= 噓が分かる男 霧島Ⅱ =

意を決したように、目を見開くと、抱えた段ボールが落ちるのも気にせずに、霧島たちを押しのけて走り出した。



「あ、待って」と猫田が言うが、男はもう自動ドアの外に駆け出そうとしていた。


 霧島はうんざりする。厄介な若者と関わってしまった、と頭を掻く。



猫田は霧島が止める間もなく、猫のように機敏な動きで男の後を追った。数秒もしないうちに、ギャッ、と制服の男の声が聞こえた。



外に出る。猫田が男の右手を背中に捻り上げる形で、捕まえていた。あっという間だ。そして、元居たマンションの下へと引っ張っていく。



男は逃げられないと察したからか、暴れることもしない。


「本物の配達員は、そんなに安直に逃げはしない」霧島はゆっくりと相手に近づく。



「俺を馬鹿にするな」目が充血している。


「馬鹿にしてないって」猫田は目を丸くして、手を離した。「生まれて二十年になるけど、君を馬鹿にしたことは一度もないよ」


「いいか」霧島は淡々という。



 男は右手をさすりながら、こちらに目を向けてきた。


「いいか、俺たちは君を茶化したいわけじゃないんだ。君は配達員じゃないんだ、そうだろ?」


 男は返事をしないが、聞いてはいるようだった。



「ただ配達員のフリをしたいだけだ。そうだろ?俺たちは別に君が配達員の恰好をしようと、警察官の恰好をしようと興味はない。君には君の仕事があるし、俺たちには俺たちの仕事がある。人の仕事のやり方に口をはさむのは、下品なことだとも思う。ただ君がここで、人を騙すのは良くない」



「騙す?」


「君はインターフォンを押して、『配達員ですが』と言って物を届けているんだろ?それは嘘じゃないか『配達員のようなものですが』と言えばセーフだが」霧島は肩眉を上げて、同情するような表情を浮かべた。


「騙すつもりなんてない」男が歯茎を剝き出す。


「それにだ、君が持っている荷物が爆弾だったり、配達員の恰好をした強盗だったりするかもしれない。もし、目の前で、爆弾を届けているようなのであれば俺も警察に通報せざるをえない。そうだろ?それはお互い面倒じゃないか」


「え、爆弾なの」猫田が驚いた声を出す。


「ただ、もし、君が今は諦めて、車に乗ってここを立ち去って、俺たちがいないときにまた来たら。もしそうなったら、今のこの不愉快なやり取りはなかったも同然になる。君の望むようにできて、俺たちはそれに気づくこともない。そうだろ?俺も君もその方が嬉しい」



