第31話 執筆旅行『前編』
「なんで、こうなったんだ……」
お兄ちゃんが、げっそりして呟く。
それを見て、わたしはごめんなさいとしか言えなかった。
事の発端は、きっとわたし。
わたしが読みたくなったあやかしの本について呟くと、それを本好きアイリスが拾い上げたのだ。
「物語がないなら書くべし! 書くためには、臨場感が必要。という訳で、人間界へ執筆旅行よ!」
と、なったのである。
パスポート申請から始まって、アイリスとレイチェルが人間界にやってきたのはそれから5日後のことだった。
「行動力、早すぎないか?」
向日葵書店の定休日を狙ったらしく、お兄ちゃんも強制参加だ。
げんなりしているお兄ちゃんは、アイリスたちを見て呆れ返る。
その近くでは、サラが大騒ぎをしていた。
「よく来てくれたわね! こっちで一緒に活動できるなんて嬉しい!」
「私もよ、サラ」
「今日は思う存分行きましょう!」
三人は、きゃいきゃいと盛り上がる。
そんな様子を見ていたお兄ちゃんは、わたしにぼそっと囁いてきた。
「案内役とか必要なの?」
「下調べしてたし、大丈夫だと思うよ。とりあえず、あの人たちは置いて楽しもう」
「そうだな」
行き先々には付き合うけども、その活動自体に付き合う気はない。
わたしとお兄ちゃんは、結託したのだった。
まず向かったのは、博物館だ。
ちょうど『あやかし』関連の企画展を行っていて、それをきっちりと調べていたアイリスが行きたいと言ったのだ。
電車とバスに揺られて、二十分。
小さな森のようになっている道を歩いていけば、その先に博物館はある。
その景色さえもあやかし関連に見えているのだろう、三人は誰かのガイドブックを見ながらはしゃいでいた。
「おー、なんか新しくなってる」
「最後に来たのは、けっこう昔だっけ」
久しぶりに来た博物館は、外観が変わっていた。
真新しいレンガを見上げて、わたしとお兄ちゃんは懐かしさに浸る。
しかし。
「この森、良い感じの匂いがするわ」
「きっと何かが住んでいるのね」
「今からすれ違う人間、もしかしたら化けている狐かもしれないわ」
何かに憑りつかれたようにはしゃぐ三人組。
ここは博物館の土地だから誰も住んでいないし、前から歩いてくるおじいさんはただの人間だし。
あやかしの世界に入りすぎている文芸部三人組は、ただただ異質だった。
「記憶操作で消してやりたい」
そんな様子を、疲れ果てた顔で見ていたお兄ちゃん。
これはまだ序盤。
これからもっと続くことが目に見えたのだろう、最終兵器を持ち出そうとする。
いや、そんな私的のことに使っちゃいけないんだけど。
「もっと踏み込んできたら、やる必要あるかもね」
「今すぐやりたい」
「そしたら倒れるだけだよ?」
「……それは嫌だ」
誰か、わたしとお兄ちゃんのこの悩みを解決して欲しい。
切実に。
*
「これが最後よ」
お昼を食べて、カフェで少しお茶をして。
陽が西側に傾き始めようとする時間、五人で乗ることができるタクシーに乗った。
既に、お兄ちゃんは振り回されたおかげでぐったりだ。
あっち行きたい、こっち行きたいと、お嬢様たちはうるさかった。
それに付き合ってくれたんだもん、お兄ちゃんには感謝しなきゃ。
口から魂が抜けたようになっている姿は、なんだか新鮮だ。
「締めくくりにはぴったりね!」
「あやかしと言ったらって場所よね」
はしゃぐ三人娘。
行き先を訪ねたかったが、すごく疲れて聞く気にもならない。
とりあえず、今一番重要なことを聞いてみた。
「そこ、なんか甘いもの売ってる?」
「あるんじゃないかしら。露店とか出ていそうよ」
ならいいや。
甘いもののために行こう。
そんな軽い考えは、タクシーの窓から見えたもので一変した。
見えてきたのは、大きな赤い鳥居。
そして、その隣立っている大きな木の看板。
「ねぇ、もしかしてここって!」
隣の席のレイチェルの袖を、わたしは思いっきり引っ張った。
レイチェルは、びっくりした顔でわたしを見る。
「どうしたの?」
「ここって、もしかして神社!?」
「そうですよ!」
タクシーが止まった。
ドアを開けて降りながら、サラさんが煌びやかな笑顔を向けてきた。
「あやかしと言ったらの、最強スポットです! 一度来たかったんですよねぇ!」
神社。
日本の神様が祀られている場所。
鳥居の向こうは、神々の聖地。
澄んでいる空気は、どこか不可思議な雰囲気をはらんでいる。
風が吹いていないのに、木々が揺れる音がする。
そんな静謐な場所で、一つの悲鳴が響き渡った。
「ヒナタ!?」
「アイリスよ!」
「先にタクシーから降りていましたよね?」
「それよりも、『ヒナタ』って……」
その場に硬直するレイチェルとサラさん。
そんな二人なんておかましなしに、わたしは飛び出した。
「お兄ちゃん!」
鳥居の手前。
石畳の上。
そこに、お兄ちゃんはいた。
膝をついて、胸を押さえながら。
「しっかりして!」
お兄ちゃんに駆け寄って、その体を引き寄せた。
瞬間、伝わってきたのは高い体温だ。
はぁはぁと繰り返される、荒い息。
お兄ちゃんは、苦しそうに呼吸を繰り返していた。
「ヒナタは、何が!?」
隣にいたアイリスは、戸惑っていた。
焦りが見える彼女を見ながら、視線をタクシーの方に向ける。
タクシーはもう去っていて、レイチェルとサラさんがその場に取り残されていた。
二人は硬直、アイリスは動ける。
好都合だ。
「〈力〉が暴走してる。抑え込むから、アイリスはあの二人をよろしく」
「分かったわ」
アイリスは、わたしたちのことを分かってくれている友人。
言えない秘密があっても、信じてくれる大切な存在。
そんな彼女にそれだけを伝えると、理解したのかさっとその場から離れた。
皆が見ていないことを確認してから、わたしはお兄ちゃんを支える。
「お兄ちゃん、『向こう』に行くよ。立てる?」
意識は保っているらしかった。
お兄ちゃんは、震える足で立ち上がろうとする。
ただ、力は充分に入らない。
それを魔法で補いながら、わたしはお兄ちゃんを立ち上がらせた。
そして。
「っぐ、ぅぁ……っ」
「大丈夫、あと少し!」
苦しむお兄ちゃんと共に、鳥居へ足を踏み込む。
一歩、鳥居の向こうへ踏み出した途端。
ぶわっと光が溢れて、風が吹いた。
その先は、神殿。
お兄ちゃんの〈力〉が暴走した、原因となったもの。
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