帰る場所
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帰る場所
僕には、中学高校と仲良くしていた親友と呼べる奴がいる。
だけど拓也は大学進学を機に上京して、僕は地元に残ることになった。
本当は、僕も上京する予定だった。でも、できなくなったんだ。
大学入試の日、母さんが倒れたという連絡が入試を終えた僕のスマホに入っていた。色々検査して、ガンだって分かったのはその数日後の話。
頭の中に転移していた。僕は知らなかったんだけど、頭の中に転移しちゃうと抗がん剤ってもう意味がないんだってね。余命は三ヶ月だって言われた。
うちは母子家庭で、母さんが働いて成り立ってた家だった。決して裕福ではなかったけど、生活保護を受けるほど貧しくもない、慎ましやかな二人きりの家族だったんだ。
母さんは自分は元気だからって、ガン保険にも入院保険にも入ってなかった。
頭にできた腫瘍のせいで酷い目眩に襲われて立てなくなっちゃった母さんは、泣きながら言った。「お願い、母さんを見捨てて」と。
だけどさ、そんなことできる訳がないじゃん。
入試の結果は、合格だった。まだ入学金と授業料を払う前でよかったと、不幸中の幸いだと思った。思った後で、幸いなんてどこにもねーじゃんって思って、ちょっと自分が嫌になった。
僕は母さんに「合格したよ」と笑顔で伝えた。嘘ではないし。
僕はさっさと大学進学を諦めると、高校の担任に相談して就職先を見つけてもらった。
今更保険には加入できなかったから、僕の肩には母さんの入院代がどんどん乗ってきた。薬は保険が効くから助かったけど、本当こいつら容赦なく請求してくるよなって精算の度に恨めしく思った。
母さんが俺の大学進学の為にと長年貯めてくれていたなけなしの貯金は、母さんの入院代にほぼ消えた。
拓也は、そんな僕の隣にいてくれた。
「
だけど大学の入学式を間近に控えていたのを分かっていた僕は、「もういいよ、ありがと」って言って拓也にさよならを告げた。
拓也は「ゴールデンウィークには絶対帰るから!」と言って、名残惜しそうに上京していった。
僕はそれでいいと思った。拓也から毎日メッセージが届いたけど、素っ気ない返事だけするようにしていた。
何も変わらないよ、だからそんなに心配しないでそっちの生活を楽しめよっていうつもりでさ。本当にそう思ってたんだよ。
桜が散ってすっかり葉桜に変わった頃、母さんが息を引き取った。余命宣告ぴったりの、発覚から三ヶ月後だった。
結局母さんは、倒れてから一度も家に帰ってこないまま、この世を去ってしまった。
僕はもう誰にも「おかえり」が言えなくなったと思った瞬間、喪失感に襲われた。だけどやらないといけないことは山積みだ。
僕は就職を先延ばしにさせてもらっていた。母の容態がいつ変わるか分からないからと言ったら、事情を知る就職先の社長さんが了承してくれていたので助かっていた。今はそんな場合じゃなかったから。
人をひとり送るのって、大変なんだ。色んな手続きがあって、口座は凍結されちゃうし、お葬式だってあるし納骨だってあるし。
病院と市の職員さんが親身になってあれこれ教えてくれて、何とかこなした。
こなした後、僕は抜け殻になった。
◇
ブー、ブー、とスマホが鳴っている。
布団に寝転びながら枕元にあるスマホの画面をちらりと見ると、『拓也』と表示されていた。
「あー……そういえば、暫く返事してないや」
今日は一体何月の何日だろう。全部終わったと思った瞬間にやる気がゴソッと抜け落ちてしまって、本当だったら「母は死にましたので」って言って働きに行かないといけなかったのに、それもしてない。
幸い、お金は残った。大分古いけど、家が持ち家で家賃の出費がなかったのが大きかったと思う。昔むかーし、父さんだった人が母さんを捨てる時に慰謝料として置いてったものだ。