「悪いことはしないでほしいけどね」猫田が口を挟む。


 男は、そのあたりでようやく強張っていた顔を緩めた。背中に憑りついていた「逆上の神様」が剥がれたようだった。



「どうするのが利口か、君なら分かると思う」



 男はしばらく黙り、ぶつぶつと何事か呟いていた。結局諦めたように下に落ちた段ボールを拾い、「一度、会いたかっただけなんだ」と泣き出しそうな声を出した。


 霧島は顔をしかめる。泣き出しそうな声を出す青年も好みではなかった。



「会いたかっただけなんだ」男はがっくりと肩を落とした。


 猫田が困った顔をした。霧島も同様に顔を歪めて、男を見る。


 可哀想になってきたよ、と猫田は口の動きだけで言ってから、「制服も制帽も、そこまで揃えたら、大したもんだよ」と首を振った。「分かるよ」



 霧島も調子を合わせた。男の背中に軽く手を置いて、励ますように「君はなかなかの配達員に見える」



 すると、男は急に顔をほころばせた。



 現金なやつだ、と霧島は呆れる。


「うん。本物以上の本物に見えるよ」


「誰に会いたかったんだ?」霧島はとりあえず訊ねてみる。



 男は一瞬躊躇してから「渚ちゃん・・・・」と消え入りそうな声で言った。


「渚ちゃん!僕も大ファンだよ」猫田が興奮した声を出す。


「知っているのか」


「知ってるもなにも、今をときめく超人気アイドルだよ」信じられないものを見る顔で猫田は霧島を見る。



「渚ちゃんがここに住んでるの?」


「ああ、公式には公表されていないが、」男は仲間を見つけたと言わんばかりに、急に生き生きとした声を出した。「俺は特定するのが、得意なんだ」



「その制服は簡単に手に入るのか?」と霧島。


「こういう趣味の集まりがあって、簡単に手に入るんだ」


「ああ、そうか」


「あんたたちが欲しければ、揃えるけど」



「欲しくなったときには、頼むよ」眉を下げて、曖昧に返事をした。必要であるはずがない。「その荷物は何が入っているんだ?」



「ああ、これ」男は下に落ちた段ボールを拾いながら、自慢げに鼻をこすった。「チュールがいっぱい入っているんだ、ほら、渚ちゃん三匹猫を飼っているでしょ」


 爆弾ではないことには、霧島も気づいていたが、あまりの落差に拍子抜けした。



「チュール?」


「そう、猫ならみんな好きでしょ。これを渚ちゃんの猫ちゃんたちにあげたくて」


 男は無邪気な顔で笑うと、ガムテープを剝がし始めた。身体は青年だが顔は少年だ。段ボールの中には所狭しと猫用のチュールが収納されていた。



「素晴らしい!猫ちゃんたちのプレゼントだなんて!」猫田は大声を出す。今にも拍手をしそうだ。


 霧島はもう、相手にしたくなかった。


「欲しかったら、制服も制帽も揃えるよ」男はその気になって鼻を膨らませる。「何着欲しい?三着だったら、手元にあるけど」



 霧島は、こういう変人を社会に役立てるいい方法はないだろうか、と感じながら、「いや、仲間は四人だから、四着欲しいんだが」と言った。



「三着なら、用意できるんだけどなあ」


 結局、男は段ボールを持ち上げると、「今日はやめておきます」と言い、停めてあった車に乗ると、その場を去っていった。


 霧島と猫田は向き合って息を吐く。



「世の中には変な人がいるね」


「だから関わるべきじゃなかったんだ」


「いったい何だったんだろ、彼は」猫田が不思議そうに言う。



「熱狂的な変人ファンだな。アイドルを推してるうちに、どうにかして会いたくなったんだろ」


「でもさ、あそこまで服を揃えて配達員の恰好をしなくても、私服の配達員を装ったらいいのにね」


「不安を与えたくなかったんだろう。私服の配達員より、制服を着ている配達員の方が人は安心する」


「変なところは配慮してるんだもんなあ、今の若者はわかんないや」



「おまえも同い年くらいだろうに」


 猫田は肩を上げてから、「でもさ、ああいう恰好をしてると、普通疑わないものだね、みんな配達員だと信じちゃう」



「外見というのは大切なんだよ。この間、こういう動画を観た。どこかの配信者の一人がふさげて配達員の恰好をして、メンバーにあったんだ。さっきの奴と同じような制服姿でな」



「どうなったの?」


「誰にも気づかれることはなかった’書類に受け取りのサインまでしてもらったらしい」


「嘘でしょ?仲間なら気づくよ」



「人は外見に騙される、という例だよ。見た目は大事なんだ」


「響野さんの変装で、僕たちが気づかなかったことはないよ」


「それは響野が喋りすぎるからだ」霧島は続ける。「俺が配達員の恰好をして、猫田の家を訪ねたら、おまえはたぶん目をしっかり見ながら、感謝を伝えるだろうな。賭けてもいい」



「ありえないね」


「おまえが配達員の制服を着ていれば、誰もおまえとは気づかないさ」


「ありえないよ」


「どんな格好をしていても、バレる奴はいるがな」


「響野さんだね」


 霧島は肩をすくめて、下見をすべき会場へと足を進める。

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