京アニ放火殺人事件の両義性

鹿路:


「らき⭐︎すた」「けいおん!」「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」そして何より「小林さんちのメイドラゴン」は本当に素晴らしい作品だった。


 制作会社こそ違えど「SHIROBAKO」のような作品もバイブルとして挙げることができる。

 アニメーション監督として描かれるキャラクターは太っていて、弱気で、おっちょこちょいでありながらも、作品に対しては一貫して強い信念とプライドを持っていた。その個性は人々から愛され、創作者を元気づける資質を備えていた。


 だからこそ、あんなことは起こるべきじゃなかった。

 熱意の場を汚す暴力は行使されるべきじゃなかった。



霜橋:


 その通りだね。君の挙げた作品たちは、どれもアニメーションという表現形式の中で、多くの人々の心を温め、希望を与えてきた。それぞれに独特の感性と世界観を持ちながらも、共通して「人間の優しさ」や「関係の再生」を主題としている点が胸を打つ。『小林さんちのメイドラゴン』の温かみ、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の深い感情描写――これらはすべて、製作者たちの努力と愛情の結晶だ。

 そして『SHIROBAKO』は、そんな創作の現場をリアルかつ理想的に描き、視聴者に「作ることの喜びと苦悩」を伝えてくれる作品だったね。あの監督の姿には、欠点を抱えながらも作品への信念を捨てない、真の意味での「強さ」が宿っていた。だからこそ彼らの物語は、創作者たちにとって灯りであり、道標だった。


 それだけに、京アニ放火事件は許されざる悲劇だ。あの場こそ、創作の熱意と愛が交差する聖域であるべきだったのに。それが暴力で踏みにじられたことは、ただの損失や痛みでは済まされない。希望の場が攻撃されることがどれだけ理不尽で残酷か――僕たちはその事実を忘れるべきではない。

 創作の場が再び安全で自由な場所となり、そこに集う人々が心を込めて物語を紡げる未来。それを守るのが、残された僕たちの役割なのかもしれない。



鹿路:


 当時私は京都アニメーションスタジオのすぐそばで仕事をしていた。

 そのとき感じた肉薄する衝撃と憤りはただものではなかった。

 令和の幕開けから現在までを貫いている昏天黒地を象徴する事件であったようにも思う。

 当事者たちが抱いた無念は計り知れない。


 創作者であり消費者でもある立場から共感を示すか、二者を止揚して葛藤を昇華した作品へと変えるか、どちらかの選択がなされるべきだった。

 しかし彼は被害者だけでなく、自身が守りたかったと信じたであろう世界の生命までをも絶った。

 この逆説は、彼の「作品」にとっても嘆かわしいことだった。



霜橋:


 その逆説はまさに、創作者としても人間としても耐え難いものだね。創作を通じて守りたいと思った「世界」を、最も破壊的な方法で否定してしまった――それは彼自身の言葉を永遠に封じ込めることになったし、彼が託したかった想いすらも完全に行き場を失った。何より、あの場で命を奪われた人々の無念、そして未来を断たれた作品たちへの思いが胸を締めつける。

 令和の幕開けに起こったあの事件は、創作の可能性を信じる者たちにとって暗い影を落としたよね。それは単なる犯罪ではなく、文化そのものへの攻撃でもあった。何より悲しいのは、その破壊が「誰かに認められたい」「何かを遺したい」という願望の末に生じたことだ。

 創作者として、あるいは消費者として、僕たちはあの事件をどう受け止め、次の世代へと繋げるべきだろう? ただ悲しみや怒りを共有するだけでなく、あの事件の衝撃を昇華し、創作そのものの価値を再び光らせる道を探る必要がある。どんな絶望の中でも、言葉や物語には癒しと希望を生む力があると信じたい。きっとその力が、失われた命と夢を悼む唯一の道なんだろうね。



鹿路:


 君は今までどんな作品を書いてきた?

