3 ジルベール騎士爵代行 アニエス その2
山賊の討伐を終えた私たちがやってきたのは、自領のジルベール騎士爵領ではなく、それより北西に幾ばくか進んだ先にあるサーモ伯爵領である。
今回の討伐は、私が正式に騎士爵を継ぐために必要な儀式……実際に兵を連れて敵を討つ初陣を務めること……であり、その報告のためだ。
山賊討伐の令を出しているのはこの一帯を治めているサーモ伯爵だしね。
もっとも、この初陣というのは形式上の話なんだけれども。
騎士になる際には、戦闘と言うか、命のやり取りを経験する必要がある……本来は
私の場合、その命のやり取りだとか、戦働き何ていうのは既に経験済み……どころか、現役の騎士と同じくらいやってる気がする。
何せ、騎士代行として、父が戦場に出れなくなったり死んだりした後は私が代わりに務めたからな。
そうでなくても、父の訓練によって、人間を含めた生物の殺生についても、とっくの昔からやっているので今更ではあるのだが。
とは言え、私は異端も異端な経歴の持ち主なのだ。
まっとうな方法で騎士などなれるはずもない。
飽く迄も騎士代行として働いていた分は父の功績としてカウントされているし。
つまり、此度の山賊狩りは私が騎士に叙任するために必要な儀式だったわけだ。
伝統には儀式が伴うのは理解しているので文句を言うつもりなど一切ない。
こういう事を「合理的でない!」と賢しげに否定するのは簡単だが、それは儀式を尊ぶ人らと縁を切るとかいう自爆でしか無いからな……どこの世界でも
さて、サーモ伯爵がいらっしゃる館への道のり……物理的な話……についてだが。
流石というべきか、それとも当然というべきか、騎士爵である我が領と比べるまでもなく見事なものである。
農地は畑の広がる平地を通って見えるのは見渡す限りとまではいかぬとも、大きな大きな石造りの城壁だ。
もちろんこれらは、ただ石を積んだと言うわけではなく、壁の上には通路があり、外敵がやってくれば弓兵が並んで迎撃に移る。
金属で補強された門前には、給料と名誉、そしてサーモ伯爵への忠誠で武装した門番が目を光らせる。
前世ではよく読んでいたウェブ小説のような
そんな門番の鋭い視線を背に、私は重厚な城門をくぐった。
都市の中は、まるで別世界だった。
石畳の道は磨き上げられたように滑らかで、両脇には色とりどりの花が咲き誇る花壇が並んでいる。
商人たちの活気ある呼び声や、子供たちの笑い声が響き合い、まるでこの都市が一つの生き物のように脈動しているようだった。
門前からして既に次元が違ったので、当たり前だと言えば当たり前だ。
これと比べれば私の騎士爵領なんて、剣聖どころか剣術道場すらもない片田舎のド田舎である。
まあ、必要以上に卑下することは、私のちんけな誇りなどはともかく、そこに住まう私の領民たちに申し訳が無いし、彼らへの侮辱であるので絶対にしない。
当たり前だが口には出さないし、もし、それを真正面から他人に言われたらそいつを殺さざるを得ないワケだがね……とはいえ内心で思うのはどうにもならん。
私は歩みを進め、小高い丘の上にそびえるサーモ伯爵の館を目指した。
館は遠目にもその威容を誇り、近づくにつれてその壮麗さには、息を呑む。
白亜の外壁は陽光を反射して眩しく輝き、尖塔の先には伯爵家の紋章——斧を咥えた熊——を刻んだ旗が風に揺れている。
門をくぐると、中庭には手入れの行き届いた庭園が広がる。
「では、アニエス様、私たちはここで」
「うむ」
ここでパトンを含め、従士たちとは一旦お別れだ。
悲しいかな、平民である彼らと、貴族としては末端の出がらしであろう騎士もどきの私とでさえ確固たる溝があるのに、いわんや上級の貴族である伯爵とは比べることすら咎められよう。
厳格な身分制度が、この時代の秩序を形成しているといって差し支えない。
平民が貴族の前に出ることが許されるのは、貴族が身分を隠して市井に忍び込んでいるときか、あるいは裁判にかけられるときか、処刑されるときくらいである。
いかにサーモ伯爵が気さくなお方であり、公の場でもなければ平民相手であっても気軽に接してくれる特異な性格の持ち主とはいえ、礼儀を失ってはならない。
さて、先触れは出しているので、私はこのままサーモ伯爵に会いに行くか……と思っていたところで、ドタドタという足音が聞こえてくる。
この重い足取りで、かつ、この場所を走ることが出来る人間と言うのは、一人しかおるまい。
「おお、ようこそアニエス嬢……いや、失礼したねアニエス卿、壮健そうでなによりだ」
陽気な声が響く。
サーモ伯爵が自ら出迎えに来てくれたのだ。
爵位の重々しさとは裏腹に、まるで旧友に話しかけるような笑顔を浮かべている。赤みがかった髪は少し乱れ、豪奢なマントが肩で揺れていた。