それと腹が立つことに、父さんだった人が養育費で毎月振り込んでいたお金が、母さんが死んだ後に出てきた。毎月十万、僕が生まれた後からずっと、今まで。
母さんは、一切手をつけてなかった。つまり金額にすると四百万ちょいあったんだよ。
それ、早く言えよって思った。
だけど、朦朧として途中から殆ど会話もできなくなっていた母さんにそれを言っても酷なことも分かってた。
もうなんか一気にどうでもよくなって、僕は布団を被る怠惰な日々を送っていた。
スマホが鳴り止む。諦めたらしい。
僕はまた瞼を閉じた。
食事をするのも億劫になっていて、トイレに行く時に水を飲むくらいしかこの数日してなかった。そのせいか立ち上がるのも面倒になってきて、ただ転がっている。シーツが汗臭い。頭も痒いからシャワーを浴びたいけど、気力が起きない。
次に起きたらシャワーを浴びよう。そんな風に考えて布団を頭まで被った。
すると、ピンポーンという音が響いてくる。無視することにした。
何度か鳴ったけど、諦めたのかその内鳴らなくなる。
誰だったんだろう。セールスの人かな。ちょっと前もしつこかった。お宅の屋根瓦落ちてますよって言ってきたやけに笑顔がでかいお兄さん。これは詐欺だと思って「どうでもいい」って答えたのに、暫く玄関先に居座られて困ったから警察を呼んだら、次から来なくなった。
それからしばらくして裏庭のゴミ箱にゴミを捨てに行ったら、瓦が一枚落ちて割れてた。「あー」っていう声だけが出て、心の中でお兄さんに「ごめんね」って謝った。ただの親切な人だったのかもしれない。
目標を見失ってしまった僕は、完全に生きる気力を失ってしまっていた。
本当はさ、上京して大学に入ったら何のサークルに入るか悩んだり、華やかな街でバイトしちゃったり、あっちなら彼氏候補も見つけられるんじゃないかって期待してたんだ。そうしたら拓也のことを忘れられて、親友に戻れるんじゃないかって思ってたから。
そう、僕はずっと拓也のことが好きだった。だけど俺たちは男同士だし、あいつにそんな気がないのは分かってた。だからこっちの気持ちなんかなんにも気付かないで肩を組んだりしてくる拓也のことを、早く諦めたかった。
こっちじゃさ、中途半端に田舎で周りの人間の名前も顔も一致しちゃう感じだから、男同士なんてまあ無理だし。
母さんは、俺が男しか好きになれないって分かってくれた、唯一の理解者だった。「初彼氏はやっぱりイケメンがいいな」って笑ってたんだよ、ちょっと前までは。
だけど、僕の理解者はこの世から消えてしまった。彼氏を作る計画も、頓挫してしまった。
なのに、連日鳴るスマホ。
僕は完全に追い詰められていた。
だから緩やかに朽ちるのもいいんじゃね? って思ったんだよね。
……でもさ、最後に拓也に会いたかったなあなんて、未練がましく思ってたりして。連絡を全無視しといて何言ってんだって感じなんだけど、何ていうか今生の見納めに推しの姿を遠くから見てみたいって心境に近いかもしれない。
そんなことをぼんやりと思いながらウトウトしていると。
「――
あれ、拓也の声が聞こえる。とうとう幻聴まで聞こえるようになったか。母さんも最後の方はそこにいない誰かに「うるさい」ってずっと怒ってたもんな。
てっきり幻聴だと思って反応せずにいたら、頭まで被っていた布団が乱暴にめくられたじゃないか。
「凜人! お前……っ、何でこんな痩せちまってるんだよっ!」
「え……幻聴でか……」
「幻聴じゃないから!」
俺の肩を揺さぶってきたのは、何故か泣きそうな顔になっている拓也だった。
「幻覚が見える……」
「俺実在してるから! ちょっとお前マジでさ、顔色ヤバいって! 連絡取れないと思って前倒しで帰ってみたら、おばさんの位牌があるし、何がどうなってんだよ!」
いきなり捲し立てられても、僕も今の状況が掴めていない。
眉間に皺を寄せる。
「……玄関の鍵は」
「開いてたよ! 不用心過ぎるって!」
「まあ僕がいるし……」
「いても駄目だろ!」
「何で僕、不法侵入してきた奴に怒られてるの?」
