四十八話 戦いが終わって
一段、また一段と階段を上る。
その動きは客観的に見ても、老人のようだった。
鞘に収められた刀を杖代わりにして、何とか姿勢を維持している。
「はぁー……はぁー……」
姿の見えないスライムを倒した僕は今、ポータルに繋がる階段を上っていた。
足の震えが止まらない。
ポーションは飲んだはずなのに、頭痛が消えてくれない。
それに……最後のスライムの姿がずっと、脳裏にこびり付いていた。
「……っ」
頭を振り払い、邪念を捨てる。
とりあえず今は帰還することだけを考えねば。
傷はなくとも満身創痍な体に鞭を打つ。
すると、真っ暗だった視界が次第に青く染まっていき……。
「っ、はぁぁぁ……」
滑らかな人工物を踏む感触。
ザワザワと耳に入る雑音は、人の存在を確かに認めてくれた。
安堵と達成感に気が緩む。
……あ、やばい。
そのまま僕は力が抜け、倒れこむように床へ。
「……お疲れ様でした、雨夜様」
「あ……メリア、さん?」
「はい。貴方の専属サポート係兼、コミュニケーションアドバイザーのメリアです」
「なんか、よくわからないけど……ありがとうございます……」
包み込まれるようにして、体を支えられる。
伝わる体温と柔らかな感触。
いつもなら心の中でサンバを踊り、陰キャの名に恥じぬキョドッた反応をするところだが。
今はちょっと、疲れすぎてる。
思考する余裕がない。あぁ、でも、戻ったらお話しするんだっけ。
えーと。
「僕……朝はお米派です」
「……」
「ごめんなさい」
無言の圧に負けて、つい謝ってしまった。
ちょっと唐突すぎたか。
会話って難しいなぁ。どうしよう、もう天気の話くらいしかレパートリーないんだけど。
「思考能力、並びに判断能力、反応速度の低下、ストレス過多、不整脈……」
「えと……メリアさん?」
「……雨夜様。貴方は一体、どのような冒険をなさったのですか?」
「へ?」
僕を支えるメリアさんが、極めて真剣な顔つき……って言っても真顔だけど。
そう尋ねる。
どのようなって言われても……。
「いつも通り……生と死をかけて、スライムと戦って……」
「……確認したところ、貴方は今、極度の疲労状態にあります。何か特別なことがあったと、推察いたしますが」
「特別……? あぁ、はい。なんか、透明のスライムがいて、それで……怖かったなぁ」
「……」
スライムと戦い続けて一ヶ月。もはやスライムマスターと言っても過言ではない僕だが。
透明で姿の見えないスライムってのは、流石に予想外だった。
最後の行動も意味不明だし。
本当に分からないことだらけで、嫌になる……。
「大きな外傷などは見られません……しかしこの疲弊は、規定値を大きく上回っています」
「規定値……?」
「通常、人間が立って話せるストレス値ではないということです」
続けてメリアさんは、ただでさえ近い顔をぐっと寄せて。
「教えてください、雨夜様。貴方はなぜ、ここまで傷付いておられるのですか。貴方の身に、何が起こっているのですか」
「それは……」
僕の身に、何が起こっているのか。
どうしてここまで傷付かなくてはいけないのか。
そんなの。
「僕にも、分からないよ……」
「……」
「なんで僕は、こうなってしまったんだろう。ただ、母さんを。母さんを、楽にさせたかっただけなのに……」
「雨夜様……」
頭が重くて仕方がない。
自分が何を考えて、何を話しているのかすら曖昧で。
僕は自分を支えてくれる温かい存在に、弱音を吐きだした。
「頑張っても、頑張っても、全然、強くなれなくて。いつも死ぬかもしれなくて。怖くて、怖くて……」
「……」
「どうして僕は、こんなにも、何もできないんだろう。こんな僕に、生まれた意味なんて、あるのかな……」
「……っ」
その瞬間、顔に温もりが広がった。
視点がいきなり変わって驚いたが……どうやら僕は、頭を抱えられているようだった。
とても温かくて、安心する。
「雨夜様、お話をしましょう」
「へ……?」
「約束をお忘れですか。私と貴方で結んだ、会話練習の約束です」
「あぁ……」
そうだった。僕はそれで、最初、朝食はお米だって。
我ながら馬鹿だなぁ。酷い会話の切り口も、あったものだ。
「ごめんなさい……上手く、話せなくて」
「謝る必要はありません。少しずつ、上達すればよいのです。貴方が私に、教えてくれたように」
「……?」
顔を傾げることはできないから、心の中でハテナマークを浮かべる。
はて。僕は何か、彼女に教えたのだろうか。
「安心してください。雨夜様は、何も恐れる必要などありません。私が……メリアが、ここにいます」
「うん……ありがとう、ございます」
「……さぁ、目を閉じてください。最初のレッスンは、日常会話の練習です」
「はい……」
彼女の言う通り目を閉じて、耳に集中する。
メリアさんの澄んだ声はとても聴きやすくて、安心する声色だった。
まるで川のせせらぎのように。
静かで、安らかで、穏やかだった。
「私の同族……同じ仲間が以前、話していたことなのですが。実は異性と会話することで、将来の収益が……」
「……はい」
それから僕たちは暫く、他愛のない会話を交わした。
会話と言ってもメリアさんが話して、それに僕は相槌を打つという感じだったが。
冒険で疲れていた心が解けていくような。
本当に、素敵な時間だった。
……そして僕は、やがて気付く。
彼女との穏やかな会話を通じて回復してきた脳みそが、僕の理性をビンタして、こう言った。
お前、そろそろ起きろよ。
女性の胸に顔突っ込んでるんだぞ。
嫌だよ、まだこうしてたいよ。別にメリアさんの胸に顔を突っ込んでるからって、そんな……ん?
