30. 兵器と兵器 (1)
「最近のエリシェは物騒だよ。数日に一度はケモノの襲撃が起きてる。酷い時には毎日だ」
「ユノリア族のケモノ? ……さあ、見たことないね。ユノリア族だか何だか知らないけど、エリシェに迷惑はかけないでほしいよ」
“ユノリア族のケモノ”についての手がかりを求め、アユハとリシアはエリシェの町を歩き回っていた。有事には戦闘員として華影ノ盟に協力しているものの、待機の合間はもっぱら人々から話を聞いて回るのが日課となっている。
しかし数日を費やしても、目ぼしい情報は得られない。幸いにも町に着いてからは襲撃も鳴りを潜めており、二人はただエリシェの街路を巡り続ける日々を過ごしていた。
「エリシェの支部に魔術師っているのかなぁ……アユハ知ってる?」
「いや、知らないな。後でマルセル支部長に聞いてみようか」
街路樹が等間隔に並ぶ大通りのベンチに、二人は揃って腰を掛けていた。昼食を終えてから数時間。ひたすら情報収集に勤しんでいたが、さすがに休憩である。リシアは風に揺れる杖の装飾をぼんやりと見上げ、先ほどの人々との会話を思い出していた。
「ユノリアの噂、思ってた以上に町に広がってるみたいだね……」
ユノリア王国を滅亡へと追いやった終末大戦。北の大陸で勃発し、世界を火の海に沈めた史上最悪の戦争。
その火種となったのは、魔術大国ユノリアと、その領内に暮らしていたヴィシュヴェルデ族との覇権争いだった。やがて戦火は大陸全土を巻き込み、魔術に満ちていた時代は、その戦いを最後に終焉を迎える。黒喰病という、最悪の呪いだけを世界に残して。ゆえに今も、“ユノリア族”を忌み嫌う人間は少なくない。
「……あのユノリア族ほどの強い魔術師がケモノに、って考えると無理はないかもしれない。……けど、あまりよくない風潮だ」
「……もう“ユノリアが悪い”、“ユノリア族が原因だ”って騒ぐ人も出てきてるしね」
空を見上げながらリシアが呟いた。眠気を誘う温かな日差しの下、まるで世間話でもするかのように気軽な調子で。
終末大戦により世界は壊れた。それが世界の共通認識で、今さら覆る道理はない。終戦と同時に世界各地に現れたケモノは、大戦による環境汚染の産物だとされている。ゆえに、大戦で猛火を振るったユノリア族――“魔術師”は迫害され、狩られ、淘汰されていった。整然と正義を執行する、
「リシアって北の大陸出身だったよな。北ってケモノの数多いの?」
「うーん……そうだね。ヴィシュヴェルデ帝国に近づくと、やっぱりケモノの数はぐっと増えるよ。帝国周辺は基本的に行かない方が無難かな」
「行ったところで帝国にも入れないしな」
「そ、危ないだけだから」
終末大戦が幕を閉じると、勝利したヴィシュヴェルデ軍は新たに“ヴィシュヴェルデ帝国”を築き上げた。旧ユノリア王国領を吸収する形で領土を拡大した帝国はやがて、黒喰病の拡大とともに自国を巨大な防御壁で囲む。外界から切り離された帝国には、ケモノはもちろん、人間すらも立ち入る余地がない。
「ヴィシュヴェルデ帝国か……昔、一度だけ書簡を送ったことがあったな」
「え……アユハ名義で?」
「まさか。ティエラ様……というか、オリストティア王国としてだよ。まあ……結局送り返されただけだったけど。たぶん関所すら通らなかったんじゃないかな」
「公式の文書ですら受け取ってもらえないんだ……そりゃあ、ただの旅人が中に入れるわけないよね……」
現代において、防壁の内側に収まったヴィシュヴェルデ帝国の実態を知る者はいない。帝国は自らの内情を決して他国に晒さず、また外からの流入も一切許さなかった。終戦から長大な歳月が過ぎ去った今でも、帝国は自国を完全に独立させることで黒喰病の浸食から身を守っている。
――終焉から最も遠い国。世界の破滅を引き起こした一角でありながら、随分と皮肉の効いた異名が付けられたものだ。帝国の話題が出るたび、リシアの胸中に必ず浮かぶ率直な感想だった。
