第5話 盟主の枝先

 夜々が住む乃木坂のアパートから御照みてらの本部がある東京ミッドタウンまでは、歩いて約一〇分程度。


 六本木の人波は惨劇前と比較してさほど減っていないようだが、街として人の感情に訴える色彩の意思が希薄で、欲望を掻き立てる低俗な看板さえも、どこかに消えてしまっていた。


「あーあ、せっかくの日曜なのに」とぼやくまつりに、「別にやることないし……」と夜々は返した。


「夜々……私が連れ出さないとき、土日とかは何をしているの?」


「洗濯とか」


「いや、いいけどさ……一度しかない一〇代に、あやどりを添えなよ」


「……って、何を?」


 まつりは小さく嘆息した。


「なんでもいいじゃない、ショッピングでもいいし、美術館とかでも。あとカフェとかさぁ」


 夜々は意図が分からず、真顔でまつりを見つめ返した。


「白を倒すも結構。それが私たちの宿命……だけど夜々の望む通り、白がいなくなったらどうするの? 毎日、自宅警備、しちゃうわけ?」


 なにも思い浮かばないから「その時、考える」と突き返して、夜々は東京ミッドタウンの地下へと続くエスカレーターに乗り込んだ。


 御照みてらは檜町公園の地下にあるが、入口は東京ミッドタウンの地下一階にあった。組織は眷属たちが経営する企業からの支援金で活動しており、公にも認められている。


 扉の両脇に立つ土流術師たちは、根深い視線を夜々に絡ませてきたが、怯むことなく堂々とロビーフロアに足を踏み入れた。

 

 正面のインフォメーションボードには、土流術師育成機関コモンスクールの募集要項が大きく貼られていて、日本の一般的な慣習とは異なり、一〇月入学となっている。


「もう、そんな季節かぁ……」


 募集要項を見たまつりから、感傷じみた声がふわりと届く。


「血筋がある人しか入れないから、紙じゃなくて、メールでいいんじゃない」


「まぁ、そうだけど、普通の親なら見たくないでしょう。そんなダイレクトメール」


 まつりは寒々とした口調だった。


「そう、かな」


「わたしたちの同期、何人残っているの? 一五人いて、もう五人よ。卒業して一年で一〇人が白に殺された」


「そうだけど……わたしたちがやらなければ、人が追い詰められる」


「その通り。でもさ……子供を戦場に喜んで行かせる親なんて、いないよ」


「おーい」


 上条だ。


「昨日は……大変だったな、お二人さん」


 上条の視線は夜々から横に流れる。

 まつりは「問題ありません。ただの打撲です」


「そうか。あとで救護班に礼を言っとけ。まぁ、俺も帯名家の当主に大傷を負わせた

ら上から怒られるだろうなぁ」


 上条は、がはっと笑って顎を撫でた。


「やめてください、家のことは……」


 声が小さくなっていった。


「さて……、巫が待っているから行くぞ。さっさと終わらせて解放されたいだろう」

 

 巫は隊長室のソファーに綺麗な姿勢で座っていた。

 手元のノートパソコンを軽快に叩き、モニターの白光りが彼女の白肌をさらに輝かせている。


「二人とも座ってください」


 二人は巫の向かいに座った。

 上条は自分のデスクに戻り、革張りの椅子に荒く腰を降ろした。


「昨晩の報告を聞こう。まつりからレポートがあったが、もう少し詳しく聞きたい」

 

 まつりらしく理路整然と話をして、夜々は家から持って来たいちごオレをちゅーと吸った。


「ハルトバルトは、あの情報を探すために常時白を囮にした。紅壁クリムゾンウォールに近いから、俺はまんまと、お前たちを送り出したわけだ。まとめるとこれか、巫」


 上条は、やれやれという顔つきで巫を見つめた。


「はい。つまり隊長は、程度よく誘われたわけです。【白域(はくいき)】に電源が入る施設はないので、【紅壁(クリムゾンウォール)】近郊まで来るしかなかったのでしょう。念を入れて、囮を使ったと思われます」


 流暢に言い終えて、巫はノートパソコンに顔を落とした。

 眼鏡のレンズは透明を無くし、両眼の眼差しは隠れる。


「きついこと、いうねぇ、ゆ————」


 上条は咳払いで体制を整えてから言い直した。


「……巫の言う通りだが、紅壁クリムゾンウォールを破られて防衛域に侵入されると、うちの上層部もうるさいし、昨日はあれでいいんじゃねぇ? 中位白は紅壁クリムゾンウォールを破れるが、それは一応、防いだ訳だ」

 

 紅壁クリムゾンウォールは、眷属の部阿木べあぎ家が開発した白域はくいきをぐるりと囲む防壁術式だ。

 透明で目視できないが、白が触れると高さ五〇メートルに及ぶ半透明の赤い壁が出現する。総数の九九・九九%を占める常時白は紅壁クリムゾンウォールを破ることできないが、最上位の五白と中位白は破壊できてしまう。ゆえに防衛局の土流術師たちは常に警戒態勢を引いている。