メリアさんの胸に顔を突っ込んでる?
何してんの、僕??
「つまり統計上、最も会話している異性が結婚相手として相応しく……」
「どぉわっふ! ご、ごご、ごめんなさいメリアさん! 僕は、なんてことを……!」
「……まだ、会話の途中なのですが」
「え、あ、ごめんなさい」
無表情ながらもジトっとした目で睨まれる。
怒るとこ、そこなの?
仕事にストイックすぎるだろ。尊敬の念が止まるところを知らないよ。かっけー。
って言っている場合ではなく。
「いや、でもほんと、ごめんなさい。とんだ失礼をいたしまして」
「構いません。これもまた、『雨コミュ』に必要なことです」
「自己犠牲も厭わないプロフェッショナルか……?」
意識が高すぎて、気のせいか後光が見えるようだ。
頭もめっちゃ痛いし……うん、疲労ですねこれは。でもさっきよりは大分マシになった。
ありがとうございます、大天使メリア様。
「……ん? というか僕、どれくらいこうしてました?」
「経過時間を計算……そうですね。およそ、十五分程度でしょうか」
「へぇ、十五分……十五分?」
「はい」
僕は冷や汗をかき、急いで周りを見渡した。何人かの冒険者が携帯で何事かを話している。
これは……今度こそ終わったか。
「……メリアさん。僕、二階層を踏破したんです」
「……! それは、おめでとうございます。成程、だからそこまで疲弊を……」
「褒めてくれませんか。よくやったと、一言だけでいいんです」
「雨夜様……?」
僕に残された時間は少ない。
通報の時間は分からないが、あと数分もすればお巡りさんが到着するだろう。
ラビリンスでの問題は彼らの管轄だ。近くに特別警察署が設置されてある。
つまり、オワタってこと。
「……ふっ。いえ、忘れてください。最後に話せて幸せでした。さようなら、メリアさん」
「やはり、脳にダメージがあるようですね。ゆっくりとお休みください、雨夜様」
はい、しっかりと休みますね。豚小屋で。
僕は踵を返し、再び別れの言葉を告げるために歩き出す。
十五分にわたり女性に抱き着く……駄目だ、裁判で勝てる気がしない。メリアさんが無実を証言してくれるなら、ワンチャンあるが。
最悪、脅されていると判断されるかもしれないし……。
うん、やっぱり彼女と話をしよう。
これが最後の会話となる可能性があるのだから。
ズキズキ痛む頭を無視して、僕は受付所の一番奥へと進んだ。
そこにいるのは、灰髪の美女。
退廃的な雰囲気を纏う、我らが女神、朽葉さんであった。
「はぁ、はぁ……朽葉さん……」
「おかえり、雨夜君。今回も、随分と無理をしたようだね……」
「貴女と出会えて、僕は、幸せでした……っ」
「うん、少し落ち着こうか」
落ち着く? 僕は落ち着いてますよ。
ダウナーお姉さん、万歳!
「最後に朽葉さんの顔が見れて、よかった……」
「……ふむ」
僕は映画終盤のヒロインみたいな感じで、儚く微笑んだ。
さようなら、朽葉さん。さようなら……。
「雨夜君、ちょっと顔をこっちに」
「……? はい」
既に思考能力が蟻並に低下している僕は、言われるがまま顔を寄せる。
その真意に疑問を持つこともなく。
ぼーっとしていると。
「てい」
「……へ?」
ぽすん。
朽葉さんの綺麗な手が、僕の頭に伸びて、落ちた。
この感触は……チョップ?
え、僕、朽葉さんにチョップされてる?