「さて、これからどうする? 私的には、一度華影ノ盟に戻って連盟員と情報交換した方が……アユハ?」
青空を漂う雲を追っていた視線をふと横に戻すと――アユハがベンチから唐突に腰を浮かせる気配。リシアが口を閉じたのは、彼の目が大通りの奥に釘付けになっていたからだ。そのただならぬ様子に、場の空気が一気に引き締まる。
アユハの視線の先には、一人の通行人の姿があった。黒いフードを被った長身の――男、だろうか。影に隠れて顔は見えない。細身の大太刀を携え、人影のない通りをゆっくりと歩いている。
「……リシア」
警戒を滲ませた声でアユハが呼ぶ。リシアは息を呑み立ち上がると、彼の背後に隠れながら歩いてくる人物をじっと見据えた。
男とアユハの視線がかち合う。ぴり、と痛みを伴うような一瞬の沈黙。張り詰めた糸のような緊張が場を支配し――相手の視線が冥姫に止まった。ぴくり、と男の肩がわずかに震える。
「っ、下がって!」
先に得物を引き抜いたのは相手の男だった。リシアの眼前で、冥姫と大剣が激しく衝突する。
光を反射する純白の刀身。――ただの鋼ではない。青みを帯びた輝きが、辺りの空気を凍らせるように光った。
それは、見る者に瞬時にその価値を悟らせる代物。旧ユノリア領の霊峰から採取される特殊な鉱石で鍛えられた古の兵装。
「その剣――“
交わる刃を見た瞬間、アユハとリシアは同時に目を見開いた。白い刀身は、ただ美しいだけではない。それは魔術を絡め取り、縛り、封じる力を宿す――ユノリア族の遺物、“白縛”。
背筋が凍るように戦慄が走った。ユノリアの古兵装は、ユノリア王国の滅亡とともに姿を消し、滅多に外界に出ることはない。そんな武器を手にした男は、いったい何者なのか。
男の動きは冷徹そのもので、アユハの強力な攻撃を受け止めながらも、なおこちらを鋭く観察している。その視線とアユハの視線が交わった瞬間――燃えるような紅い瞳が彼を射抜いた。そこに宿る感情は、明白な“憎悪”。しかしアユハには、そんな目を向けられる覚えはない。彼とは確かに初対面のはずだ。
「待った、話をさせてくれ」
「……
「そんなって……冥姫のことか?」
衝突した二者の力は拮抗していた。全力を込めて冥姫を振り抜けば、相手は後ろに飛んでアユハから距離を取る。力の流し方が巧い。慣れている人間の動きだ。
「……」
後退したはずの相手が、間髪入れず地面を蹴った。大剣とは思えない速度で白い刃が振り下ろされる。その一閃に、空気の裂ける音が混ざった。男の立ち回りを前に、嫌な予感がアユハの胸をよぎる。
白縛は、ただの剣ではない。もとはユノリア族が生み出した兵器だが、その内蔵された魔力回廊の特性を利用し、ヴィシュヴェルデ軍がユノリア族に対抗するための対魔術師特化剣術――“封呪剣術”を編み出す手段として流用したのだ。
白縛とともに魔力回廊を斬れば、待つのは破滅。回廊は断ち切られ、魔術は永久に奪われる――それは、魔術師としての死を意味する。リシアだけでなく、魔力回廊をもって冥姫を操るアユハにとっても、彼の一振りは死神の刃に等しい。
「何が目的だ。俺たちが斬り合う理由はないはずだけど」
「……」
「話にならないな!」
右からの薙ぎ払い。避けた瞬間、すでに左の刺突が迫る。大太刀ならではの広い間合いが、アユハの退路を容赦なく削ぎ落とす。
白い刃は八の字を描いて疾走し、連撃が畳みかけるように襲いかかった。勢いをそのままに、叩きつけるような振り下ろしが続き、わずかな隙すら許さない猛攻。
しかし、その刹那――銀の刀身が閃いた。冥姫の反撃が火花を散らし、無人の町に鋼の咆哮が轟き渡る。
(……一太刀でも喰らったら終わりだな。二度と冥姫を持てなくなる)
