第2話 雨の日のスープ

「そこに腰掛けて待っていてくれ」

「はい」

 私は先輩に目を向けた。雨が時々打ち付ける窓を背に、楽しそうに小さな片手鍋を揺らしている。机の上にあるのは携帯用の加熱装置だ。庭で茶を飲むのが趣味の貴族に人気がある。騎士階級にとっては決して安いものではないだろうによくやる。

「あの、扉が開いたままですが」

「開けておいたほうが良くないかい?」

「換気でしょうか」

「いや、いみじくも御婦人が一人、男が一人ではな」

 先輩はそんなことを言った。待ち時間の間に、私の頭の中ではもう一〇くらいは斬殺されているのに、この脳内斬殺死体はよく喋る。

「ご心配なく。私は強いので」

 私がそう言うと、先輩は蛮族が裸で突撃してきたのを目撃した騎士のような顔をしたが、すぐに表情を改めた。

「分かった。まあ、どうにかしよう」

「何をどうするんですか?」

「それはまだ考えてない」

 先輩はドアをしめた後、きりりとそう言った。すごい人だ。一四回も殺されているのに気にしてなさそう。ここまで弱いと私の殺気にすら気づいてなさそうで、私はだんだん気の毒になってしまった。

 先輩可哀想。

 どんな紋章を持って生まれてきたのかは知らないが、弱く生まれたくてそうなったわけでもないだろう。そう思うと心のなかで惨殺するのもこれで最後にしてあげようと言う気になった。一七回目で先輩の首は鍋の中に落ちた。もう少し綺麗な殺し方でも良かった。今日の私は、ひどく心優しい気がする。


「さあ、できたぞ」

 先輩はティーカップにそれを入れて出してきた。いい匂い。そして葱が浮いている。


「葱」

「いいアクセントになる」

 先輩は先んじて飲んだ。礼儀にかなっている。これは無害ですよという、ホストからのアピール。


 私はティーカップの中身を見た。澄んだ黄金色のスープ。肉と野菜のふくよかな香りがする。

 スープだこれ。


「これはお茶ではなくて、スープです。先輩」

「年若い学生では、これもお茶ということになっているんだよ」

「文官科では聞いたこともありません」

「年若い騎士科の学生では、これもお茶ということになっているんだよ」

 なるほど、さてはこの先輩、残念な人だな。侯爵令嬢を前にお茶の時間に肉スープ出した人は多分この人が空前絶後だ。


「あと、これが茶菓子」

 出されたのは小さく包装された肉だった。肉。多分胡椒と塩たっぷりの干し肉。


 これは怒ったほうが良いのだろうか。あまりに、あまりになんの気負いもてらいもないので私は一瞬考えてしまった。礼儀作法は幼い頃に叩き込まれたが、肉スープをお茶の時間に出された場合の対応については何も教わってない。礼法の先生も凍ったように動きを止めるんじゃなかろうか。


 私のお腹がなった。なんでここで鳴くのよと思ったが、思いの外可愛らしい音だったのでありかもしれない。いやない。


 恥ずかしさが込み上げてきた。

 こ、殺す。この恥辱、数回殺しただけでは飽きたらぬ。

先輩を見る。気にしてないよという顔を見て、私はこの先輩を見るたび脳内で惨殺すると決めた。容赦はない。


「美味しいと思うんだが」

「……いただいておきます」

 普段から食事制限されて棒のようになっている体にとって、スープも干し肉も魅惑的過ぎた。だがこれは負けではない。くやしい、くやーしいー!


ほっ。


 空に香りがぬけていくような。美味しさ。温かな液体に蓄えられた滋味が五臓六腑に染み渡る。


 私は先輩を見た。先輩は目を逸らした。

「これで勝ったなどとは夢にも思わないことです」

「そうだね」

 いけない。うっかり本当に手が出るところだった。私はそこらの藪医者よりも手を出すと人が死んでしまう。仕方ないので私は両手で顔を隠した。全力で。


「こんな辱めをうけたのは初めてです」

「それについては申し訳なかったが、節制のし過ぎでは」

「謝るのなら謝るだけのほうがいいと思いますよ。先輩」

「それもそうだね。申し訳ない」

 素直でよろしいが、いやそんなことでは騙されぬ。


 私は茶菓子を引っ掴んで全部頬張った跡、空のティーカップを三回確認して席を立った。

「これで気はすんだでしょう。失礼します」


 先輩は思いがけないことを言われたような顔をしたあと、私に声をかけた。

「またおいで」

「残念ですが」


 私は外に出た。干し肉め。美味しいではないか。

 次に思ったことは、辱めを与えておいて、またおいではないでしょう。だった。


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