十二話 お人形

 なんとなく、夢を見ていた気がした。夢というより、思い出に近いのだろうか。

 記憶の底に沈んでいた、小学生になる前の出来事。俺が見ていたはずの、その光景。


 その女の子はベッドに横たわっていることが多く、風邪を引いていることも多かった。いわゆる病弱というやつだろう。

 出会いは覚えていないが、いつの間にか彼女と仲良くなって、家に行って遊ぶこともあった。 

 家に行くことは多くなかったが、それでも何度かあったことは確かだ。


 どこか儚く、目を離せば消えてしまいそうな女の子。少なくとも、芽凛衣とは似ても似つかない、でも可愛らしい人だった気はする。


 そんな彼女と別れたのはいつだったか、思い出せはしない。だけど、別れるときになにかを渡した記憶がある。

 いつも辛そうだった彼女が元気になってほしくて、別れる前の最後の日に渡したそれは、人の形だったような……


 しかし、その正体は思い出せない。記憶の奥底に沈んだソレは、思い出せる日が来るのかも分からない。ただ、それが芽凛衣と関わっていることは……




 目が覚めたのは、時間にして一時間ほど経った頃だと思われる。帰宅したのが十六時頃だったのに、起きたときには十七時半を越えていたからだ。

 ベッドから降りて窓の外を見ると、そろそろ日が暮れ始めているのか、空にはほんの少しだけ、茜色が滲んでいた。毎年ごとに暮れるまでの時間が延びているからか、ようやくこの時間に日が暮れ始めるのかと、ぼんやり考える。


「おはよう」


 ふと、窓際に立つ俺は透き通るような声で話しかけられた。振り向くとそこにいたのは、相変わらず綺麗な銀の髪と、翡翠の瞳を輝かせる女の子だった。


 一週間ほど前に俺の家にやってきた、紫崎ゆかりざき 芽凛衣めりいである。彼女と話をしていたはずが、いつのまにか寝ていたようだ。睡眠はしっかり摂っていたはずなのだが、疲れていたのだろうか?


「おはよう、芽凛衣」


 いつの間にか俺の後ろに立っていた芽凛衣に挨拶を返すと、彼女は優しく微笑んでふわりと抱き締めてくれる。


「気分はどうかな?」


「あぁ、すっかり戻ったよ」


 まるで頭が冴え渡ったようにスッキリしていて、寝る前の不安が嘘のよう。さっきまで確かに俺は、芽凛衣の影響で無理やり警戒心を解かれていたらしい。

 では今はどうなのかと言われると、彼女に向ける想いは変わらず今でもしっかりと残っていて、ホッと安心感を抱く。


 好きとまではいかないものの、それでも彼女との間に愛着を感じていることは間違いない。

 離れて欲しくないのは、嘘じゃないんだ。


「そろそろご飯の用意するね。更斗くんは課題やっててよ」


「分かった、頼む」


 すっかり元に戻ったのは芽凛衣も同じようで、ニッコリと笑ってそれを証明した。彼女が今から夜ご飯を作るみたいなので、俺はその間に課題を進めてしまおう。

 減らせば減らしただけ、後々気分が楽になるからな。


 俺から離れた芽凛衣が、部屋から出ようとくるりと振り返り、ドアノブに手を掛ける。その背中を見て、彼女に声をかけた。


「芽凛衣」


「ぅん?」


 突然の呼び掛けに、芽凛衣はにこやかに振り返る。対する俺は、言いたいことがあって呼んだというのに、恥ずかしくなって言うきが失せてしまった。


「──あ、えっと、ごめん。なに言うか忘れた」


「……っあはは!分かったよ!」


 呼び止めたにも関わらず忘れたという返事をした俺に、芽凛衣は怒るどころか楽しそうに笑ってみせた。

 嫌いってわけじゃない、なにも思わないわけじゃない。俺はただ、これからもよろしくと言いたかったんだ。

 口にできなかったその気持ちは、なんとなく伝わっているような気がした。



 芽凛衣がキッチンで料理をしている間、俺はリビングで課題を進めていた。ふと浮かぶのは、過去に別れた女の子に渡した、あの人形のようなもの。

 ぬいぐるみだったか、人形だったかは忘れたが、人の形と大差なかったような記憶がある。


 もしかして、芽凛衣は……


 昔のこと過ぎて鮮明には思い出せないが、的外れというわけでも、おかしい話でもないと思う。

 なにせ彼女との出会いは、あの都市伝説と同じだ。ただその人形が、捨てられたのではなく贈り物だったというだけの話。

 彼女から強い好意を向けられているのは、その違いだろう。きっと、遠い記憶のあの子に向けた幸せを願った気持ちが、愛情として帰ってきたのかもしれない。



 また思考に没頭していたようで、気付けば俺の手は完全に止まっていて、時間が十分ほど飛んでいた。やれやれ、今日は考え事ばかりだな。


「更斗くん、ご飯できたよ!」


「分かった」


 芽凛衣に呼ばれて、ペンを置き食卓に向かう。そこには既に料理が並べられていて、彼女の手際の良さが分かる。

 椅子に腰を下ろし、芽凛衣と目を合わせると、彼女 ふふっと笑って、二人で手を合わせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る