2. アルヴァレスの片隅で
遠い昔。
世界に生命が溢れ、地上に花が咲き乱れていた頃。人は武器も持たずに街道を歩き、小鳥と共に歌いながら栄華を築き上げた。
その名残は、今も至る所に遺されている。
(……『オリストティア王国史』、『月の女神とオリストティア』。さすが王立図書館。いい本揃ってるなぁ……)
魔晶灯で照らされる街道、世界中に手紙を届ける伝令鳩便。廃れる一方の魔力技術を享受する中で、かつて、確かに存在した先人の姿がちらつく。それは、明けない夜と歩むこの世界に、時折ありもしない未来を思い描かせた。
(『月の魔術大全』……おもしろいかな。借りるだけ借りてみようか)
オリストティア王国、王都アルヴァレス。白亜の王城を臨む王立図書館をリシア・ナイトレイは訪れていた。目的はオリストティア王国に関する情報収集。適当に立ち寄った書店で本を購入しても構わなかったが、立派な図書館を見つけたならば足を運ばない理由はない。本の虫である彼女にとって、王立図書館とは他の何よりも魅力的な言葉だった。
オリストティア王国の歴史を学ぼうとすると、そこには必ず“月”の存在が見え隠れする。月の女神が降り立った聖なる地――オリストティア王国にまつわる伝説の数々は、リシアの知識欲を掻き立て、暇を与えない。〈イースレウムの黙示録〉の情報を求めて訪れた王国だったが、来て良かった。オリストティアの情報をくれたあの旅人には、心から感謝しなくては。
辞典のように分厚い本を数冊携え、図書館中央の螺旋階段を上る。視線を上げると、柔らかな灯りが上階から落ちてきた。一面の大理石には、時の流れを彫り込んだような複雑な模様が走っている。まるでそれ自体が、古の神秘を記した“記録”のようだ。
書物の背を押さえながら、彼女は人通りの少ない通路へと進む。足音は厚い絨毯と石の床に吸い込まれ、耳を澄ませばページをめくる微かな音すら聞こえてきそうなほど、辺りは静寂に満ちていた。
四方八方を巨大な本棚が囲む室内を後にして、リシアが向かうべくは王立図書館のテラス席だった。一人掛けのテーブルが三つ並ぶそこは、建物の端に位置するからか、輪をかけて人が少ない。読書に没頭するにはこの上ない場所だ。とにかく早く借りた本を読みたいと、気持ちばかりが逸る。
「コーヒーでも買ってくればよかったかな。まあいっか」
案の定、誰一人として姿のないテラスに到着したリシアが呟いた。王都を見渡せる一番端の席を陣取り、どさりと本を積み上げる。何から読もう。歴史書は時間を取るだろうから、魔術大全からが良いかもしれない。本腰を入れる前にパラパラとページをめくって大全の雰囲気を確かめる。線の細い、絵画のような挿絵が目に留まった。
“月の魔術は、月の女神イリューナの加護がもたらす奇跡である”――女神を象ったらしい抽象的なソレが、リシアに向かって微笑んでいる。
「月の女神イリューナ……ん?」
挿絵の下の説明文を読もうとしたところで、リシアの耳に大きな歓声が届いた。静寂が支配する王立図書館にあるまじき賑わいだ。驚いて周囲を見回すも、辺りにはリシアの他に誰もいない。ならばとテラスの柵から身を乗り出して声の出所を探ると、原因はすぐに見つけられた。
オリストティア王立図書館は、王の居城アルヴァレス城の膝元に位置している。そのためか、図書館の周りには国の重要機関がいくつか顔を揃えていた。そのうちの一つが、テラス席から見渡すことのできる“アルヴァレス騎士団第7支部”である。王都の防衛を担う四角い要塞は、中庭が兵士の訓練場として開放されているようだ。王立図書館に出向くたび、リシアはこのテラス席から読書の休憩代わりに、兵士たちの訓練の様子を眺めている。
普段の訓練場は、夕方になるにつれて人が増していた。しかし、今日はどうだろう。昼休憩が終わったであろう時間にも関わらず、リシアの眼下には大勢の制服を着た兵士たちが集っている。そして、数多の兵が囲む訓練場の中央には、向かい合って握手を交わす二人の剣士の姿が見えた。
(すごい盛り上がり……試合でもしてたのかな)
優れた視力で賑わいの中心を観察する。片方の屈強な男は、周囲の兵士と似たような雰囲気の兵装を纏っていた。少々豪華な装飾を見るに、第7支部の主力か何かなのだろう。
一方で、リシアの目を引いたのはもう一人の青年の方だった。年はリシアと同じくらいに見える。相手の兵士と比べて随分と体の線が細いが、試合の勝者はこの青年らしい。体格からは容易に想像できない結果だが、リシアは納得して頷いた。
「……それも当然か。
リシアの目が青年の腰付近、携えた武器に留まる。陽光を湛え、静かな光を反射する白銀の剣。ここからでは見えないが、刃を納める鞘には美しい銀の彫金が施されていることを知っている。
それは、オリストティア王国の国宝。月の名を冠する“魔剣”の一振り。月が夜を支配するように――その剣が振るわれる時、運命さえも塗り替える。その剣の名を。
「――
半ば無意識に呟くや、リシアは本の山を回収して席を離れた。足早に来た道を戻り、数刻後には再び室内で壁一面の本棚に圧倒される。
探し求めるものはすぐに見つかった。当然だろう。国宝であり、魔剣であり、“希望”の剣。あの剣が世に必要とされる時、世界は変わる。良かれ悪しかれ、いずれにしても、必ず。
リシアは市報書に書かれた、最近の出来事を報じる記事を手に取った。四日前、王都アルヴァレス近郊における騎士団の戦績報告。特に巨大な戦線ではなかったにもかかわらず大きく報じられているのは、その中心で指揮を執った人物の影響だろう。
「アユハ・コールディル……“
もう少し早ければ、彼が剣を振るう姿が見られただろうか。惜しいことをした。いや、王女の護衛官ともなろう人物を一目見られただけでも幸運だったのかもしれない。相手はオリストティアの英雄。この理不尽な時代の最前線で、道を切り拓こうと戦う人。住む世界が違いすぎる。
「すごい人見かけちゃったな。ついてるかも」
記事を片付け、身を翻す。そのまま近くの本棚を見上げ、頭上に手を伸ばした。品の良い紺色の装丁。銀の刺繍がタイトルを囲むように飾っている。夜空に浮かぶ月のようなデザインは、あの剣を彷彿とさせた。
冥姫の輝きが頭から離れない。魅入られたのは、魔剣の性か。それとも、自分の“月”の性か。冥姫にまつわる文献をいくつか選び、再び貸し出し登録を行うために受付へと歩いていく。
一層厚みを増した腕の中の本を眺めながら、リシアは今度こそ読書に耽るために意気揚々とテラス席へ向かうのだった。
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