第17話 風邪を引くと、みんな優しくなる。

 翌朝から、僕は春夏冬あきなしさんのお迎えに行くのを止めた。

 無言で止めるのも悪いかと思い、limeで連絡だけは入れておいた。


 ――寒いから、今日から行くのを止めるね。

 ――わかった。無理しないでね。


 既読のあと、即座に返信がついた。

 その後にはスタンプまで送られてきた。 

 可愛らしい、看護師姿のウサギが〝お大事に〟と語っているスタンプだった。

 それを見た後、僕はスタンプを消去した。


 学校に到着しても、春夏冬あきなしさんの顔をまともに見ることが出来なかった。

 一日、二日と経過しても、僕は隣に座る彼女の顔を見ることが出来ずにいる。

 

 彼女から話しかけてくることは無かった。

 彼女が学校を休むことも無かった。

 僕が動かなくても、何も変わらずに毎日は過ぎていく。

 僕なんていう歯車があってもなくても、あまり変わらないんだという事を知った。



 ☆



「四十度とか……ははっ」


 これまでの無理がたたったのか、文化祭当日だというのに、熱を出して寝込む羽目になった。

 メンタルだけで耐えてきた日々に、肉体がついにギブアップしたというところか。

 思えば四月から今日まで、半年以上、ずっと突っ走ってきたんだ。

 ちょっとくらい休んでも、誰も文句を言わないだろう。

 いや、このままずっと休んでいても、誰も何も言わないかな。


 いてもいなくてもいい存在。

 それが僕、有馬里野という人間だったのだから。

 小学校、中学校と空気みたいな扱いだった。

 好かれる訳でも、嫌われる訳でもない。  

 高校生になったら変われるかと思ったけど、そう簡単には変われないらしい。


 でも、ここまで思いつめるなんて。

 僕ってどれだけ、春夏冬あきなしさんの事が好きだったのかな。

 どうしてこんなになるまで、好きになってしまったのかな。

 特別何かがあった訳じゃない。 

 猫屋敷さんが呆れるぐらいに、何も理由なんてない。

 隣の席に座っていたから、必死になって話しかけて、それで惚れただけ。

 惚れたのかな、理由や根拠を問われると、これってものは何も言えない。

 

 何も、言いたくない。

 全部、何の結果にも繋がらないから。


 頭が痛い。

 身体が熱くて、寝汗でパジャマが張り付いて気持ち悪い。

 眠れない、強めの薬を飲んだのに、眠気が凄いのに、眠れない。

 咳をすると喉が痛い、焼けただれたみたいに痛い。

 これ、このまま死ぬんじゃないかな。 

 葬式には、誰か来てくれるかな。

 やばいな、これは、ヤバいかも。


 ……。


「有馬君」


 ……。


 春夏冬あきなし、さん? 


「うなされてる……可哀想」


 いや、彼女が来るはずがない。

 今日は文化祭当日だし、彼女はお化け屋敷の受付をしているはずだ。

 猫屋敷さんが白装束を着込んで、鮫田さんが吸血鬼になって驚かしているはずだから。


 住所だって教えてないんだ、家に来れるはずがない。

 なら、これは夢だ。僕にとって都合のいい、とっても都合のいい夢。


「有馬君、何かして欲しいことがあったら、何でも言ってね」


 春夏冬あきなしさんに、して欲しいこと。

 

「凄い熱……額の熱冷シート、交換するね」


 とても冷たくて、気持ちがいい。

 夢の割には、やたらリアルな夢だ。


 なら、聞いてしまおうか。

 夢なら、ダメでも問題ないだろうし。


春夏冬あきなし、さん」

「なに? 喉が渇いた?」

「ううん……春夏冬あきなしさんには、彼氏が、いるの?」


 現実世界では聞けないから。

 夢の世界だけでも、僕にとっての、都合の良い返事を。 


「……いないよ」


 優しく微笑む彼女を見ながら。 

 ああ、やっぱり夢の中なんだなって、改めて思った。


「……」


 目が覚めると、部屋の中は真っ暗だった。

 枕元に置いてあったスマートフォンを見ると、時刻は既に夜中の2時を過ぎていた。

 熱は幾分引いた感じがする、でも、喉の痛みだけは残っている。

 

 身体を洗おう。 

 くたびれた身体を無理に動かすと、関節が痛かった。

 部屋を出て、階段を降り、風呂場へと向かう。

 ダルイ身体を動かして、綺麗さっぱり洗った後、髪を乾かして再度寝間着に着替える。

 寝る前にもう一度熱を測ってみた、三十八度だった。

 熱が引いた感じがしたのに、これじゃ今日も学校には行けそうにない。


 部屋に戻り、電気を点ける。

 

「……ん?」


 僕の部屋の勉強机の上に、見覚えのない手紙が残されていた。

 手に取り、目をこらしてよく読む。

 

 〝お大事に、一日も早く、元気になってね〟


 僕をいたわる言葉と、可愛らしくデフォルメされた春夏冬あきなしさんが描かれている。

 間違いのない、春夏冬あきなしさんの字だ。

 何十回、何百回と見た字だから、見間違えようがない。

 春夏冬あきなしさんが、僕の部屋に来ていた。

 今日、文化祭だったのに?