サーモ・バーゾク伯爵は父ダミアンの上司のような地位にある人ながら、交流のあった貴族であり、とても親しい間柄であったと聞く。
それはダミアンが狂ってしまい、自らの娘に虐待めいた騎士教育を施したという
本当にありがたいことである……伯爵にまで見捨てられていれば、今頃私は生きて居られなかっただろう。
さて、そのような私にとっての恩人であるサーモ伯爵だが。
見た目は恰幅の良い……いや、ストレートに言ってしまえば非常に太ったデブの中年の男性である。
良く言えば指揮官タイプというか、他人を使うのが上手く、自分は動かずに内政や軍事を執行する系統の人間に見えるだろう……その実は、手斧で敵兵を薙ぎ倒すバリバリの戦闘技巧者なのだが。
「サーモ伯爵閣下、ご無沙汰しております。この度は山賊討伐の報告に参りました」
「ああ、是非聞きたいとも。さあ、屋敷に入って話そうじゃないか。討伐の話、じっくり聞かせてもらおうかな?」
お腹をポンポンと叩きながら、快活に笑うサーモ伯爵。
そうして広間へと案内されると、そこはさらにというか、もう圧倒的だった。
天井には色鮮やかなフレスコ画が描かれ、壁には金糸のタペストリーが吊るされている。
中央の長いテーブルには、銀の燭台に灯された蝋燭が柔らかな光を放っていた。
間違っても、私のようなホントマジのガチの木っ端貴族のちょい役である騎士なんぞを招く場所ではないと思うんだが……伯爵はそんなことなど気にも留めず、私を対面のクッションのついた椅子に案内する。
貴族の社会において、席次と言うのは厳格なルールが存在するのだ。
まず部屋自体に高台が設けられていて、その物理的な高低がそのまま、互いの身分の高低を表している。
特に、サーモ伯はこの辺り一帯を治める伯爵の中でも上位、なんなら下手な侯爵位の人物より握ってる実権は多いんじゃないかっていう超重要人物だ。
今回の場合で言えば、そんな伯爵位の上澄みであるサーモ閣下と、
まあ勿論それらも、あくまで公式な場というのが前提なわけだが。
それこそ大人数が出揃う宴会だとか他の貴族も交えての会談だとか、そういう複数人の人間が関与する状況こそ厳格かつ厳粛に守らねばならんが、こうして個人的で私的な会合においては、サーモ伯や私の行動が取り立てて見咎められるわけでは無い……仮に余人がこの状況を見たとして、私が相当に気に入られているなぁ、と思われるくらいかな?
こんな筋肉もりもりマッチョどころか、熊と喧嘩しても勝てそうな女と
あ、いや勝てそう、じゃないな。勝ったわ。
「で、どうだった? 山賊どもをどうやって、やっつけたんだい?」
伯爵は椅子にどっかりと腰を下ろし、まるで酒場の雑談でもするように、気さくな態度で身を乗り出した。
「数は三十ほどでしたが……街道にて待ち伏せされたところを反撃し、そのまま首領を一騎打ちで討ち取りました」
身振り手振りを交えて説明をする。
私はあまり、人に話を伝えるというのが上手な方ではないのだが、サーモ伯が合いの手を入れたり、色々と話の腰を折らないようにしつつも質問を投げかけてくれるおかげで、とても話しやすかった。
「あははは!まさか待ち伏せしていた側が狩られるなんて、山賊どもも、そうは思っていなかったろうね!流石、ダミアンの娘らしい大胆さだ!」
「首は取ってきましたので、後ほど確認を」
「うんうん!話が終わったら早速見ておくよ。いやあ楽しみだなあ。どこに晒しておこうか」
手を叩いて笑うサーモ伯。
ちなみに、首を晒すというのは文字通り、首だけの死体を街道だとか門とか人目につく場所に飾ることである。
これは別にサーモ伯の頭が蛮族なわけではなく、この時代においてはとても
悪いことをしたヤツはこうなるのだ、という宣伝と、
今回は生かして連れてくるにはしんどかったので首だけをお届けしたが、生け捕りの場合は見せしめにしたり、公開処刑したりする。これは娯楽にもなるので報奨金も上乗せされたりする。
一罰百戒が治世の
そんな人間の死体を見て喜ぶ人たちを野蛮とは言うまいよ。現代でもニュースで取り上げられた容疑者について、あることないこと取り上げて叩きまくるのと同じである。
人間の道徳なんて早々変わらんのだなぁ……。
「今回のアニエス卿の働きはとても見事だ。これならば、君の出自なりに関係なく騎士受勲について文句を言う者などいないだろう。なにせ、その山賊……スコットは、中々手を焼いていたからね」
「そうだったのですか?」
さて、ここまでの話ではあるが、何も私が山賊をしばいたことについて世間話をしに来たわけでは無い。
借金取りに来た奴を返り討ちにして埋めてやったのさガハハ!みたいな話が庶民の間から普通に聞こえてくるくらいの素敵で不思議な民度の世界ではあるが、流石にそんなことをするためだけに高位貴族とお会いするなど不可能である。
理由は先に述べたとおり、私の騎士爵の叙任のためだ。
