第9話 クリュスランツェ王と王妃
ヒューバートと一緒にお茶を楽み、「また後で」と分かれた。
イルは普段は生成りのふんわりとしたシャツにシンプルなワンピースと下ばきという、アルカーナでは至って一般的な格好をしているのだが、流石に侯爵のパートナーとして隣国の王に謁見するとあってはそのままで……という訳にはいかず、今日の出で立ちは紅の民特有の白地に花の刺繍が刺された民族衣装をアレンジしたドレスにガヴィから贈られた血の剣の耳飾り。他にも何着か、クリュスランツェ行きが決まったらレンがニコニコしながら用意してくれた。
着替え終わったイルを見て、ガヴィが「……なんか落ち着かねぇな」と零す。「どうせ似合いませんよ―だっ」とべえっと舌を出すイルの横で、侍女のリズがしたり顔で「人はあまりに綺麗なものを見たりすると語録を失いがちになりますからねぇ」とにっこりして二人を同時に閉口させた。
クリュスランツェの王城は外観は槍のように背が高くて空を突き刺す様だが、中はどちらかと言えば細かく区切られていて天井は少しアーチを描いている。寒さ対策のためか足元の絨毯はふかふかだ。
「王妃様ってやっぱり陛下みたいな方なのかな」
イルはエヴァンクール国王とアグノーラ王妃を思い浮かべる。アルカーナ王国の国王、エヴァンクールはそれこそ春の木漏れ日のように暖かくて穏やかなお人柄だ。王妃のアグノーラ様もお優しい性格だし、お二人のお子であるシュトラエル王子も然り。国王の気質のせいか国民を見ても比較的アルカーナの国民性は穏やかでのんびりしていると思えた。
クリュスランツェ国王に謁見するため控室で待ちながらガヴィは「さぁ……」と呟く。
「俺が城に来た頃にはもう王妃は嫁いでいていなかったから知らねえぇけど。ゼファーから聞いた話では女傑って言葉がふさわしいって言ってたけどな」
「女傑?」
イメージと全く違う単語が出てきて思わず聞き返す。もっと詳しく話を聞こうと思った所で「準備が整いました」と使いの者が知らせに来て聞けずじまいのままイルはガヴィの後ろをついて部屋を出た。
「アルカーナ王国、ガヴィ・レイ侯爵様、そのご婚約者 紅の一族のイル様参られました」
ゆっくりと重厚な扉が開き、目の前に王座まで繋がる紺碧の絨毯が伸びる。絨毯の脇には、第一王位継承者と思われる精悍な顔つきの王子と、その隣に第三王子のヒューバートがにこやかにこちらを見ている。第二王子は所要のために不在らしい。
そして王座にはまるで大岩のような体躯のクリュスランツェ王。久しぶりに会ったヒューバートも身長が伸びてガヴィに追いつきそうな勢いなのに、クリュスランツェ王はヒューバートの倍はあるのではと思えるくらいの横幅をしている。きっと立ったら百九十は越えるのではないだろうか。顔に走った刀傷と、真一文字に結ばれた口。……これはヒューバートが思ったことを言えない……と言っていたのも頷ける。その気難しそうな表情はイルの父を彷彿とさせてイルはなんだかドギマギとした。
「……遠路遥々我が息子の為に感謝する」
抑揚のない低い声はまるで亡くなった父のようで、懐かしいというよりも言いようのない緊張感をもたらした。
「クリュスランツェ王、そして王妃様におかれましてはご機嫌麗しゅう。この度は第四王子のご誕生、誠におめでとうございます。我が王もこの吉報に大変喜んでおいででした。王子殿下の健やかな成長と、皆々様のご多幸を同盟国の代表としてお祈り申し上げます」
いつもとは違った畏まった物言いだったけれど、ガヴィの声を聞いたらなんだか肩の力が少し抜けた。
国王から目をそらし、チラリと隣に目をやってクリュスランツェの王妃アリフォーレを盗み見る。
アリフォーレ王妃は長く豊かな黒髪を緩く一つに編み、目じりが少し下がっているのはエヴァンクール国王に似ている気がするが、キリリと弧を描いた眉と自信ありげに上がった紅い唇が勝ち気な印象を与えていた。口元のほくろがより艶っぽい。
(思ったより陛下に似ていないな)
どちらかと言えばイルの母、黄昏が人の姿をとった時の印象に似ている。黄昏は人ではないので印象を良くするためににこやかにする……という概念があまりないらしく、アリフォーレ王妃に比べたらもっと彫像のようだが。
そんな事を考えながらチラチラと王妃を見ていたら、ばちりと視線が合ってしまった。しまった、不躾に見すぎて失礼になったかもしれないとイルは慌てて目線をそらしたが、アリフォーレ王妃は何故か笑みを深くしたのだった。
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