「ふふ……いつぞやの仕返し、だね」
「……」
そう、蠱惑的に微笑む彼女に、思わず見惚れてしまった。
……はっ、こんなことをしている場合じゃない。
警察が来る前に早く……!
「……あれ?」
「どうかな。これで少しは、落ち着いたかい?」
「えと、あ、はい……」
自分でも驚くほどに、さっきの焦りとか恐怖が消えている。
ズキズキと殴られたような頭痛はあるものの、心は穏やかだ。
なにこれ。ついに朽葉さんが好きすぎて、精神すら従属しちゃったの?
奴隷の鏡かよ。
「あのぉ、僕。えー……と?」
「すまないね、簡単なおまじないをかけさせてもらったよ。どうやら、混乱していたようだから……」
「はぁ、おまじない。それはどうも、ありがとうございます?」
「くふふ。どういたしまして」
うーん、不思議だ。つい数秒前までは警察やべー社会的に死ぬって思ってたけど。
今は朽葉さんの笑顔魅力的すぎだろ、としか思えない。
……まぁいっか! 朽葉さん楽しそうだし! ダウナーお姉さん、サイコー!
あれ、あんま変わってないな……?
「さて。それでは改めて、雨夜君。第二階層の踏破おめでとう。……よく、頑張ったね」
「あ……はいっ。ありがとう、ございます……」
「……?」
彼女の称賛に、心が浮き上がって……ふと脳裏を過ぎた光景が、言葉を濁した。
間違いなく僕は喜んでいいはずなのに。
どうしてか、喜びきれない自分がいた。
最後に戦ったスライムの姿が、焼き付いていた。
「……どうかしたのかい?」
「あ、あぁいえっ。その……あ、戦闘中にですね。刀が折れちゃって。それで……何だかなぁ、と」
「おや、本当だね」
誤魔化すように鞘を掲げて、朽葉さんに見せる。
刀を抜いていないのに折れたと看破するのは、流石と言うしかない。
……そうだ。朽葉さんなら、何か知っているだろうか。
この刀をもう一度、復活させる方法を。
「一応、折れた先も回収してきたんですけど……直すことはできない、でしょうか」
「ふむ……それは、買い直した方が早い、という話ではないんだね?」
「はい」
視線を刀に移して、その全身を見る。
無駄な装飾は一つもなく。ただ斬るという目的のみを持つ、無骨な一振り。
この刀には何度も救われた。
今こうして五体満足で歩けるのは、間違いなくこれのおかげだ。
なんとかしてやりたい。
共に戦った、相棒として。そして何より……。
「朽葉さんから貰った、大切な刀なんです。簡単には諦められないですよ……」
「……」
たとえ支給品に過ぎないとしても。
僕はもう一度、この刀と冒険をしたいのだ。
「なんとかなりませんか、朽葉さん」
「……ふぅ。君は、ほんとに真っ直ぐ言葉を吐くものだから、此方が参ってしまうよ」
「え?」
「いや、なんでもないさ。刀を直したい……だったね。なら、この店を訪ねるといい。きっと、力になってくれるはずだ」
「わっ、とと」
ひらり、と投げられた手紙のようなものを、慌てて掴む。
いつのまに書いたのだろうか。手紙の包紙には、綺麗な文字で『鍛冶屋 岩鉄』と書かれた下にKのスタンプが押されていた。
「えっと、これは……」
「とある鍛冶屋の、そうだね。推薦状と思ってくれていい」
「じゃ、じゃあ直せるってことですかっ?」
「それは、彼が君を気に入るかどうかによるね」
「えぇ……」
僕、初対面の人と仲良くできる自信ないんですけど。
「くふふ。まぁ、心配しなくていいさ……。きっと、君なら大丈夫だよ」
「そうですかねぇ」
「うん……でも、今日はもう帰ったほうがいい。随分と疲れただろう。換金は……どうする?」
「あ、はい。やります。お願いします……」
ポーチから取り出した三つの核を彼女に渡し、立ち尽くす。
複雑な操作と共に、仕舞われていく赤い宝石。
それを見て僕は……ちくりと、胸が痛んだ。
「……今回は、三体しか出なかったのかな? それとも、回収できない状態だったのかい?」
「あ、えと……そうですね。そんな、感じです」
「……そう、分かった。……はい、これが今回の収益だよ。大丈夫かな」
「はい。ありがとうございます」
一律、二万円。
スライムの核はとても高く、魅力的だ。
今更冒険者を辞められるわけがない。
でも、だからって……。
「それじゃあ……今度は、月曜日に、また来ます」
「うん……待っているよ」
自分の私利私欲のために、生き物の命を奪ってお金にする行為は、本当に正しいのだろうか。
朽葉さんに手を振って、装備室に向かう最中。
そんな考えがずっと、頭の片隅で燻っていた。
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