第8話 夏の氷国






 悶々とした一夜を過ごし、ガヴィがうつらうつらとしたのは明け方だった様に思う。

 しかし悲しいかな、習慣で日が昇ってきたらいつもの時間に目が開き、隣では相変わらず幸せそうな顔をした自分の相棒がガヴィの腕に巻き付いたまま気持ちよさそうに眠っている。


「……ったく、人の気も知らないでよ」


 悪態をついてみたが最後は小さく苦笑して、仕返しとばかりにイルの鼻をムギュッとつまんだ。イルは顔をしかめると手でガヴィの手を振り払い、緩慢な動きでそのまま自分の目をゴシゴシとやってガヴィの顔に焦点を合わせる。


「んぅ……もぉ、やめてよね。……ガヴィの隣って凄くよく眠れるなぁ」


 おはよう、とそう言ってふにゃりと笑うイルの顔を見て、ガヴィはうぐ、と上がってきた感情を飲み込むと、いつか覚えてろよと心の中で呟いた。

 


 

 朝の支度を終え、部屋の窓から見下ろしたクリュスランツェの朝は素晴らしい景色が広がっていた。

 

 昨夜は到着時すでに暗かったせいであまり解らなかったが、アルカーナ王国の横に広い王城とは違い、クリュスランツェの王城は天を突き刺すように縦に伸びていて、まるで槍を大地に何本も突き立てたようだった。

 高い尖った塔の上からは水路から引いた水がいくつも流れ落ち、朝日を受けて煌めいてる。王城を囲う高い城壁からも水が流れ落ちていて、夏のクリュスランツェの都は水の都と言っても良い。これが冬季には全て凍結し、王都全体がまるで氷に包まれた様になるのだとか。

 夏季でこんなに美しいのであれば冬季はどれだけのものなのだろう。気候が厳しいためにあまり旅客は多くないらしいクリュスランツェだが、イルもガヴィも冬の王都も見てたみたいなと思うくらい優美で美しい都だった。



 朝食はハーブ入りのシンプルなハードパンにハムと数種類のチーズのサラダ。芋と豆をトマトで煮込んだスープ。食後に繊細な網目のアップルパイがついてきてイルだけでなくガヴィのお腹も喜ばせた。

 食後の紅茶は赤の色が濃くて。ミルクを入れると綺麗なマーブル模様を描いてから赤に溶けて、シナモンの効いたアップルパイにとても合った。


「このミルクティすっごく美味しい! レンにもゼファー様にも飲ませたあげたい!!」と大絶賛のイルに、王宮の給仕も顔を綻ばせていた。



「侯爵様、第三王子ヒューバート殿下がご挨拶に伺いたいと来られております」


 ガヴィに近づいてそう告げた使いに、まだ食事中で申し訳ないと伝えたが、「公式の場ではありませんからお気遣いなく」と言われたので了承の意を返した。

 彼は本当にすぐそこまで来ていたようで、程なくしてお茶を飲んでいる二人の部屋の扉が叩かれる。


「朝早くから申し訳ありません。……お元気でしたか?」


 昨日はお出迎えしたかったのですが申し訳ない……と柔和な笑顔で現れたのは、クリュスランツェ第三王子ヒューバートだった。

 二人は慌てて立ち上がって礼を返す。ヒューバートはそれを手で制し「いやいや、やめて下さい。留学先でお世話になった仲じゃないですか。そのままで」と相変わらず気さくな対応で王子も席についた。ヒューバートの前にも二人と同じ紅茶が置かれると王子はニッコリと笑った。


「お二人を我が国にお迎えできて嬉しいです。アルカーナも大変素晴らしい国でしたが、一度国を出ることで自国の素晴らしさも再発見できました。レイ侯爵やイルにも大変良くしていただいて感謝しております」


 ヒューバートとは数ヶ月会っていないだけであったが、アルカーナにいた時よりも大人びてもっと洗練された雰囲気になっていた。


「こちらこそ、入城が遅れた上にこのような歓迎を受け、大変感謝しております。ヒューバート殿下」

「……やめて下さい、レイ侯爵。かたっ苦しいのはナシです。貴方もそういうのは好きじゃないでしょう?」


 そう茶目っ気たっぷりに返すヒューバートの言葉には嫌味がない。

 彼はアルカーナ留学中にイルと懇意になり、イルにほのかな想いを抱いていることは解っていた。ただ、イルとガヴィが恋仲な事も、間に割り込んでくる気もさらさらないようで、ちゃんと友人としての距離を最後まで保っている。本人は能力値が低いと卑下するがそんなことはなく、柔和で裏表のない真っ直ぐな性格はガヴィも嫌いではない。


「ヒューは大人っぽくなったね。背も伸びた?」

「うん。国に帰ってから五センチは伸びたよ」


 そのうちレイ侯爵も越すかもしれないね、と笑うヒューバートに、イルはいいなぁ! 私も背が伸びないかなぁと何故か対抗意識を燃やしていた。


「冬だとご案内できる所が少ないのですが、夏のクリュスランツェは実は見る所が沢山あるんですよ。父や母との謁見が終わったら是非色々なところをご案内させて下さい」


 ヒューバートの言葉にワクワクとイルが目を輝かせる。


「それに、兄もレイ侯爵に会えるのを楽しみにしていまして」

「――兄?」


 訝しげにガヴィが聞き返す。


「はい。私と一番仲の良い二番目の兄なのですが、今現在国の国防を担っておりまして。赤い闘神と称されるレイ侯爵に興味津々なのです」


 歳もレイ侯爵と確か同じなはずです、と言われてイルは「へー!」と興味深そうに相槌を打ち、ガヴィは内心めんどくせぇ、と思いながらも顔には出さずに適当に頷いた。



 





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