貴族と言うのは本来世襲制であり、嫡子に引き継がれるものである……貴族爵位
というものがそもそも、封地や領主権とともに家系に結びついているものなので、試練だとか試験だとか実績だとか特段そういうものは必要ない。
が、騎士と言うのはざっくり言えば個人の名誉であるので、騎士爵位を世襲するという発想はないのだ。
つまりは、騎士の息子は封地を継承するが、自身が
では、騎士を叙任されるにはどうするべきか……と言う話だが。
先の説明のとおり、本来であれば、騎士見習いとして騎士に付き従い、騎士の元で訓練を積み、十分な訓練を積んだと見做されれば、晴れて騎士として認められるわけだ。
その十分な訓練はなんだと言われると、例えば戦争に参加する(この時代はそれこそ三度の飯と同じくらいにはあっちこっちで小競り合いをしていた)が一番に挙がり、それ以外であれば例えば、
そして、それ以外の部分、純粋な騎士としての戦闘力以外の要素……宮廷での振る舞い、領主への奉仕、宗教的義務……つまりは騎士道精神を見せたりだとか、そういうものを指す。
まあ何かに明文化されているわけじゃあないが、概ねこういうものだ。
私の場合は出自が特殊なので、まともな騎士見習いとしての期間が殆どないわ、模擬戦だとか試合なんかには参加する機会も手段もなかったわで、正直このままいくと騎士どころか貴族としての立場すらなくなるんじゃないかってレベルのお話だったのだ、いや本当に。
その辺り、例えば父の代わりに出た戦場での功績を父だけでなく一部は私のものだと判断してくれたり、今回の山賊討伐などを以て代わるものとする、という形に色々と話をつけてくれたのが、父の旧友であり私のよき理解者であるサーモ伯爵というわけである。
いやほんと、サーモ伯には足を向けて眠れん。
なんなら私の貞操なり尻穴なりを要求されたら差し出さねばならんくらいの恩義があるのだが、幸いにしてサーモ伯はこんな筋肉達磨を抱くような性癖はお持ちではなかったようで、純粋に騎士としての実力を評価していただいている。
「そうだったんだよ……ま、君になら話してもいいだろう」
さて、その偉大なるサーモ伯が声の調子を落とし、手で口を隠すようにしてから私に語り掛けてくる。
「スコットは、元々は別の土地から流れてきた山賊のようでね。討伐の指示は出していたんだけど、どうにも、失敗したようだったし……」
……ははぁ、なんでクロスボウなんぞを山賊風情が持っていたのかと思ったが、なるほど、どこぞの騎士が討伐に失敗して武器を鹵獲されてしまったというわけか。
しくじったのは隣接地である騎士爵領……テネブルシュール卿か?
まあ、これについて突っ込んだ質問は止めておこう。
あんまりつっつくと、その山賊を流してきた貴族とは何ぞや、というお話になる。
貴族って言うのは要は「戦う人」だからな。
「祈る人」たる聖職者や「耕す人」たる
お前ん所で仕留めきれなかった山賊がうちんとこで暴れとるんだけどぉ?本当にお主貴族でござるかぁ?と、針の筵確定だ。
その騎士にはサーモ伯爵から
何にせよ公の場で話していいことじゃあない。
「それにしても、ダミアンの教育は厳しかっただろうに、こうして立派な騎士になるとはね。いやあ、感服したよ」
「ありがとうございます、サーモ伯爵閣下……とはいえ、まだ騎士爵の叙任式はうけてはおりませんが」
「なあに、件の山賊団を討ち取ったんだ。それまでの実績を加味しても、君の騎士受勲を拒否する理由もないだろう。それこそ、女性だとしてもだ。君ほどの武勲を挙げてもなお騎士爵になれぬというなら、そのへんの騎士など山賊にもなれんよ」
ははは、と笑うサーモ伯……。
いやあ……間違いなくいい人であり、私の恩人ではあるんだが……どうも貴族らしい貴族という感じでは無いんだよなぁ、サーモ伯。
いや勿論、いつもこんな調子というわけではないし、TPOはしっかり弁えられる人ではあるんだが。
さて、なんと返せばいいものか、と私もあいまいな笑みを返すしかなかった。
【貴族】
領地を治め、敵国の兵や魔物、山賊といった様々な敵や、病気や飢饉といった苦難から領民を守る義務を負った者。大まかには高位貴族と低位貴族に分けられる。
リュミエール王国では、すべての貴族を王侯が束ね、4つに分けた王国の領地を侯爵が総括し、そこを地域ごとに分けた領地を伯爵といった高位貴族が管理していき、伯爵の下で細分化された領地を低位貴族たる子爵、男爵、騎士爵が運営していく仕組みとなっている。
総じて
ただし騎士爵のみは個人に授けられる名誉であり、武芸、忠誠心、騎士道の精神を示した者が主君から叙任されるものであるため、相続はされない。
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