青い地獄

「花だ! 青い花だ!」


 ハウゼンは口許を覆っていたガス避けのスカーフを剥ぎ取り興奮のままに駆け出していた。

 慌て隊員達もその後に続く。


 花が近づくにつれ芳香は噎せかえるほどに濃く重たくなっていった。まるでこちらにおいでと誘うような引力を伴っているようだ。甘さはやがて吐き気を覚える程に強くなり鼻腔から脳髄へと染み渡る。そう長い距離を走ったわけでもないというのに足元はぐらつき息は切れ手足が痺れた。しかしそれをおかしいと思うことすら出来ず吸い寄せられる様にハウゼン達は花を目指して足を動かした。


 カルデラの中央にそれはあった。

 枯れた大地の亀裂から伸びた茎は少し歪みながらしっかりと上に伸びていて生き生きと濃い緑色をしていた。表面には鋭い棘がびっしりと生えていて触れたものはたちどころに傷だらけになるだろう。幾重にも重なった丸い葉の淵はこれもまた鋸の刃のように鋭かった。


 そしてその先に咲いた一輪の花。

 鮮やかな天色の大きな花弁が見事な剣弁高芯咲きをしているそれは紛れもなく薔薇の花だった。

 ハウゼンが品評会で見たことのあるどの薔薇よりも大きく、おびただしくすらある花弁が重なり合って、そして調和していた。それはあまりにも美しかった。直感的か本能的かハウゼンはこれはこの世のものではないと感じた。


 だが、そんなことは関係がなかった。

 この花が何であれ、どんな不吉なものであれ持ち帰らなければならない。島から出してあげなければならない。ハウゼンは強迫観念にも似た使命感に突き動かされていた。

 薔薇の芳香がそうさせているのだ。


 ハウゼンは這いつくばり薔薇にすがり付くように棘だらけの茎を握りしめた。

 硬い鉤のような棘がたちまち皮膚を裂き、滴り落ちた鮮血が枯れた大地に染み込んだ。

 激痛を意に介さずさらに強く茎を握りハウゼンは薔薇を引き抜こうとする。目は血走り歯茎はむき出しになり鼻腔からは青黒く変色した鼻血が垂れていた。


 さらに力を込めようとしたハウゼンの腹から突然銃剣の先端が突き出した。隊員の1人が背後から貫いたのだ。ハウゼンの口と腹から鮮やかな青い血が溢れ出た。

 隊員はまるで虫を針で止めるようにハウゼンに突き刺した銃剣を地面へと押し込むとハウゼンに代わり薔薇へと手を伸ばす。

 そこに銃声が複数鳴った。マスケットが火を吹き至近距離から叩き込まれた鉛玉がハウゼンを刺した隊員を吹き飛ばした。

 マスケットを構えた隊員達はさらに銃剣を振り回し残りの隊員の腹を首を切り裂いて回る。

 奇妙なことに誰もその惨状に非難も悲鳴も上げずただ淡々と地獄が産まれた。


 誰も彼もが倒れ伏していた。僅かにも動くものはいなかった。腹から溢れた内蔵が、半ばちぎれた首から溢れる血が、欠けた頭から飛び出た脳漿が赤から黒へ、黒から青へとその色を変えていった。


 ぴくりと、撃たれて吹きとんでいた隊員の手が跳ねた。乾いた大地を指で削りながら手を突き立ち上がった隊員の肌は血色を失った、いや血色通りの青ざめた肌色をしていた。その表面にはびっしりと棘のような突起が皮膚を突き破り飛び出していてそこからも青い体液が染みだしていた。


隊員は薔薇を無造作に引き抜くとカルデラの底からしっかりと大地を踏みしめ登っていく。その後ろには同じように起き上がった隊員達が列を成していた。


















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