弟子の私と問題師
朝羽岬
弟子の私と問題師(前編)
(まだ、起きてこないな)
木苺を煮詰めながら、コウは首を傾げた。
師の寝室は、昨夜からずっと静かなままだ。夜中に実験をしていたわけでも、作業をしていたわけでもないだろう。それなのに、昼近くまで寝ているとは珍しい。本でも読んでいたのだろうか。
(また、妙なことになっていなければいいけど)
住み込みの弟子として、コウがこの家にやって来てから、もうすぐ一年になる。その間に、厄介ごとに何度巻き込まれただろう。
師が、全身緑色になったのは、弟子になって十日後のことだっただろうか。あの時は、すぐさま医者に連れて行って、医者に言われた解毒薬の材料を一人でかき集めた。
その一か月後には、家の中にアリを大繁殖させた。今でも、コウは時おり夢に見て、全身をアリがはう恐怖でうなされる。
更に、それから二週間後。師が口を開くと、語尾に『よん』と付くようになった。実害こそ無かったが、治るまでの間、師が話すと妙にイラついた。
コウは巻き込まれた厄介ごとを思い出しながら、指折り数える。片手では足りないことに驚いて、手を小刻みに震わせた。
(ウソでしょ? こんな感じで、私あと二年ちょっともつ? 神様は、どうして私を師匠のところに向かわせたんだろう?)
師の弟子になったのは、コウ自らが志願したわけではなかった。
世界のすべての魔法使い見習いは、学校を卒業後、経験豊富な魔法使いに三年間師事する決まりとなっている。師から学校では習わない応用魔法を習い、実践し、経験を積んで師に認められることで見習いを卒業し、晴れて魔法使いとして仕事に就くことができるのだ。
ただし、見習いの師を選ぶのは本人ではなく、神様だ。教会にある水鏡に映し出された魔法使いが、師となる。選ばれた師の元で三年間、住み込みの弟子として腕を磨くのだ。
まじめで成績優秀だったコウは、周囲から将来を有望視され、さぞ立派な魔法使いの弟子になるだろうと期待されていた。水鏡に映し出された結果は、若くて魔力も高いと評判の魔法使いだった。顔が良いため、特に女子からの人気が高い。同級生たちから、うらやましがられたのだが。
(そういえば、あの時立ち会った先生たちは、みんな微妙な顔をしていたんだよね。今なら、まあ、わかるな)
顔が良く、魔道具も一人で作れてしまうほど優秀な魔法使いではあるが、とにかく厄介ごとの発生率が高すぎる。
普通は、弟子の失敗を師が補助し、立派な魔法使いへと育て上げるものだ。それがなぜか、師の失敗を弟子が補助している。
(これって、おかしくない? おかしいよね? やっぱり一度、地元に帰って師の選定をやり直してもらった方が……いやいや、いけない。後ろ向きになっちゃ)
コウはぶんぶんと首を横に振ると、目の前の木苺に集中し直すことにした。
ぐつぐつと音を立てる木苺は、果肉がほどよく残っている。木苺特有の酸味と甘みが合わさった香りが、鼻をくすぐる。花の蜜を入れたことで、照りも出ている。
味見のため木
「うん、おいしい」
顔をほころばせていると、外から窓を叩く音がした。火を消して窓を見てみると、白い影が映っている。
「コウちゃん、開けてくれる?」
(スイさんの声だ)
コウが窓を開けてやると、するりとスイが室内に入ってくる。一度体を震わせると、机の上に軽々と飛び乗った。
「大変なことになったの」
スイから、この言葉を聞くのは、何度目になるだろう。コウの眉が寄った。
「またですか」
スイは耳をわずかに下げて、申し訳なさそうな顔をした。コウは、猫もいろいろと表情を変えられるのだということを、弟子入りしてから知った。
「悪いけど、コウちゃんに協力してほしいの。とりあえず、彼の寝室に来てくれる?」
「わかりました」
コウが了承すると、スイは机の上から降りて歩きだした。しっぽを上げて歩く彼女の後ろを、コウは付いていく。
スイは、師の寝室の戸の脇に座ると、コウを振り仰いだ。
「私には、重くて開けることができないの」
「それで、外から呼びに来たんですね」
納得すると、コウは取っ手を掴んだ。そのまま息を吸って、吐く。
師の使い魔に助けを求められたとはいえ、成人男性の寝室に入るのは少しばかり抵抗があるのだ。もっとも、これが初めてではないのだが。
「緊急事態みたいですからね。いいですか? 開けますよ?」
中にいるだろう住人に断りを入れてから、戸を押し開く。寝室は暗く、静まり返っていた。窓辺に掛けられた布だけが、ふわりふわりと揺れている。外に出るためにスイが開けた窓から、風が入っているのだろう。
「師匠?」
戸は開いたままにして、コウは室内へと入った。本だの枝だの瓶だのが散乱した、お世辞にも綺麗とは言えない部屋だ。
寝台に近づいて、眠る男を見下ろす。毛布をしっかりと被り、うなされてもいない。綺麗な顔が、歪んでもいない。熱があるだとか、吐き気をもよおしているだとか、一般的な症状は出ていないようだ。
しかし、何かがおかしい、とコウの頭の奥が騒いでいる。
コウは眉を寄せて、手のひらを師の口元に近づけた。とりあえず、息はしているようだが。
「中身が出掛けたまま、まだ帰ってきていないのよね」
スイの言葉に、コウは「はあっ?」と声を上げた。
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