血で汚れてもよろしくて? 〜梟と恐れられる王国の牙が、王国を噛み殺すまで〜

朽木真文

蝶が嵐を呼ぶように

第1話 ルイエルド辺境伯領の革命について

 灯りの無い部屋に月光が満ちる月夜、流麗な刃が弧を描く。その軌跡はまるで氷の塊のように、冷たい光を纏いながら男の脇腹へ伸びていく。

 風が鳴る。男が短い悲鳴を上げた。

 刹那、鮮血が花を咲かせる。その斜め下から振り抜かれた刃は、腹部に容易に侵入し肺を突き破る。肺に蓄えられた空気が抜け、弦の切れたバイオリンのようにもう彼が声を発することは出来ないだろう。

 傍らに立つ女は、高く上げていた脚を下ろす。

 軽快な金属音が鳴り、ハイヒールから生えるように付けられていた刃が収納される。そして、黒い手袋を嵌めた両の手で持ち上げていた深紅のドレスのスカートを下ろし、すらりと伸びた初雪のような脚を、そのヴェールに秘匿させた。

 鬱屈さごと吐き出すように、女は嘆息を漏らす。

 その美貌は、まさに傾国の美女と言ってもいい。

 シンメトリーの双眸は切れ長で冷たく、整った鼻立ちの下には薄い桃色の唇が実っている。透明感のある肌はまるで新雪のようで、凹凸の一つすらも見当たらない。

 美女ではあるが華やか、と言うような美しさでは無い。一言で表すならば耽美。それは氷の彫像を幻視させるような、近寄り難い美しさであった。

 その豊満な双丘が上下し、金糸雀のような明るい金の糸が、風に摘ままれたように揺れる。

 生命活動を停止させた身体が、力無く膝を突き床に倒れ伏す。貴族しか着用を許されない華美な礼服が、どくどくと脈打つ暗褐色に染まっていった。

 広がる血溜まりは高価なカーペットを汚し、大理石を赤く染め上げる。女はそれを避けるように数歩下がると、その手に嵌めた手袋を口を用いて外した。

 冷たい月光に照らされ、唾液が糸を引く。その細く、白く、しなやかな指が外気に晒され、血のように紅いネイルが光を浴び鈍く光った。

 黒い手袋を、顕になっている胸の谷間へ仕舞い込む。

 そうして暫く部屋の惨状を眺めていた女だったが、満足したのか部屋の隅のドアノブを捻り、コツコツと軽快な靴音を鳴らしながら部屋を後にする。

 廊下の灯りがドアの隙間から部屋に飛び込む。部屋と廊下のその輝度の差に、暗闇に慣れていた女の紺碧の瞳孔は一瞬だけ収縮し、女は手で目元に影を作り眉を顰めた。


「どうだ?」


 ドアを開けた正面、廊下の壁に腕を組みながらもたれ掛かっていた男が、含みのあるアルトで訊ねた。

 棘のようなプラチナブロンドの隙間から覗くナイフのような鋭い視線は、その声も相まり並の者なら睨まれるだけで怯んでしまうだろう。

 長身で引き締まった肉体に燕尾服に身を包み、その左胸に光る金色のバッジはこの屋敷の主であるとある貴族に仕える証だ。その服装と併せて見れば、この男が屋敷に勤める使用人の一人であることは容易に理解できるだろう。

 その正体が、本当に使用人であるかは別として。

 そんな男の問いに何か反応を示す訳でも無く、女は不機嫌そうに鼻を鳴らして廊下を歩き出す。

 ハイヒールの軽快な足音に、革靴の確かな足音が続いた。


「滞り無し、証拠も無し、造作も無し。私の事、初心者だと思ってる?」

「…まぁ心配はしてない、確認だ」


 男が肩を竦める。女はそんな男の様子に一瞥だけをくれると、冷たい声で訊ねた。


「このまま正面玄関でいいのよね?」

「……あぁ。他の参加者に紛れる形になる」


 女はその言葉に、歩きながら男の方へ怪訝そうな瞳を向ける。その咎めるような目線すら、世の男性は見惚れて時は静止し、思考は沸騰し、息も出来ないだろう。

 しかし男は反応を示さず、女の続く言葉を待つ。


「正気? 私目立つわよ」

「それを俺が知らないとでも思ったか? 大勢の視認情報を作りたい。そんなことをせずとも、かの赤百合がまさか殺人の容疑者として疑われることは無いだろうが、念の為だ」

「そのまま歩いていいの? 殺した部屋から特に移動してないわよ?」

「ロウル侯爵はメイドに自室へ戻ると言って会場を出ている。こことは全くの逆方向だ。後は分かるな」

「なるほど。アリバイは完璧って事ね。」


 納得したように喉を鳴らし、女は続けて問う事はしなかった。

 赤いカーペットが敷かれ、壁には名も知らぬ絵画が飾られている廊下を、二人は言葉を交わさず歩いていく。

 やがて二人は廊下の最奥、巨大な黄金の扉に突き当る。事前に示し合わせたかのように女が立ち止まり、男がエスコートするように黄金の薔薇が巻き付くような装飾の大扉を開いた。飛び込むのは、巨大なシャンデリアによる宝石のような七色の光と、管弦楽団によって奏でられる豪華な音楽。