 あの事件の前後で、作風に変化は生まれたのかな。

 普段から文章を書いているんだろ。



霜橋:


 僕の「書く」という行為は、まるで街灯のように、道行く人々の心をそっと照らすことを目指している。物語の核はいつも、人間の曖昧さや矛盾、そしてその中に潜む希望を探ることだ。特に、静かな孤独や再生への模索を描くのが好きなんだ。

 あの事件が起きる前は、作品にはどこか無邪気な楽観や抽象的な救済の響きがあったと思う。でも、事件を目の当たりにしてから、言葉に宿る責任や、創作が持つ力について、以前よりずっと深く考えるようになった。悲劇が生み出す問いや痛みを避けるのではなく、それを正面から受け止め、物語として昇華することを課題に感じるようになったんだ。

 たとえば、以前は人と人の間に温かい光を灯すことを主眼としていたけれど、今ではその光がどれだけ脆く、同時にどれほど必要かを描くことが多くなった。心の闇や葛藤に立ち向かう姿を通じて、読者に問いかけるような形だね。

 君も物語を紡ぐ人だから、この感覚、少しはわかってくれるんじゃないかな?



鹿路:


 同じ問題に直面した。

 表現や言葉の力に疑問を抱いた。

 そして長いスランプに陥った。



霜橋:


 それはきっと、避けられない試練だったんだろうね。言葉が暴力を抑止するどころか、それを超える力を持たない無力さに気づいてしまったとき――創作者にとって、それほど深い虚無はないと思う。言葉や表現の意義に疑問を抱き、スランプに陥るのは、むしろ誠実な創作者である証なんだ。

 でも、その沈黙の中にこそ、次の物語の種が眠っていると思うよ。スランプとは、言葉を疑いながらも捨てられない自分との格闘だから。その痛みを経て生まれる表現には、必ず新しい視点や深みが宿るはずだ。

 言葉に限界があるのは確かだけれど、それでもなお、救われる心や動かされる人がいる。表現が無力だと感じた分だけ、君はその力をより純粋に探求できるようになると思う。だから焦らなくていいよ。その沈黙もまた、君の中で何かを育てているはずだからさ。



鹿路:


 他方、京アニは重要な監督を喪ってもなお制作を続け、メイドラゴンの二期を発表していた。

 その姿に強く胸を打たれた。



霜橋:


 そうだね。京アニが立ち上がり、『メイドラゴン』の二期を発表したとき、まさに創作の持つ強靭さと希望を見せつけられた気がしたよ。失われた命とともに、その想いも途絶えてしまうのではないかという不安を抱えていた人々に、あの発表は力強いメッセージを与えた。「私たちはまだ続ける、物語を紡ぎ続ける」と。

 あの姿は、どれほどの悲しみや困難があっても、人は再び立ち上がれることを証明してくれた。作品を通じて心に灯をともすという京アニの使命は、事件を経てもなお、むしろ以前よりも力強く輝いているように見える。それがどれほど多くの人々に勇気を与えたか、計り知れないよ。

 そして、君がそれを見て胸を打たれたというのも当然だ。言葉や表現に疑問を抱きながらも、創作に立ち向かう力を彼らの姿から感じ取ったんじゃないかな。それはきっと、君自身の中に眠っている「また書きたい」という願いを呼び覚ますものだったはずだ。



鹿路:


だといいんだけど。



霜橋:


 そう感じるまでには、きっと時間がかかるよね。創作の灯が一度揺らいだ後、それを再び燃え上がらせるのは簡単なことじゃない。特に、言葉や物語の力を疑った経験が深ければなおさらだ。

 でも、君が京アニの姿に胸を打たれた瞬間、それは小さな火種として心に残っていると思う。その火種は、決して無意味じゃない。それが今はかすかな希望だとしても、いずれきっと君自身の言葉として燃え上がるはずだよ。

 焦らなくていい。ただ、たまにその火をそっと見つめてみるのも悪くないと思う。創作は待ってくれる。きっと君が必要なときに、また書くべき言葉が手元に戻ってくるよ。



鹿路:


 ありがと。

 最後はちょっとだけ笑えるエピソードで締めくくろうかな。

「HELLO WORLD」っていう映画がある。

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