魔術回廊を裂き、魔術の行使を不安定にする“裂”。魔術回廊に魔力を無理やり流し込み、相手の回廊を傷つける“絡”。そして、魔力を生み出す魔力器官そのものを破壊し、魔術行使を永久に封じる“絶”。――アユハの知る封呪剣術の技はこの三つしかないが、どれを受けても致命傷に変わりない。男の構えは、常にその技の全てを孕んでいるように見えた。揺らめく炎のような紅い目が、アユハを冷徹に射抜いている。
(紅い目に、冥姫を恨むような言動……コイツ、もしかして……)
右手に携えた冥姫を、空を割る勢いで振り下ろす。衝撃の余韻を残したまま、身体を一回転。振り返りざまにさらなる力を込め、神速の突きを閃かせた。
「……!」
相手は咄嗟に刀身の腹で受け止めたが、その腕ごと押し潰されそうになる。――止まらない。アユハの剣は一瞬も淀まず流れるように切り返され、男の立てた大剣を横薙ぎに弾き飛ばした。
巨刃の切っ先が石畳に叩きつけられ、硬い音を響かせる。その隙を逃さず、アユハは相手の下がった頭部へ――突きの速さは雷鳴に先んじる。
「っ、」
火花が散った。アユハが踏み込む。大太刀の男は、目で追えないはずのその一撃を受け止めた。だが押し返す暇はない。アユハの剣はすでに次の角度へ跳ね、連撃が奔流のように襲いかかる。
一閃ごとに光が走る。その全てが刃の軌跡で囲む檻のように相手を追い詰めた。
「!」
だが、その檻を力ずくで打ち破る巨響。大太刀が横殴りに振るわれ、空気ごと吹き飛ばす。アユハの身体がわずかに揺らぎ、踏み込む足場を奪われた。
次の瞬間、地面が裂けた。重さに任せた一撃が石畳を粉砕し、破片が嵐のように弾け飛ぶ。白縛を振るうたびに風圧が走り、戦場そのものを切り崩す。
――その一閃に、破壊以上の気配が混じった。刃が振り抜かれた軌跡から、ぞわりとした魔力が迸る。
「――“絡”」
――相手の魔術回廊に魔力を流し込み、内側から蝕む封呪剣術。察するや、アユハは背筋を凍らせながら地を蹴った。
「くっ……!」
髪一筋分――遅れていれば魔力回廊ごと焼かれていた。ひやりと背に冷たさが駆けたのも一瞬、残光を裂き飛ばす白縛を横目に、アユハは相手の背後へと飛び込む。
鋭い閃光が男を襲う。反応した大剣が振り返りざまに薙ぎ払われる。しかし、刃先は空を切った。男が捉えたのはアユハの残像だ。
「……」
次の瞬間には、真横から閃き。白縛がようやく受け止めるも、重さで勝るはずの衝撃が逆に押し返される。轟音とともに石畳が再び崩れ落ち、その瓦礫の間をアユハは風のごとく駆け抜け、間髪入れず踏み込んだ。
兵器と兵器の激突。終末大戦では“日常”だった光景に、エリシェの空気が戦慄する。鬼気迫る相手を前に、アユハの剣はなおも研ぎ澄まされていく。リシアは、その気配を肌で感じ取っていた。
刃先が掠め、アユハの黒髪が宙に散った。同時に彼の剣も男の腕を捉えるが、衣を浅く裂くだけに終わる。下段からの振り上げを封じた男が、すぐさま腹を蹴り返した。冥姫を盾にして直撃は避けたものの、衝撃を殺しきれず、アユハの身体が後方へと弾かれる。
「……アユハと互角に……」
幾度も重ねられる攻防の末、ついにアユハの目が変わった。アルステリスでリシアが対峙した時には見せなかった眼光。感情を削ぎ落とし、鋭利な白銀だけが剥き出しになる。空気が凍り付くように冷えたのは冥姫の力か、それとも彼自身の殺気か――。
雰囲気の変化に気づいたのだろう。男が一瞬目を見張り、すぐさま構えを整える。両者同時に地を蹴った、その刹那――エリシェ全土に鐘の音が響き渡った。
「こんな時に……!」
耳を打つのは、言わずと知れたケモノ襲来の合図。張り詰めた殺気が霧散し、男たちの動きが同時に止まった。
アユハは相手を一瞥する。このまま続けるか、一瞬だけ迷いが走った。しかし――エリシェの危機を前に、選ぶべき道は一つしかない。
「……リシア!」
冥姫を収め、迷いなく男に背を向ける。立ち去るアユハたちに、白縛を携える男は追撃を仕掛けてはこなかった。
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