インビシブル
@siawasetaro
= 嘘が分かる男 霧島 =
「霧島さん、配達員の制服を着た人は、配達員に決まってるよ」横の猫田が口を尖らせた。
霧島は肩をすくめる。「サンタクロースの恰好をした男の大半はサンタクロースじゃない」
猫田は来た方向を指で指しながら「ありえないよ」と繰り返す。「あれはどう見ても配達員だ」
しぶしぶ立ち止まった。歩道を振り返り、顔を上げる。日差しはまだ暖かいが夏はまだ遠く、街は落ち着いた雰囲気だった。三十メートルほど離れたところにマンションが見える。その下で、濃い紺色の制服を着た男がマンションを見上げていた。身長が比較的高く、瘦せた体形をしている。
「霧島さんはあれが偽物だっていうわけ?」
「あの男は嘘をついている」
「そんなことないよ」と言う二十歳の猫田は、好奇心旺盛な子猫のようだった。
「今、あそこでマンションを見上げているだろ?あれは嘘をついている顔だ。配達員の制服を着て、配達員の真似をしているんだ」
「でもさ、何のために」
「以前、配達員の恰好をした二人組の男が、インターフォンを鳴らしてマンションに侵入し、住民の部屋を漁ったニュースを聞いたことがある。すれ違った人に挨拶までしていたらしい。それと多分同類だ。楽をして不当に金を手に入れようとする奴は珍しくない」
「強盗犯?普通の配達員にしか見えないけどなあ」猫田は観察するように首を伸ばしてから言ったが、すぐに、「でも、霧島さんが言うからには、そうなんだろうね」とうなずいた。
「俺がいくら言っても、シャチは哺乳類だがな」
「確かめてみようか」
「シャチをか?」
「ううん、配達員かどうか」
「やめておけ。俺たちには用事がある」霧島は表情を変えない。「わざわざ関わることはない」
「でも、あれが偽の配達員だとすると、あの人、今から強盗するんだよね」
「強盗と断言できないが、よくないことは起こる」
「それは良くないんしゃないかな」
「俺たちにとって大事なのは、会場の下見だ」
「でも、偽配達員も許せないよ」
「見て見ぬふりをすればいい」
「そんな!」猫田は霧島の顔を指さす。「霧島さんは冷たい」
「いいか」猫田の指を遮るように、人差し指を顔の前に持ってくる。「俺たちは神でもなければ仏でもなく、ましてや善良な人間でもない。余計なことに首は突っ込まない方がいい」
「偽配達員は秩序を乱す」猫田はそう言うと、来た道を戻り始めた。
泥棒が言う台詞でもないな、と溜息を堪えながら、霧島もそれに続いた。時計を見る。まだ、会場が閉まるまでには二時間ほどある。
マンションからでた少年が、制服を着た男に挨拶をして、離れていくところだった。
堂々としながらエントランスに入り、インターフォンに向かう男は、まさしく配達員の外見をしていた。制帽もしっかりと被っている。
けれど、近づくにつれて霧島は確信を深める。この男は配達員ではない。
霧島には嘘が分かる。
母親が子供の微かな異変に気づくのと同じように、人の嘘が分かった。仕草や表情、話しぶりですぐに分かる。
汗をかく。顔を歪める。必要以上に笑う。鼻に手をやる。眉をこする。鼻が膨らむ。さらには前置きで、「嘘じゃないよ」と前置きすることさえある。様々な方法を用いて、人は自分の嘘を教えてくれる。霧島にとっては「嘘がばれない」と信じている人が存在していること自体が驚きだった。
「霧島さんって今、いくつだったっけ」
「三十五」
「昔から、嘘に敏感だったの?三十五年間も?」
「たぶん、はじめからだ。はじめから分かった。人っていうのは、何かを取り繕うために、本心を隠すものなんだとな」
子供のころ、父親が、「今夜も残業」と疲れた顔をして、母親に報告しているときもそれが本心ではない、と霧島には分かった。現に彼は、一か月もしないうちに残業と言いながら、浮気をしていたことがばれて母親に怒鳴られていた。
中学生だった時、所属していた部活動の顧問が、「お前たちなら全国へ行ける」と、霧島たちを励まし、鼓舞しているのも嘘だと分かった。チームメートが涙を流し、顧問の言葉を信じて、うなずいているのが霧島には信じられなかった。
四年前、彼女の脳に腫瘍ができていることが判明した時もそうだった。義母が、
「霧島さんがいるからあの子は大丈夫」と言ったのも、残念ながら真実とは程遠いところから発せられたものだった。
「そう言えば、響野さんが言ってた」猫田が口を開いた。
「何て言っていた?」
「世の中で、霧島さんの奥さんだけは嘘を言わないって」