 一体何時に来てたんだ、どうやって? 僕の家の住所は?

 

 いや、それよりも何よりも。

 あの会話は、夢じゃなかったってことか?


 春夏冬あきなしさんに彼氏はいない。 

 じゃあ、あの写真の男は一体誰なのか。


 聞きたいことは山ほどあった。

 でも、身体がいうことを聞かない。

 眠気が、今更になって襲ってきた。

 

 回らない頭で眠りにつく。

 途中、母さんに呼ばれた気がするけど、返事が出来ず、そのまま眠りについた。


 ……。


 ……誰かの視線を感じる。


「あ、起きた?」


 寝ぼけ眼でも分かる。

 部屋にいるのは猫屋敷さんだ。

 僕のベッドに寄りかかり、寝顔をじーっと見ていたらしい。

 

「有馬も可哀想にね、高校初の文化祭だったのに風邪ひくとか」

「……こればっかりは、しょうがないよ」

「毎日頑張ってたもんね。リンゴ剥いたけど、食べる?」

「うん、もらおうかな」

「じゃあちょっと待ってね……はい、あーん」


 猫屋敷さん、笑顔で爪楊枝に刺したリンゴを出してきたけど。

 

「何よ、食べないの?」

「いや、本当に食べさせてくれるのかなって、思って」

「病人に悪さする訳ないでしょ。ほら、早く食べなって」


 じゃあ、もらおうかな。

 パクリとひとくち。

 うん、美味しい。

 食べながら周りを見て、ふと、あることに気付いた。


「あれ? 外が明るい?」

「そりゃ明るいでしょ、まだ十時だもん」

「まだ十時……え? 猫屋敷さん学校は? 文化祭でしょ?」

「しょうがないでしょ、有馬が学校来てないんだもん。誰が看病するのよ」


 いや、普通に母さんがしてくれるけど。


「学校には親から休むって伝えてあるし、私一人ぐらいいなくても大丈夫でしょ」

「……そう、かもだけど」

「それに、有馬には聞きたいこともあったしね」


 二個目のリンゴを食べさせてもらうと、猫屋敷さんは僕のベッドに腰かけた。

 沈む布団、目の前に猫屋敷さんの顔。……結構、可愛い。

 でも、その可愛い顔の眉が、吊り上がっている。

 

「アンタ最近、春夏冬あきなしのこと無視してたでしょ」

「無視……まぁ、そうだね」

「それって私のせい?」

「いや、違うよ」

「じゃあなんで無視してたのよ。アンタの変化は分かりやすいんだからね?」


 無視していたのには理由がある。とても自分勝手な理由だ。

 本当なら、誰にも聞かずに終わらそうとしていたのだけど。

 昨日、春夏冬あきなしさんは言ってくれたんだ。

 彼氏はいないって。


「猫屋敷さん、猫屋敷さんは中学校、春夏冬あきなしさんと一緒だったんだよね?」

「何よ急に、そうだけど?」

春夏冬あきなしさんに、彼氏っていたの?」


 聞くと、猫屋敷さんは一瞬の間を開けた。

 瞳をぱちくりとした後、二度、三度とまばたきをする。


「うーん? それって、春夏冬あきなしから聞いたの?」

「いや、この前春夏冬あきなしさんの家に上がらせて貰って、そこで写真を見た」

「あー、なるほど。ちなみに名前とか書いてあった?」

「書いてあった。イツカって名前が、春夏冬あきなしさんとハートマークで繋がってた」

「OK、分かった。なるほどね、それを見て、有馬は落ち込んでたって訳か」

 

 やっぱり、猫屋敷さんは知ってるんだ。


「さて有馬君、君には選択肢が二つある」


 指をピースにしながら、猫屋敷さんは聞いてきた。


「このまま何も知らずに突き進む道と、春夏冬あきなしの過去を知りつつも突き進む道だ」

「それってどっちを選んでも結末は変わらないんじゃ」

「変わらないよ? 変わったら困るでしょ?」


 変わったら困る? 誰がよ。


「で? どっちを選択する? 本当は人の過去なんざ喋りたくもないのだけれども、聞かなかったら納得の出来ない有馬君は、一体どちらを選択するのかな?」


「僕がどっちを選ぶかなんて、聞かなくても分かるだろ」


「まぁそうね、聞かなくても分かるわよ。でもね、これは人の過去、しかも春夏冬あきなしの過去だからね。私が喋ったって知られたら、今以上に嫌われる可能性もあるのだけれども。致し方ないか、他ならぬ有馬君の頼みだものね。しょうがないか、私は嫌われ役だものね」


 もったいぶった後に、猫屋敷さんは僕との距離をさらに詰めてきた。

 肩と肩がぶつかるぐらいの距離になると、猫屋敷さんは耳元で囁く。


葉樹枝はきえだイツカは、春夏冬あきなしの元カレだよ」

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