士とは言えぬ。
叙任式に参加できただけの追い剥ぎと相違ない。
過去の自分の所業についての贖罪のためではない。
将来の自分の安楽のためでもない。
ただ私を見捨てずに拾い上げてくださった、この王子の力になりたい。
彼の剣となり、盾となり、彼の行く道を阻むものを、この腕で切り払わねばならん。
そう思った。
「……アニエス?」
黙り込んでしまった私を、アルベール殿下が不安げに覗き込む。
私は、彼が差し伸べてくれたその手を、今度こそ、しっかりと掴む。
ゆっくりと、しかし確かな動作で、私は彼の前に片膝をついた。
これが、私の新しい始まりなのだ。
「もったいなきお言葉、身に余る光栄にございます」
顔を上げ、アルベール殿下の金色の瞳を、まっすぐに見つめる。
「このアニエス・ジルベール、ただいまより、アルベール・ド・リュミエール殿下に我が剣と、我が命を捧げます。この度の試合、必ずや勝利し、殿下の『相談役』の任、謹んでお受けいたします」
私の声はもう震えてはいなかった。
ホールで跪いていた時のような、ただ儀礼的なものでもない。
それは私の魂の底から湧き上がってきた、偽りのない誓いの言葉だった。
アルベール殿下は息を呑んだまま、しばらく私を見つめていた。
やがてその表情がふっと和らぎ、これまで見たどんな時よりも嬉しそうな、心からの笑みが彼の顔に広がった。
「……ありがとう、アニエス。君がそう言ってくれると信じていた」
彼はそう言って、私の肩にそっと手を置いた。
あの頃と同じ温かい手だった。
だが今の私には、その温もりがただの優しさだけではない、もっと重く、そして確かな信頼の証として感じられた。
ああ、私はこの時に決めた。
覚悟をした。
私はこの人のためになら、命を懸けても。擲っても、捨てても良いと。
重い扉が、控えめにノックされる。
試合の準備が整ったという知らせだろう。
私は立ち上がり、アルベール殿下に向かって深く一礼した。
「では、行ってまいります」
「ああ、頼む。……勝利を期待する」
彼の声援を背に、私は控室の扉を開けた。
【切腹】
腹を斬り自裁すること。本来は介錯人が立ち会い、切腹した者が長く苦しまぬよう首を落とされる。
が、リュミエール王国では貴族の作法として「
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