二 一見の客

「豆皿や小皿なら、この辺りの唐草模様はどうですか? 蛸唐草や花唐草は飽きにくい柄ですし、料理も合わせやすいと思いますよ」

 開店まもなく『かごどう』に入ってきた中年の婦人に、こうすけが商品を次々と薦めた。

「色絵の大皿はこちらです。伊万里焼、三田焼、こちらは万古焼です。どれもお安くお求めいただけるお品ですよ」

 外では蝉が賑やかに鳴いているが、それに負けず劣らず鴻介は客に対して喋っている。

 客の婦人はが初めて見る顔だった。

 鴻介があれこれと婦人の好みを確認しているところを見ると、彼も初めて接客する相手のようだ。

(鴻介さんは、一度でも応対したお客さんの好みは覚えてるって言ってたわね)

 古道具屋『籠目堂』は客がひっきりなしに訪れる店ではないが、常連客と一見客が半々くらいでそれなりに繁盛している店だ。近所の骨董店で窯元の銘が入ったお墨付きの茶碗や皿を見た後だと、『籠目堂』の手ごろな価格の商品に財布の紐が緩むらしい。客は、あれやこれやと目移りした揚げ句にたくさん買ってくれることが多い。

 店の中に並べた木箱にはぎっしりと皿や茶碗といった器や、壺、花瓶などが入っている。この雑多な商品の中から、気に入った物や掘り出し物を見つけるのが客の楽しみなのだそうだ。

 父親が不在の際の接客は、主に鴻介の仕事だ。彼は志麻子よりも客のあしらいに長けている。

(よくまぁ、あんなに途切れることなく弁舌を振るえるものね)

 店の奥の帳場に座った志麻子は、鴻介の売り口上に耳を傾けて感心した。

 彼は説明を求める客には饒舌に商品について語り、じっくりと自分で品定めをしたい客とは距離を置いて静かにしている。押しつけがましいところがないため、客の評判は上々だ。

「古伊万里はあるかしら?」

 鴻介の説明を聞いていたのかいなかったのか、婦人は店内を見回しながらぼそりと尋ねた。

 客は上品な着物を纏っているが、どことなく着慣れていない雰囲気だ。大戦景気で成り上がった商人の奥方といったところかもしれない。女中を連れずに一人でぶらぶらと買い物をしている様子だ。

「いやぁ、古伊万里はちょっと置いてないですねぇ」

 あはははは、と愛想笑いを浮かべながら鴻介が答える。

 彼がちらっと視線を店の奥に座っていた志麻子に向けてきたので、志麻子は小さく首を縦に振った。奥の納戸に置いてある在庫も含め、店の商品のすべてを把握しているのは志麻子だ。

「うちは、骨董品のような高い物は扱ってないんですよ」

 古伊万里だから高い、と言うわけではないが、古い器の古伊万里はおおむね値が張る。近所では古伊万里を扱っている店もあるが、『籠目堂』よりも客単価が高い店だ。

 少々値が張る物であれば質の悪い鼈甲の櫛や銀の簪を店に並べているが、中級武士の奥方が御一新後に家計を助けるため質屋に出した物がほとんどだ。

 稀に古伊万里の器を店に並べることもあるが、他の商品よりも高い値段を付けている。あこぎな商売をしているわけではなく、この界隈の相場に従っているだけだ。それでも、店で扱う古伊万里は商品に傷や罅があるため、金継ぎや溜め継ぎで修復している物が多い。

「古伊万里の茶碗を探しているの。『きゅうこう』という銘が付いているのよ」

 婦人は手にしていた鞄から折り畳んだ紙片を取り出して広げると、鴻介に見せた。彼の「ない」という返事は耳に入っていないのか、一方的に話を続ける。

「志麻子さん」

 鴻介が手招きをしたので、店の端で帳簿を睨んでいた志麻子はすっと座布団から立ち上がり近寄った。

 皺だらけの紙には筆で『古伊万里 九皐』とだけ記されていた。

 紙の黄ばみ具合と墨の色合いから、かなり以前に書かれた字のように見えた。崩し字で書かれており、読みづらい。

(まるで、どこかの家の蔵の目録を破って持ち出したような……)

 紙片の端が手で裂いたように荒かった。

「わたしは聞いたことがない品ですが、古伊万里の茶碗をお探しなんですか?」

 志麻子が尋ねると、婦人は大きく頷く。そして、紙片を二人の目から隠すように鞄に戻した。

「夫がこの『九皐』を欲しがってるの」

 婦人は言い訳をするように捲し立てた。

「近頃なにかと景気がいいでしょう? 夫はこの好景気のおこぼれにあずかることができて、ありがたいことに大儲けできたの。それで、以前から気になっていた『九皐』をいまなら手に入れられるんじゃないかって思って、探し始めたのよ」

「ご主人はその『九皐』をどこかでご覧になったことがあるのですか?」

「さぁ、それは聞いていないからわからないわ」

 志麻子の質問に対して、婦人は曖昧な笑みを浮かべて首を傾げる。

「夫が言うには、『九皐』は古伊万里だけどそう高い物ではないはずだから、いまなら買えるんじゃないかって言って探してるのよ」

 古伊万里でもピンからキリまであるが、最近の好景気で成金が増え、国内の古美術品は相場が上がってきている。陶磁器も同様で、古伊万里と言うだけで高値がつくようになった。本物の古伊万里ならまだしも、古伊万里の偽物や古色を帯びさせて時代を偽る物も多く出回っている。

「この辺りにある骨董屋のどの店で尋ねても、『九皐』なんて古伊万里は聞いたことがないって言われたのよ。でも、この店の店主に聞けば在り処がわかるかもしれないって教えられたから来てみたのよ」

「誰からそのようなことを?」

 眉をひそめて志麻子が尋ねると、婦人は「えんげつさんよ」と答えた。

 『円月屋』はもりみちながの屋号だ。

「円月屋さんがおっしゃる店主というのはわたしの父のことですが、あいにく父は買い付けのために数日前から不在でして、いつ戻って来るかは聞いていないんです」

 志麻子は接客用に笑顔を浮かべて告げながら、心の中では「またか」と叫んだ。

 伊森は厄介事を『籠目堂』に押しつけるのが得意なのだ。

「あら、そうなのね。残念だわ。それなら、また来月にでも来てみるから、店主さんにこの『九皐』について教えて欲しいと伝えておいてくれるかしら」

「承知しました」

 志麻子が頷くと、婦人は「じゃあね」となにも買わずに店を出て行った。どうやら本当に探している古伊万里の所在を尋ねるためだけにやってきたようだ。

 婦人が出て行った途端、急に外の蝉の合唱が騒々しく聞こえるようになった。

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