「そういうことにしましょう。ただ……」


 巫はノートパソコンを閉じて立ち上がり、壁に取り付けられたモニターに近寄った。スイッチを押す。電源が入り、替わりに照明が薄くなる。


 見知らぬ、夜々と同じ年頃の男子が、モニターに映し出された。焦げ茶色の瞳と細い眉毛。薄い唇が印象的な男子だ。

 

 まつりは身を乗り出した。

 

「おぉ、かなりのイケメン! ふわふわな黒髪マッシュヘアも、おしゃれ! 誰です? 彼」


 巫が答えた。


朔月悠人さくつきゆうと。あなた方と同じ、一六歳よ」


「朔月って、もしかして……」


 巫は頷いた。


「古の眷属で、月赤つきあか家に継ぐ名家である朔月家。その家の長男」


「あれ、でも、いましたっけ? 男の子。確か、女の子はいた気が……」


 まつりは意外とそつがなく、組織の現状を熟知している。


「ええ、妹もいる」


「そうだ、男の子、いた……あ、もしかして、月赤の……」

 

「彼の本名は、月赤悠人つきあかゆうと。眷属三五家の盟主、月赤家の継承者。一〇年前、彼の両親は実験に巻き込まれて死亡。その場にいながらも生き残った六歳の彼は、朔月家に引き取られた」


 月赤という名が、夜々の身体を駆け巡り、内心の壁を鋭く叩いた。

 

 あの時、月赤家の、彼の両親は死んだ。


「月赤家はあの実験に半信半疑だった。その懸念は的中し実験は失敗、降神こうしんの惨劇により白たちが出現した。血筋が近い朔月家としては、御照みてらから彼を引き離したい訳だ。だから預けた」

 

 上条は淡々とした口調であった。


 一〇年前、白の出現は世界を震撼させた。

 だが某国が東京で散布したDNA塩基配列撹乱ウィルスによって、人が白に突然変異したという政府の虚偽説明が、今では広く浸透している。


 それは非常に対して、人の精神が安定を求めた結果だ。

 分かりやすい理由が欲しいのだ。

 たとえそれが信じがたい内容だとしても。


「ですが、巫さん……彼がどうかしたのですか」


 まつりが理由を求めて前屈みに巫を見つめた。


「昨日、中位白がビルの端末からアクセスして取得したデータは……彼」


「え、どうして白が彼を?」


 まつりの質問に巫は目を瞑り、顔を左右に小さく振った。


「不明。彼の履歴を参照して通っている高校を検索していたことしか、今は分からない。そもそも、はくたちの行動原理や目的さえ、我々は掴んでいない」

 

 巫はモニターの明かりを落とした。部屋に鈍い光が満ちていった。


「本題だ。お前たち、二人、彼の警備をしろ」


「ちょっと待ってください上条さん。わたしたちでなくてもいいはず。それこそ警備というか、防御術式に特化している部阿木家に任せたほうが」


 夜々は焦り、思いつくままの言葉を唇からもらした。


「普通なら、そうなるだろうな。だが今回は対象が高校生ということだ。強面の大人たちがする訳にはいかないだろう」


「でも、わたしたち、別の高校に」


 夜々にしては、筋が通っている抵抗である。


「二人とも転校しろ。それで全てが解決する。以上」

 

 組織らしい手を披露した上条は立ち上がり、部屋の出口へと向かった。


「ちょっと待ってください! 通う高校の選択は、プラベートの範疇です」


 夜々は上条のあとを追い、叫びをその背中に投げつけた。


 上条は半身を捻り「お前、いつも白を倒すと騒いでいるだろう。ハルトバルトは必ず彼を狙うだろうから、遭遇できるぞ。それにだ……この命令は、俺より上から来ている」


 夜々の身体は自然に強張り、喉が詰まる。低く掠れた声が飛び出した。


「……それは……一連塚勝己(いちれんずか かつみ)から、ですか」


「そうだ。ま、普通に警備すりゃいい。学校内だけだ。彼の家の周囲はすでに別の土流術師が警備をしている。じゃ、頼んだぞ。あとは巫が手配してくれる」

 

 上条は扉の向こうに消えていった。

 

 まつりはスマホで新しい高校を検索した。


「ここね。日本橋。美味しいお店、いっぱいあるし、あ、ここ、知っている有名なお店。ねぇ、夜々。私たち、任務で休みがちで、補習ばっかりでさ、クラスメイトとも付き合えていないじゃん。前線へ出る機会は減るだろうから、ようやくこれで高校生活が始まるかもよ。お、このお店」


 夜々は、虚空を呆然と見つめていた。

 どの顔で彼と会い、どんな言葉を交わせばいいのだろうか。

 

 夜々の祖父と父たちの協力がなければ、一連塚家が古文書を解読して月読つくよみの右腕を発掘しなければ、あの実験を行うことができなかった。降神こうしんの惨劇は起こらなかった。

 

 彼の両親が死ぬことはなかった。


 彼の警備をするなど、薄ら笑いが出てくるほど滑稽だ。


 そのとき、小さな思考が浮かぶ。

 

 そうだ、これは償いだ。

 

 この身で非難を浴びて、贖罪し続けろという意味だ。

 

 朔月悠人は、きっと汚物を見るような視線を投げつけるだろう。

 それは正しい行為だ。


「わかった。引き受ける」



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