 シャンデリアの下で蠢く色はよく見れば、全てドレスを着込んだ淑女と礼服に身を包んだ青年だ。

 ワイングラスを片手に談笑に花開かせる者、音楽に合わせ優雅に踊りを披露する者。どれも往々にして整った容姿を持ち合わせているが、それもホールの端で傍観する女に比べれば、足元にも及ばない。

 所謂ダンスパーティーの場でその女は、胸を持ち上げるように腕を組んだ。


「ほんと、何が楽しいんだか」

「俺は戻る」


 呆れたように吐き捨てる女を諫めると、男は人波に消えていく。何ら特徴的な点も無い使用人の装いだ。男はその背景に自然に溶け込み、女はすぐにその姿を見失った。

 女も、その背中を追おうとはしない。そのままどこか遠くを見つめるように、ぼうっと立ち尽くしていた。

 難しい表情をしながら、彼女は顎にそのしなやかな指を沿わせる。まるで名高い画家が描いた絵画のようなその姿に、覗き見るように彼女の様子を窺っていた者達から、感嘆の息が漏れた事を女は知らない。否、そんなことは彼女にとって、歩けば前に進む程度の至極当然の原理に過ぎない。脳が適宜情報を取捨選択したのだ。

 ふと、そんな女に近寄る影が幾つか。女は警戒からか、誰にも視認されない身体の陰で小さなダガーナイフの刃を露わにした。


「あら! リリー様、どちらに行かれてたんですか!?」


 談笑の最中その絶世の美貌が視界に映り込んだらしく、部屋の隅に佇む、リリーと呼ばれた女に数人の女が近付く。

 どの者も若々しく、この社交会に舞い上がっているようであった。

 貴族社会において社交会とは即ち、選ばれた者しか参加できぬ秘匿された会合。普段は関わり合いが無い高貴な身分の者とも、談笑することが出来る稀有な機会だ。それも、今回の主催者は社交界の貴人とも称されるロウル侯爵。舞い上がるのも無理は無い。

 それにこうして、王国でも赤百合と称されるリリーとも会えたのだから、彼女たちが高揚するのも無理は無いだろう。

 リリーはそんな者達の無垢な笑顔に合わせるように、その表情に絢爛な華を咲かせる。と同時に、彼女等に敵意が無いことを察し素早く刃を隠す。

 リリーの破顔は同性すらも魅了したようで、話し掛けた少女たちの内数名が蕩けるようなだらしない顔を晒していた。


「少し夜風を。今宵は特に沢山のお誘いを受けてしまったものですから、少し疲れてしまいまして」

「わぁ……! やっぱりリリー様は違いますね! 私今日は二回ほどしか…」

「私なんて一回もよ。あぁ…でも、リリー様の笑顔で癒されますぅ…」

「あら、嬉しいことを言ってくれますわね。しかし――……」


 魔性の微笑みを湛えながら、リリーはそう漏らす少女の顎を持ち上げる。

 まさに魅了の最中。少女が息の仕方を忘れているのが分かる。網膜は美しいリリーの顔を焼き付けようと必死に見開かれ、緊張と興奮により早まる鼓動がリリーの耳にまで届く。頬は林檎のように赤くなり、うっとりと表情が解けた。


「――……私なんかに感けていると、売れ残ってしまいますわよ?」

「あわ…あわわわわっ!!」

「ず、ずるい! リリー様のお顔をそんなに近くで見れるなんて!」

「私にも!! 私にもお願いしますリリー様ぁ!」

「あぁ……私、もう死んでもいいかも……」

「ふふっ、御冗談も程々にねお嬢様方。では、お先に失礼致しますわね」


 薔薇のような背景を幻視させ騒ぐ少女達を横目に、リリーはその場を去る。

 すり抜けるように人の流れを掻い潜り、鼻の下を伸ばす男共のダンスの誘いを笑いながら断り、屋敷が放つ光から逃げる影のように、開け放たれたその正面玄関へ向かう。

 社交会とは表向きには、歓談とダンスを愉しむ穏やかなパーティー。しかし、その実は有力なコネクション、権力関係の維持、更なる富と名誉を得るための腹の探り合いだ。

 その点男性陣にとっても、女性陣にとっても、王国でも名高い美女でありながら、決して小さくない発言力を持つスカーレット侯爵家の長女、リリー・オウル・スカーレットと言うのは魅力的に映るのだろう。

 とは言え、話し掛けられる理由はそれだけではない。

 周辺国家どころか、大陸中に轟くその美貌。美の女神とも称されるそれは、特に彼女の生家スカーレット侯爵家の領地であるヴィル・スカレアでは、狂信的とも言える非公式のファンクラブが結成されているという。そんな、生物として一ランク上の存在。

