第32話 前日より地竜な剣聖さん
先輩に今後は自分の命を大切にすると、約束させた。これは大勝利のような気がする。それで私は大変機嫌がいい。
人生で一番かもしれない。
昼に会ったにも関わらず、もう先輩に会いたくなっている。
どんな顔をしているのか、見たい。
剣聖の紋章も輝いている。喜んでいるのだろうと思うことにした。そちらのほうが楽しい。これは先輩風の言い回しだな。
先輩め。これが剣聖の力ですぞ。
それで翌日になった。雨だ。天すら私の味方をしているような気がしてさらに上機嫌になった。朝食という名の朝の草も気にならない。
早く先輩のところに行きたいと思っていたら、全ての授業が自習だった。先生も生徒もばたばたと倒れていく。社交シーズンのせいだろう。大変だ。
まあそれよりも先輩の顔を見に行こう。
すこしばかり早めに教室から抜け出して、渡り廊下を通って騎士科の棟に行く。何があったのか、校舎全体が要塞化しているようにも見えた。これも授業だろうか。ちょっと楽しそう。でも先輩のところに行くには邪魔なので、障害物を切り倒しながら進んだ。
廊下は倒れた人で一杯だ。そういうのが流行っているのかもしれない。
まあ、そんなことはどうでもいい。先輩だ。先輩だ。
合鍵を使って入ろうとしたら、鍵が替わっていた。先輩の修理が雑だったので業者を呼んだのかもしれない。まあいいか。で、鍵を破壊した。
今日の私は気分がいいので許す。
部室は相変わらず、本で一杯だった。いつも私が座るところに王女殿下がいる。がっくりうなだれていた。先輩は苦笑している。
「王女殿下に、なにかあったのでしょうか」
私が言うと、先輩はさらにその笑みを深くした。苦笑と言うより困惑の笑顔という感じだ。
「まあ、さっきまでは元気だったんだが」
「王家の人は貴族とはまた違う気苦労があると思います。ここは休んでいただいたほうがいいかもしれません」
「ん、んー」
先輩にしては珍しい歯切れの悪さだ。普段は何につけても即断即実行の人なのに。先輩は目を瞑って少し考えた後、私の右手を見た。
つられて私も見る。紋章は全力で青く輝いていた。我ながら、なんて綺麗で立派な紋章だろうか。
「綺麗ですよね。一昨日から調子がいいんです」
「そのようだね」
「はい」
私は王女殿下の差し向かいに座った。先輩は右手側にいる。いつものように本を読んでいたようだ。
「先輩」
「肉スープかい?」
「え? ああ、まあ、あるならいただきますが」
先輩がスープを用意しようと席を立った。こちらを見ている。
「なんですか?」
「いや、裾を離してくれないと準備できないが」
「あら」
知らぬ間に私の右手が先輩の上着の裾をちょこっと握っていた。
「失礼しました」
先輩は目元を隠している。どうしてこの人は私に対して顔を隠そうとするのか。気づけば右手が先輩の手を握っていた。
「どうしたんだい?」
「……別に」
私は席に着いた。頬が熱い気がする。不思議だ。
「王女殿下がこの部屋にいるのは珍しいですね」
「大体いつもこの部屋にいるような気もするが」
「私は見たことがありません」
「私もそうだね」
私は首を傾げた。先輩は何を言っているんだろう。まあいい。
「それより、私は先輩とたわいもない話がしたいです」
「先日もそんな話をした気がするな」
「たわいもない話はどれだけしてもいいのです。たわいもないので」
「なるほど。これまでたわいもないと言えば、役に立たないものと思っていたが、どうして役に立ちそうだな」
「私は先輩が夜寝るときに何を考えていたか知りたいです」
「本当にたわいもないな」
先輩が声をあげて笑うのを初めて見た。いつもそんな感じならいいのに。
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