転生先の伯爵令嬢は殺人事件の被害者でした。“私”を殺した犯人は私が捕まえます。
まー
第1話 プロローグ 転生
「桜部! 避けろぉ!」
切羽詰まった先輩鑑識員の叫び声が闇夜を切り裂く。
しゃがみ込んで作業に没頭していた小里が顔を上げた時、最初に感じたのは眩い光。車のヘッドライトが、獲物を捉える肉食獣の目のように、小里を強く照らした。
その光の中に、一瞬だけ運転席の様子が見えた。
居眠り。小里は思った。
車は縁石を乗り越え、獲物に食らいついた。
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特殊なライトで道路を照らし出す。黒いアスファルトの歩道上に、転々と血痕が残されていることが炙り出された。
M県警捜査課鑑識員の
日付が変わる直前に発生した強盗傷害事件。いわゆる通り魔により、仕事帰りの若い女性がすれ違い様に腹を刺され、バッグごと奪われた。
気丈な彼女は血を滴らせながらも数十メートル男を追ったが、力尽きて崩れ落ちた。
転々と血痕が残っているのはそのためだ。
自ら110番通報をした後、たまたま通りかかったサラリーマンに発見され、止血されているところに警察官が駆けつけた。
不幸中の幸いだったのが、傷は致命傷になるほど深くはなく、おそらく刃渡6センチメートル以下のナイフだったと思われること。
だが、被害者の恐怖と怒りを思うと、小里は全身が憤りで熱くなるのを感じた。
小里は高校卒業後すぐに警察に採用された。
警察学校を卒業し、地域課の交番で“お巡りさん”を何年か勤めた後、刑事課を希望した。
ドラマになるような都会の刑事課はいかにも花形で、希望者殺到の配属待ちにもなるのかもしれないが、田舎の県警ではあまりのブラック業務ぶりに成り手が多いとは言えず、希望すれば比較的配属されやすい。もちろん、適性は見ているのだとは思うが。
小里が希望した時には、女性の刑事がまだ少なかったこともあって、女性活躍推進の波にも後押しされ、希望2年目に異動。
刑事課で事件を捜査するうち、鑑識の業務に興味を持ち、3年の刑事経験を経て鑑識に希望を出すと、またもあっさりと異動辞令がおりた。
期待されている、というよりは、たらい回しにされているような気もしたが、女性警察官の先輩からは「異動は組織の都合とタイミング」と聞かされ、私は運が良かったのだと結論づけ、日々公務に邁進している。
子供の頃から動き回ることが大好きだった小里は、色んなスポーツに挑戦してきたが、なかでも小学一年生の時から続けている剣道は三段の腕前である。
警察に入ってから始めた柔道も苦労して初段を取ったが、それ以上に公安職員特有の武術である逮捕術とそれに関連する合気道は、小里の好みに合った。逮捕術の昨年の大会では、女子で全国2位の腕前となった。
わんぱく小僧がそのまま大人になったかのような小里だったが、立場や身分がその人を作る、ということもある。
正義を守る、などと小っ恥ずかしい台詞を吐くことはさすがにないが、警察官として県民の安全安心な生活を守る、という使命感は、小里の中にも育っていた。
故に、集中して鑑識作業にも没頭していた。元来、集中力はある方なのである。大会で良い成績を残す効率的な練習は、集中力の賜物なのだ。
だが、その類まれなる集中力が彼女の不幸となった。
「桜部! 避けろぉ!」
切羽詰まった先輩鑑識員の叫び声が闇夜を切り裂く。集中の合間を縫って声が脳に到達してから小里が顔を上げる動作は、ワンテンポ遅れていた。
最初に感じたのは眩い光。車のヘッドライトが、獲物を捉える肉食獣の目のように、小里を強く照らした。
その光の中に、一瞬だけ運転席の様子が見えた。ドライバーは目を瞑っているように見えた。
居眠り。小里は思った。
車は縁石を乗り越え、獲物に食らいついた。
────
3日前から降り続く雨は、止んだり降ったりを繰り返しながら、しとしとと国中を濡らし続けた。
水害を起こすほどの雨量ではないが、土に染み込む水量を考えれば、土砂災害には注意しなければならないと、領主たちはお抱えの騎士たちを巡回に回らせたりしている。
そんな暗い空の下、ひっそりと、だが一心不乱に娘の回復を願う祈祷を口に乗せる母親がいた。
レアルカント王国、アデラート伯爵の長女、ローズ・アデラート。
豪奢な天蓋付きのベッドに横たわる彼女は、もう3日も目を覚ましていない。
明るい飴色の髪に薄いグレーの瞳、いつも控えめに微笑むローズは、今まさに生死の境をさまよっていた。
用事の帰りにひと気の少ない場所で突然賊に馬車を襲われ、左脇腹にナイフを受けた。使用人たちがなんとか賊を振り切って屋敷に逃げ帰ったものの、その時にはすでにローズの意識は無くなっていた。
至急医者から治療を受けたが、事態は深刻である。あとはもう、彼女が生まれ持っているはずの“聖女の力”と呼ばれる、神聖力にかけるしかない。
神聖力は魔法を使うための魔力の一種で、個人差はあれど貴族の女性に備わっている特殊な力だ。平和な世ではあまり使われることはないが、神聖力には強い治癒力が備わっていると言われている。その力は他者を癒すと同時に、術者にも効果を発揮する。
大丈夫よ、この子にも聖女の力は備わっている。生まれた時に、司祭様にお調べいただいたんだもの──
母親はすがるような思いで青白い娘の顔を見つめていた。
どれくらいの時間そうしていただろう。ローズの眉がわずかにピクピクと動いた。瞼が震える。
母親はハッと気がつくと、ローズの耳元で娘を呼ぶ。
「ローズ! ローズ!」
ゆっくりと瞼が持ち上がり、グレーの瞳がキョロっと動いた。声は出せないようで、ただ何度か目をしばたかせる。
母は涙に濡れた目で、娘の顔を見つめる。
「良かったわローズ。ええ、ええ、必ず目を覚ますと、お母様は信じていた。もう大丈夫、助かったのよ」
そうして冷たい娘の頬を両手で包み込み、額に優しくキスをした後、母は家族と使用人を呼ぶため部屋を出ていった。
この時、言葉にならないほどに不幸なことだが17歳のローズ・アデラートの魂は、もう二度と戻らない遠い場所へと旅立っていた。
そのことを知っているのはこの世界でただ1人、ローズの中に入り込んだ、桜部小里だけだった。
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