 正しく絶世の美女。赤百合リリーだからだろう。

 周囲から感嘆の声が漏れるのを聞きながら、ホールを抜け玄関へ。しかし社交会より立ち去る麗人に玄関で待機する使用人たちが気付く筈も無く、使用人服に身を包んだ一人の少女が、主人を見付けた犬のようにリリーに駆け寄る。

 ミルクブラウンのショートボブには緩やかなパーマが掛かっており、そのくりくりとした大きなヘーゼルの瞳は、まさに無垢な子供のように輝いている。


「リリー様! もうお帰りで!?」

「えぇプラム。仕事も終わったし、もう疲れたわ。人の目気にするって、私嫌いなの。ドレスも嫌いだし」


 リリーが声を潜めて言う。その言動に先程のような麗しさは感じられず、まるで愚痴を零す相応の少女のよう。

 そんなリリーにプラムと呼ばれた少女は人差し指を立て、大袈裟な動作で高説を垂れるように口を開いた。


「いえリリー様! 奥様も、その身を飾らずして何が女かと仰っていましたよ? その言葉、私も同意です。リリー様程お美しい方が、着飾らないのはもったいないですよ! それが武器となるのですから、尚更です!」

「フーアなんかはそれを愉しんでそうじゃない? 私は着せ替え人形じゃないのだけれどね。はぁ、……この話はいいわ。馬車の用意をして頂戴」


 話に夢中だったのか、プラムは目を丸くする。リリーはそんな彼女の背に、沿うようにピンと持ち上がる尻尾を幻視した。


「おぉ! これは失礼致しました! 暫しお待ちください!」


 そう告げ、外へ駆け出す少女。それを見届けたリリーは腕を組み、退屈そうに玄関で立ち尽くす。

 とは言え、何も考えていない訳では無い。

 今回のファインスト王国の中でも大貴族に数えられる一人、ロウル侯爵暗殺の依頼はとある貴族の娘からのもの。

 シナリオ通りに殺害にも成功した上、誰にも疑われた様子は無い。今回の依頼も完璧だろう。と、彼女は自分の仕事を振り返る。

 腰に手を当て、右脚に体重を預けるその佇まいに周囲の者の視線が集まる。リリーはそんな視線に気付かぬふりをしながら、磨いた爪の様子を確認していた。そうしている内に馬車は、すぐに正面玄関に訪れる。

 御者台に乗ったプラムが、吠える犬のように叫ぶ。


「リリー様、只今!」

「ありがとう」


 御者台から飛び降り、扉を開くプラムに促されるまま馬車に乗り込むリリー。

 手早く御者台に戻ったプラムが手綱をしならせると、いななきと共に馬車が動き出した。

 馬車はゆっくりと貴族屋敷の中庭を抜け、街道を走る。そうして馬車を走らせる最中、プラムが端無くリリーに言葉を投げる。


「して、アイビー様は?」

「死体発見を遅らせる為の誘導と、偽物の犯人作り。まぁいつものね。今回は新人の使用人だから、離脱にそこまで時間は掛からないと思うわ」


 窓を開き、外に誰の姿も無いことを確認した彼女は、社交会での優雅さなど感じさせぬよう乱雑に脚を組み、どこからともなく取り出したパイプで紫煙をくゆらせる。

 否、リリーがするだけで全ての所作は優雅ではあるのだが。

 月明かりに煙が反射し、まるで霧が彼女を隠すように漂った。


「以前は軍の幹部とお聞きしました! 相当苦労されたとも!」

「えぇ。これはジェーンのせいもあるんだけど、その為に私は無駄なもう一仕事を……。はぁ、貴女と一緒だと、柄にも無くなくお喋りになってしまうわ。それより、依頼人より連絡は?」

「まだです。予定の連絡はしてあるので、恐らくもうすぐ……――」


 プラムの言葉が不意に途切れる。直後、リリーは確かに馬の蹄鉄の音と車輪が回る音の他に、鳥の羽ばたきの音を聞いた。

 その音は次第に、徐行する馬車に近付いてくる。


「噂をすれば、ですねっ!」


 開けていた窓に白い鳩が飛び込み、その中に満ちる煙を嫌がるように甲高く鳴いた。その鱗が剥き出しになった脚には、丸められた一枚の紙が縛り付けられている。

 伝書鳩に用いられる鳩は一般的に、帰巣本能が高いが鳩舎間での行き来しか出来ない。

 しかしこの鳩はただの鳩では無く、訓練を積ませた魔物の一種であり、特定の人物とはいかずとも目的の馬車を探すことも出来るのだ。

 リリーはその脚に括られた紐を解き手紙を手に取ると、鳩を窓外へ逃がし、手紙を広げて読み始める。

 暫らく無言で手紙を読み進めていた彼女だったが、やがて溜息を漏らしながらその手紙を畳んだ。


「全く、人気者は辛いわね」


 魔法の行使。指先に小さな炎を灯し手紙に火を移すと、リリーはその炎が広がる紙切れを窓外へ放り投げる。


「暫らく休みは無さそうだわ、プラム」

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