雨の日の剣聖さん
芝村裕吏
第1話 雨の日の出会い
雨の日の廊下はくすんだ灰色の光が冷たいタイル張りの床を覆っている。
少しだけ湿気をはらんでいて、行き交う足音を小さくしている。
私はその廊下を歩いていた。誰にも近寄らせず、誰にも近づかず。
それが一番だと信じていた。
*
人は生まれながらに右手の甲に紋章を持って生まれる。その紋章こそが神の与えた
ただ、神は公正ではあっても平等ではなかった。有り体に言って、紋章には当たり外れがあった。
私の紋章は
大外れ。だった。生まれてきた私の腕を見て、父も母も顔を手で覆って泣くほどのものだった。
「貴族の紋章と言わぬまでも女官の紋章、せめて召使の紋章であれば……」
父はそう言って嘆いたが、どうしようもなかった。紋章の差配は神様の決めることだった。
この地から戦争がなくなって随分になる。かつては大活躍していた紋章も、今は価値が変わった。勇者や剣聖は大当たりから大外れに転落していった代表的な紋章だ。逆に躍進したのは非戦闘紋章である漁師、農夫、商人などの紋章だ。
かつて戦時の花形の紋章たちは、今は強く忌避されている。紋章が性格に影響すると言われているからだ。人の死に動揺する剣聖はいない。それはそう。
それで、私の話になる。”剣聖”持ちの私は生まれついての大外れだった。しかも貴族の生まれだったから、なお悪い。庶民にある職業選択の自由が、ない。貴族は
私にとっては不本意だが、貴族の剣聖が野に下って反政府勢力の首魁になった日には大事だから仕方ない。庶民に剣聖が生まれることはないというか、この厄介な紋章は
つまり、私の運命は飼い殺しで決まってしまっている。
剣聖という紋章を持ちながら、剣どころか武器を持つことも一生許されずに生きる。惨めだ。
私の子も高い確率で剣聖になるだろうから、結婚の目もだいぶ薄い。
一周回って笑ってしまうほどの境遇だった。
*
窓ガラスに打ち付ける雨粒は小刻みに揺れ、音もせずに床へと落ちる。
私はガラスに映る自分の顔をちらりと見て、目を逸らした。筋肉がつかないように調整された食事で手も足も棒みたい。肌も真っ白。重苦しい黒い髪のせいで暗く見える。何より目つきが尖すぎると言われるのが嫌だ。文句をつけるならば、私にどうにかできる範囲で言って欲しい。目つきなんかどうやれというのだ。腹が立つ、腹が立つ。
それで学校の廊下を歩いた。私は文官科なので、本来はこの騎士科になんの関係もないのだが、私はここをふらふらと歩くのが好きだった。
すれ違う騎士科の男の子を斬る。私の紋章は想像だけで、ありありと戦闘過程と戦闘結果を予想できる。すれ違いざまに首が落ちた。次は教師。目を私の指で貫かれて死んだ。反撃しようとするのはよかったが、私はもう次に行っている。
文官科の学生と教師は頭の中で全部殺したので、今はこうやって騎士科の連中を殺している。平和な時代だから仕方ないのだけど、皆弱い。
たまに、実際みんなぶっ殺してしまおうかと思うときはある。楽しくはないだろうがスッキリはするだろう。ただ、この体では全員殺した後にやってくるであろう騎士団との戦いの途中で疲れて討ち取られてしまう。負けてないのに負けたみたいでそれはそれでいやだ。なので実現には至ってない。
この学校はすべての階級の人々が集まる場所なのだけど、それは建前。王家は別として上級貴族の子弟はこない。私は例外だ。理由は一つ。剣聖もちだから、教育に金はかけられない。お陰で学校でも腫れ物扱いだった。同級生である下級貴族の娘たちも、いつも私の扱いに困ってどうしようと目配せしあっている。
うるさい、全員首刎ねるぞ。
そう思っていたら、人にぶつかった。私としては生まれて初めてのことだった。びっくりして上を向いた。
「すまない。前が見えないんだ」
箱がそう喋った。正確には大きな箱を持つ人がそう言った。なるほど、この状態なら脅威度〇だから私の紋章の自動回避が反応しなかったのね。それにしても路傍の石より脅威度が低いとはこう、気の毒な。
「いえ、お気になさらず」
「本当にすまない」
謝った箱の人は、モタモタしている。ああ、この部屋に入りたいのかな。
「どうぞ」
それで私はドアを開けた。貴族子女にドアマンをさせるのだから、この人は随分と運がいいのだろう。悪いのかも知れないけれど。
「助かったよ」
そう言って彼は入った。何の気なしに私は部屋の中を見る。ここは図書室でもないのに本で一杯だ。さりとて資料室という感じでもない。不思議な感じの部屋だった。
「ここは、部室なんだ」
箱の人改め、騎士科の先輩はそう言った。私の一学年上の人で、名前は確か、アリマ。私が(頭の中で)最初に斬殺した騎士科の人だった。というか文官科の人より弱いまである。なんで騎士科なのか、理解に苦しむ人だった。
「部室、ですか」
「うん。読書会のね」
騎士科なのに? という私の疑問は顔に出ていたようで、先輩は苦笑しながら口を開いた。
「騎士だって文学の愛好家はいるよ」
「そんなことをしているから弱いのでは」
うっかり口にしてしまって自分の失敗に気付いた。貴族子女としてよくない振る舞いだった。
「失礼しました。心にもないことを口走りました」
心にはあったのだが、そう言うほか、ない。
「ああいや、僕が騎士科最弱というのは有名らしいからね」
特に気にするでもなく許されたが、のほほんとしている先輩に苛立ってしまった。私と違って剣を握る権利があるんだからもうちょっとなんとかしなさいよと言いたい。
いや、いや。違うな。失礼なことをしたのは事実だ。
「重ね重ね、失礼を謝罪します」
では失礼と言う前に、先輩はいい笑顔を向けた。
「お礼にお茶をどうだい。お菓子もあるけど」
「はぁ」
馬鹿にして詫びを入れておきながら、茶の誘いを受けないわけにはいかない。
それで私は、最初に惨殺した人とお茶を飲むことになった。不思議な気分だ。
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