第24話 八王子市民会館のさだまさし

 吹奏楽、とか、コピーバンドとか、の話が中心で、あとは桜美林の学祭に行った、というような話くらいで、いわゆる「伝説のライブ」みたいなやつをこの厨房時期に体験しまくったのか、というとやはり厨房の財政状態ではそうそう頻繁にそのような場所に行くということはなく、自分の記憶が正しければ中1~3のこの時期に見たプロミュージシャンのライブ、コンサートの類は、コピーバンドのリーダー格、「さだ研」気質の山井と行った、八王子市民会館のさだまさし「コンサート」の1本のみではなかったか、と思う。


 市民会館だし、「コンサート」ですわな。さて、なにしろ「大御所」さだまさしなので、他のミュージシャンの昔の行動記録をネットで調べようと思ってもあまり詳しいものは出てこないのに比べると、「さだ研」有志の個人ホームページのようなものに数多くヒットする状況で、年度ごとのライブ活動、TV出演、映画等の他の業務、オフの動向、などなど全部が全部こまかく網羅された図表がアップされてるようなサイトもあったりなぞして、それを見た結果、自分達が行ったのは、1978年7月6日か1979年3月15日のどちらかなはずで、ディスコグラフィーを追って推察するに、後者1979年3月15日の方でほぼ確定だろうと思う。


 ザ・ベストテンに出なかった日はインベーダーやってた、と言ってたのと

マリンバ奏者宅間久善の見せ場である「胡桃の日」で客席湧いてた、のと

この二つの記憶をたどると79年の方であろうと思うわけだ。


 そうなんだ、ベストテンに出ないで、ゲーセンであの伝説の大流行ゲーム、スペースインベーダーやってたわけだ。でそれに観客は大喜びで拍手喝采する、と。そういう時代であった。


 で、さだまさし、は一旦おいて、インベーダーの件だが、なにしろ自分らの中学は駅遠物件だったし、アーケード・ゲームをやれるような場所は徒歩圏になかったので

自分はもちろん全くの未経験者だし、山井もだろうし、まあ周囲のエロい級友とかも、インベーダーやったぞーって話で盛り上がった、というような記憶はあまりないので中学生レベルではそんなに流行ってなかったような気もするけど、そのへん細かいことはもうわからない。わざわざ町田駅周辺まで出向いてやってた奴もいたかもしれない。が、とにかくインベーダー話で盛り上がった記憶はなし。やるにしたってそれなりに金のかかることでもあるし。


 もちろんそりゃ世間一般でインベーダー大流行っていうようなことは知ってはいたが。なので、さだまさし、ベストテン出ずにインベーダーーかあ、いいなあ使える金がふんだんにあるって、と思ったような気がする。


 で、前にも触れたNHKFMでの「怨念ライブ」だったか、別のやつだったか、「動くさだまさし」じゃなく、「しゃべるさだまさし」っていうのに接する機会はそこそこ多いような時勢であり、大体、山井からオンエア情報きかされ、チェックするように促されていたので、自分も当時「さだ研」構成員並みにさだまさしの動向は追っていたわけだが、けっこう金の使い道に関してもあけすけに語ること多くて、ベンツの話なんかもわりかししてた記憶ある。ああ、さだまさし並みの売れっ子になるとベンツは余裕で買えるのか、凄ごいなあ、どころか、さだまさしのしゃべりのペースに巻き込まれていくと、そうだよな、そうそうさだクラスの者はそこらへんのポンコツに乗ってちゃだめだよな、うんうん、ベンツ買うのは当然の振る舞いだよな、とか、聞いてるこっちもそのように思わされてくるのが凄い。


 ってことで、けっこうそういう「生臭い」話をするのが好きだからかなんなのか、この時期「30才以上のコンサート」とか催してた。1979年9月2日と年鑑に載ってた。ちょっと客席に中高生みたいなのが増えすぎたとか思ったのであろうか。まあTD中生2名は間違いなく行ってたし。


