第5章:選択の分岐
第5章:選択の分岐
地図を睨みながら、蹄で踏んでしまわないように気をつけつつ、あれこれと思考を巡らせる。心のどこかで、“あの村の子ども”アルフのことがよぎった。子どもの手から受け取ったパンの温かみ。もし自分がもっと違う存在だったなら、彼と仲良くなることもできたのだろうか。
だが、既に自分は人間を殺し、その肉を食べている。その業は消えない。いまさら取り返しのつかない道に足を踏み入れてしまった。もしかすると、自分はどんな人間からも疎まれ、狩られる対象でしかないのかもしれない。
ならば、いっそ人間とは決別しよう。魔物としての自分を全うし、世界の頂点を目指す。そのためには“魔物の森”こそが相応しい。
(よし……)
そう決心し、荷物の中から地図だけを加えて、歩き出す。この体では持ち運ぶのも一苦労だが、口でくわえていけばなんとかなる。脆くてボロボロになりそうだが仕方ない。
日差しの強い荒野をひたすら進む。時折小さな魔物や動物が姿を現すが、倒してもあまり経験値にならないだろうし、無視して先を急ぐ。
北へ。北へ。地図によれば、そこが“魔物の森”の方向だ。数日はかかるかもしれない。羊の脚力はあまり速くないが、道中、何かを得られるかもしれない。
誰もいない広大な草原を横切り、丘を越え、時には夜を洞穴や木陰で過ごしつつ、少しずつ進む。幸い、ちょっとした野草などの植物も口にして栄養を補えるのが羊の強みだ。普段は雑食とはいえ、植物も問題なく食べられるようだ。もちろん、それでレベルは上がらないが、飢えの苦しみは避けられる。
しかし、人間の肉や魔物の肉を食べるときとは明らかに違う。あの“経験値”を得る高揚感はなく、ただ空腹を紛らわせるだけ。それがこの世界での糧なのだと改めて痛感する。
そうして三日ほどが過ぎたある日の夕方、ようやく前方にうっそうと茂る木々の姿を確認した。背の高い針葉樹や広葉樹が密集し、森の端には湿った空気が漂っているのが感じ取れる。鳥の鳴き声、獣の気配、そして……魔物の気配。
(ここが……魔物の森、か)
夕日が横から差し込み、木々の隙間を赤く染めている。森の中は暗そうだが、いったん入り込んで野宿するしかない。気配察知のスキルを頼りに、ある程度安全そうな場所を探しながら進むしかないだろう。
さっそく森の入り口付近に、小さな獣道を見つける。そこから足を踏み入れると、ひんやりとした冷気とともに、むっとする濃い緑の匂いが鼻をつく。じめじめした地面には腐葉土が積もり、蹄が沈み込む。
――カサカサッ。
早速、何かが動く気配がした。気配察知Lv1のおかげで、かなり微細な動きを感じられるようになっている。枯れ葉を踏むような音が、こちらの周囲をぐるりと回るようにして複数聞こえる。
「メェッ……」
低く威嚇するように鳴くと、茂みの中から飛び出してきたのは――森の狼だった。全身を黒い体毛に覆われ、鋭い牙をむき出しにして唸っている。数は三匹。連携して狩りを行う群れだ。
早速の歓迎か。だが、こちらはレベル4の魔羊だ。試すにはちょうどいい相手かもしれない。むしろ襲われる側と見せかけて、経験値を稼げるチャンスでもある。
狼たちが低く身構え、同時に飛びかかってきた。スピードはあるが、動きは単純だ。剣士と戦った自分からすれば、そこまで脅威には思えない。
すばやく頭を振り、角で先頭の狼を薙ぎ払う。横合いから飛びかかるもう一匹には後ろ足で蹴りを入れ、強引に地面へ叩きつける。残る一匹が牙を向いてくるが、狂乱の一撃とまではいかずとも、身体をひねりながら体当たりを決めると、あっさり吹き飛んだ。
「くぅん……」
狼たちはひるんだように後ずさる。自分はさらに突進し、まずは一匹の喉元に噛みつく。温かい血が吹き出し、狼が断末魔の声を上げる。それを見た他の二匹は逃げようとしたが、こちらもすぐに角で追撃し、一匹ずつ仕留めていく。
――「経験値を獲得しました。レベル4 → 4(変動なし)。弱い相手のため成長はごく僅かです」――
……どうやらほとんど上がらないらしい。それも仕方がない。剣士やゴブリンほどの知能や脅威がない相手は、経験値が乏しいのだろう。
だが、狼の肉も一応は食べられるだろう。腐葉土の上に倒れた狼をかじり始める。そこまで人間の肉より美味ではないが、空腹を満たすには十分だ。何より寒い森の夜に備えて体力を温存しておきたい。
こうして魔物の森に最初の一歩を記した自分。ここでさらなる試練が待ち受けているのは間違いない。だが、この先の運命を思うと、むしろ胸の奥が高鳴る。食い殺し、捕食し、成長する。それだけが生きる証。それがこの世界での自分の“道”なのだから――。
大きな木の根元に身を寄せ、満腹感に浸りながら眠りへと落ちていく。この日から、自分の本格的な魔物としての修行が始まるのだった。
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