第26話 視点3-8

 


 脱衣場で全裸のままスマホを弄るの普通にやめた方がいいと思うのだけどどこでもついやってしまう。

 久方ぶりにスマホを起動するとタイムラインは更新前のままだった。華やかなスタートアップ女社長の盛りに盛りまくったストーリーに舌打ちし、タブを一気に閉じようとしたところで手が止まった。


 なんで?


 間抜けな声が出ていた。



 高梨加奈さん。大学在学中に起業を……。元々そういう方面に興味はあったんです。でも自分がいざそうなってみると不思議ですね。まだ夢見心地です。お父さんが会社を経営しておられた……。わたしは経営センスなんてないですよ、あったとしても後天的なものだと思います、周囲の人の助けがあって。私生活ではご結婚もされて来年度にはお子さんも。公私ともに充実ですね……。幸せいっぱい、って感じですね。今が人生で一番充実しているんじゃないかなって思います。うちは金融系? IT系? でも従来の枠組みに囚われたくなくって。とにかく「違うもの」を生み出し社会に貢献したい。淡々と大胆にやっていく。そういう感じで考えてます。大学在学中からもジョインしていただいて……。若い人に言いたいのは、とにかく動け! ってことですね。行動は大事。わたし子どもの頃から周囲に馴染めなくて、浮いたところもあったんですけど。




 なんで? 文字がまともに読めない。けれどインタビューに答えている気力満面な女社長はかつての岸上加奈に違いなく、今の岸上加奈だった。起業したんだ。結婚したんだ。子供も産むんだ。へーすごいね。なんで? ねえ、なんで?



 読む手を止めたいのに指先は画面越しの地獄をスクロールし続ける。あたしとはかけ離れ過ぎた、遠い国のおとぎ話のようで、まるで現在起きていることだとは思えない。次元が違い過ぎて同じ学校に通っていたとは思えない。


 インタビュー記事は高梨加奈が夫と撮った妊婦姿の写真と、会社の仲間たちとの写真で締めくくられていた。


 コメント欄はやはりというか案の定、荒れに荒れていた。罵詈雑言の嵐だった。


【マジできしょすぎる 女の悪いとこ全部詰めたみたいな女】

【5秒に一回マウント取ってきそう 産まれてくるお子さんにも英才教育頑張ってください(*^-^*)】

【フィンテックで暗号資産がブロックチェーンで譲渡担保って、一個も意味わからないんだけど一般の方にもわかる表現使ってもらっていいですか?】

【お父さんが経営者でお母さんが大学教授でお兄ちゃんが税理士で高校時代から付き合ってる旦那が年収1200万エリート銀行マンまで読んだ! 結局何が言いたいのこの女は。恵まれてる環境から私はこんなに成功しました、って事?】

【他全部がまんできるし考え方自体は応援したいけどマタニティフォトは無理だった。色々と怖い】

【最近のネットってこんなのばっかりよな 上級が下級を駆逐する場 ほんとうつまんなくなった】


 女の嫉妬って世界で最も美しい感情の1つだと思うよ。嫉妬、って字面が良いよね。憐憫とか躊躇とか侮蔑とかもいい。漢字ドリルの片隅に書きたくなる。【薄幸そうで正直可愛い】【人妻なんだよな……】的なキモオタコメントが逆に霞んでしまっている。理由なんて何でも良いから憎い。燃やし尽くすような女の執念がコメ欄に滾っている。【流〇しろブス】とか笑えないのもあって胸が悪くなったのでタブを閉じた。


 へえ、あの岸上が起業ねぇ、結婚妊娠出産ねえ。金も男も持ってるし勝ち組じゃん。ふふふ。この度はおめでとうございます旧姓岸上さん。でもロングインタビューからのマタニティフォトは結構気持ち悪いよ一般人の感覚だけど。うふふ。あたしのお下がりのパートナーせいぜい大事にしてあげてください旧姓岸上さん。うふふふふふふ。



 なんで?


 あの岸上が?


 ああ、そっか。人は変わるんだ。あらゆるものは時の流れとともに移り変わってゆくんだ。川の流れがなんちゃらとか。何とか日記だっけ? 歌だっけ? 文系科目とかウィキ〇ディアに書いてあること覚えるだけだと思ってたから知らなかったわ。ああ、こういう態度がよくないのだっけ。先ほど年下の遊び人にもなれない中途半端カス男に指摘されたばっかだったのに。あ、また見下しちゃった。



 一生誰とも恋愛しないし結婚しない、子どもも作らない、一人で死ぬ、自虐したように笑う表情が、こんなこと話せるのなんて、いよなだけだよと俯く泣きそうな表情が、いよなは良いよね可愛いし目立つから得だよ、わたしなんてブスでも美人でもない微妙顔だからと不貞腐れる表情が、男をとっかえひっかえしているあたしを失望したように蔑む表情が、思い出したくもないのに次々とよみがえる。


 きっと、あたしも岸上も、もう名前も思い出せない岸上の男も、同じ場所、同じ時間を共有していながら、全然、を観ていたんだろう。模様が変わる万華鏡のように。それがなんだかとても、面白い。 


 熱いシャワーを頭からかぶる。ああ、岸上は幸せになれたんだな。あたしの知っている岸上はもう何処にもいなくなっていたんだ。ひょっとしたら最初からいなかったのかもしれない。不思議と裏切られたとは感じない。寧ろ祝福したいくらいだった。良かったね。一時だけでも幸せを願おう。他人の幸せを喜べる感性がまだ自分の中に残っていたことが不思議だった。


       「うぅうぅううう」


 声にならない呻きが漏れた。熱い湯が髪を伝い肌を伝い下半身へと流れ、風呂場のタイルの中へと溶けてゆく気がした。決して追いつかれたくない何かと背中合わせになっているかのような。強い眩暈。


 おめでとう岸上加奈さん。お祝いします。できないけど。だってブロックしちゃったから。あたしの方から関係を断ち切っちゃったから……。おめでとう岸上加奈さん。


 でも欲を言えば。想い出の底でじっとしていてくれたらよかったよ。


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