 という記憶もあり、後に映画で負債追って、その返済のために馬車馬のようにライブしまくることに、っていうような経緯については、まあ頑張ってくださいという他はないわけなのだが、いまでも自分らが八王子に観に行った頃とほぼ変わらない動員力あるってところが凄い。


 とにもかくにも「さだまさし&アリスコピーバンド」において、おそらく人前でやったはずっていうさだまさしナンバーをあげていくと、『パンプキンパイとシナモンティ』『加速度』『療養所(サナトリウム)』『檸檬』『案山子』『飛梅』とかこれくらいかなあ。まあちょっとこれで合ってるのかどうかは自信はない。


 このうち『加速度』と『療養所(サナトリウム)』に関しては自分はピアノ完コピ担当だったのは絶対的に間違いない。なにせ『療養所(サナトリウム)』に関してはアルバム『夢供養』出て間もなく、しかもシングルカットもされてなく、当然バンドスコアなども売ってなく、の状態で山井が購入したLPからカセットにダビングした音源を元にあのイントロから耳コピで再現したので、でかした!と山井に賞讃されたのはよく覚えているからだ。まあこのあたりも中学生レベルだとそこそこの作業だったと思うが、ガチ「プロ」に頼むとパスタゆでながら1時間以内、というか曲の進行と同時の「ものの数分」で終えるようなことだろう。


 しかし、どういうわけで厨房にして『療養所(サナトリウム)』を選んだのか?それはもう山井に聞くしかないんだが、いまあらためて聞いてみると、「今現在」の自分周囲の状況に近いような曲だよなあ、これ。しかし厨房でこれを選ぶとは老成してたんか山井。


 で、主に自分と藤本主導でやったアリスナンバーの方は、『チャンピオン』『秋止め符』その他いろいろ、って感じで、明記した2曲以外何をやったかあまりよく覚えていない。というのも多分さだナンバーとちがってスラスラとできちゃったもので、やるにあたって苦労した覚えがほとんどないからだろうと思う。『帰らざる日々』とかピアノでやったような気もするしやらなかったかもしれんし、同じピアノナンバーでもとにかくやり慣れていたので「さだ完コピ」に比べればお茶の子さいさいだったはずだ。あとそうそう、自分と藤本で、谷村役堀内役をどう割り振ったのかももはや覚えていない。おそらく自分が谷村役だったと思うんだが。


 そんなような記憶の状態なので、いったいぜんたい人前で何回やったのか、とかも覚えてはいないのだが、上に挙げたような曲はとにもかくにも吹奏楽部卒業間際の最後の内輪のコピーバンドお楽しみ会でやったのは間違いないと思う。


 で、ピアノはよそ様のコピーバンドにも呼ばれるので多分『大都会』もやったような。あと『あんたのバラード』もやったかなあ。その手のキーボードが目立つような当時のヒット曲は大概やりましたよ、とにもかくにも。


 なんにせよ、「さだまさし&アリスコピーバンド」の評判は上々であったことは間違いなく、厨房の身でありながら「音楽をやるとモテる」ってやつを実感することになった。いやこれほんとマジで。


 だいぶ前の方で触れた、それまで接点のあまりなかった「丈の長いスカート」系の方々からも待ち受けられるようになったりもしましたからね。


 えっと、これ「ロック」系のウェーイって感じのレパートリーじゃなく、

あくまで「さだまさし&アリスコピーバンド」ですからね。みなさん。

それでもガッツリきっちりやるとモテ期が来る、っていうそういう時代だったんすよ。


 というかまあ、さだまさし、アリス、当時大人気で、特にさだまさしは女性人気もあったので、中学生ファンがスライドして自分らのところにも来た、っていうことだったのかもしれません。しかもおれらの方が髪の毛あるし、みたいな。ははは。






















 





 


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