「正確には、離婚した奥さん、だな」言い直す。
彼女は嘘を言わない女性だった。少なくとも霧島にはそう見えた。結婚式の写真撮影でVサインをしていた時も、脳の腫瘍が判明した夜に「最低ね」と泣いていた時も、数年前に「もし、もう一度人生をやり直して、夫を選ぶとしたらあなたにしてあげる」と微笑んで、霧島の頭を撫でながら、「君は、いい夫だ」とふざけるように言ったのも、いずれにも嘘はなかった。
「逆に響野は、口を開けば嘘しかでてこないからな」
「霧島さんか大学の時、響野さんと同級生だったんでしょ」猫田が訊ねてくる。「そのときから嘘八百だったの?」
「あいつは生まれてこの方、本当のことよりもでまかせを口にした回数のほうが多いな」
「それ、冗談に思えないから困る」
配達員の恰好をした男は、インターフォンのボタンを押していた。確定のボタンを押す寸前に、猫田がその肩を軽く叩く。
俺の背後に回るな、と言わんばかりの表情で、制服の男は振り返り、猫田を睨みつけた。頭一つ霧島たちよりも身長が高い。瘦せ型だが肩幅は広く、腕には薄い筋がうかんでいた。
「えーと」猫田が声をかける。「もしもし」
相手はひどく嫌そうな顔をした。重大な任務を遂行中の自分に声をかけるとは何ごとだ、とそういう不機嫌さが窺えた。
猫田が不安そうな目を、霧島に向けてきた。「この人、本物じゃないの?」と確認するようだった。たしかに、企業のロゴが刺繍されている制帽や制服、内ポケットにペンやメモ帳、抱えている段ボール、堂々とした立ち姿まで、すべてが正式な配達員のものとしか見えなかった。
「君は本当に配達員か?」霧島は質問をする。
よく見れば、相手はまだ若かった。頬やおでこに、小さな吹き出物がいくつか見える。顔には若者特有の、エネルギーに満ちた印象を与えた。
「見れば分かるじゃないですか。いったい急に、何ですか」と相手はむすりと答えた。
霧島は猫田にむかってうなずく。間違いがなかった。嘘だ。男は嘘をついている。
「偽物の配達員はたぶん罪になるんだよ」猫田は相手を指さした。
制服の男はそこで頬を赤くして、興奮した声を出した。「ちょっと、これを見ろよ」と自分の制服の左胸を前にだす。「このロゴを見ろ」
たしかに、大手配達会社のロゴのようなものがついていた。会社に疎い猫田でさえ、知っている会社だろう。
「残念だが、偽物が偽物のロゴをつけているだけだ」霧島は穏やかに指摘する。
男は頬を赤くして、怒りで頬を膨らませた。「社員証もある」とどこからかカードを取り出して、それを霧島達に突きつけた。
「本物だ」と思わず、猫田が驚く。
「本物に見えるだけだ」
「仕事の邪魔をするな」男はヒステリーを起こすような仕草をした。手をひらひらと振って、あっちへいけ、と仕草で示した。
「そうだな。猫田、さっさと行こう」かまっていたくなかった。さっさと下見に向かった方がよほど有意義のはずだ。
「でも、もし偽物だったら」
「もし、じゃない。こいつは偽物だ」
「うるさい!」男が声を荒らげた。段ボールを小脇に抱え、空いている手で霧島につかみかかろうとした。「動かないで」それより一瞬早く、猫田が手で男を押しとどめた。「いいかげんにしろ」と男は怒る。
猫田の鋭い眼光に、生物的な恐怖を感じたのか。怒ってはいるが、男は再び近づいてこようとはしてこない。
霧島はさっさとその場を立ち去りたかった。よけいな揉め事は避けたかったし、嘘を強情につき続ける青年を眺めているのも好みではなかった。
そこで猫田が「なるほど、蓮くんって言うんだ」と言った。
手にはさきほど男が見せてきた、社員証を持っていた。正確に言えば、社員証のようなもの、だ。
男が顔色を変えた。片手で制服を探っている。
霧島は感心する。猫田が社員証を掏ったところは見えなかった。
ふむふむ、と霧島はその社員証をあらためていた。「記載されてる会社に問い合わせてみてもいいかな」とスマホを取り出す。「この名前で、この社員IDの人が存在しているか確認してみれば一発だ」
「い、いや」男が動揺を見せた。
「ほら、やっぱり本物の配達員じゃないんだ」
男は唇を震わせていた。猫田の言い方が癪に障ったのか、表情を険しくした。
もしかすると、偽配達員には二種類いるかもしれないぞ、と霧島は思った。
自分が追い詰められたときに、逃げ出すものと、そうでない者だ。
霧島たちの前にいる男は前者だった。
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