「ふほ……」
拓也が絶句した。
「布団……」
布団をもう一度被ろうと手を伸ばすと、手首を馬鹿力で掴まれてしまった。
「布団、じゃねーよ! お前が心配で心配で来たのに寝ようとすんじゃねえ! てゆーか最後に飯食ったのいつだ!? 台所がカラッカラに渇いてるし、ゴミ箱の中身も空っぽだったんだけど!?」
「……なんで人んちのゴミ漁ってんの」
素朴な疑問を口にした直後。
拓也の顔がみるみる真っ赤になっていく。小刻みに震えてるし、どうしたんだ。
「……あの、トイレ我慢してるなら」
「してねえよ! このバカチンがッ!」
激怒した拓也は、そのまま僕の腕を掴んで引っ張り起こすと、ガバッと抱きついて耳元で怒鳴った。
「ずっと『もうすぐ帰るから返事して』って連絡しても既読つかねえし! 電話しても出ねえし! 高校の奴らに聞いても知らねえって言うし!」
知ってる。スマホの通知には、『メッセージ+99件』っていうのと『着信+99件』って出てるのは知ってた。どんだけって思って、ちょっと嬉しかったし。
「ゴールデンウィーク前で飛行機全然取れなくて、こんちくしょーって思いながら新幹線で飛んできたんだぞ!」
「飛ぶのは飛行機だろ」
「うるせえこの屁理屈野郎!」
随分な言い方だと思う。
……あーもう、だから嫌だったんだよ。拓也はやたらと距離が近いし、僕のことを大事そうに扱うから、こんなの好きになるなって方が無理なんだって。
諦めようとしてんのに、グイグイくんなよ。本当やだ。
僕は、もう頭がぼーっとして判断力が相当鈍ってたんだと思う。
とにかくこいつを家から追い出さないとってことで頭がいっぱいで、だったら気持ち悪いって思わせたらもう寄ってこないんじゃねーかって思っちゃったんだよ。
「拓也、離せよ」
「嫌だ! あーもう駅から直行してマジでよかった、もう怖がらせんなよ! 心臓止まるかと思ったんだからな!」
声がうるさい。
「……離せって。僕さ、拓也のこと好きなんだもん。自分のこと好きな男は気持ち悪いだろ?」
「……へ?」
拓也の肩をトンと押すと、今度は離れた。猫を追い払うような仕草でシッシッとやる。そのまま布団に手を伸ばした。
「分かったら出て行け。布団返せ。じゃあな――」
すると、またもやガッと手が伸びてきて手首を掴まれてしまう。ええ、またこの流れ……?
拓也が赤くなったり青くなったりしながら、さっきよりも大きくブルブル震えていた。やっぱりトイレを我慢してるんじゃないかこれ。
「拓也、トイレなら――」
「トイレじゃねえッ! て俺を追い出す為に簡単に告ってんじゃねーよ!」
「いや、嘘じゃないよ?」
「えっ、まじ!? ――って問題はそこじゃねえ! お前俺が気持ち悪がると思ってんのか!? こちとらお前に片想い歴六年の拗らせ野郎だぞ!」
僕の顔に、拓也の唾が飛んできた。
「唾飛んだ」
「あ、わりい。――じゃねえって! お前真剣に受け止めろよな! 人が決死の思いで告白してるってゆーのによ!」
拓也が肩で息をしている。滅茶苦茶睨まれてるんだけど。
「……売り言葉に買い言葉ってやつ?」
「ちげえ! あーもう鈍チン! お前ずっと鈍チン!」
「さり気なく僕を貶すなよ」
「ごめん貶してないです好き! ずっと好きなのこれマジで本当だから!」
拓也がガッと僕の両肩を掴んだ。血走った目で顔を近付けてくる。ちょっと怖い。
「……なあ凜人、俺のこと好きってマジ?」
「そうだけど」
「お前いっつも淡々としててわっかんねえんだよ!」
「そんなこと言われてもなあ」
「ああああっ! マイペース!」
拓也は僕を掴んだまま器用に地団駄を踏むと、唐突に真顔になり――唇を重ねてきた。数秒して、離れていく。
「え」
「きょとん顔可愛いけど腹立つ! クソッいっぱいいっぱいなの俺だけかよ!」
拓也は「ああああっ!」と唸った後、今度は顔をもっと斜めにして、再び唇を重ねてきた。僕がポカンとしていると、ぬるりと舌が入り込み、僕の舌に絡め始める。
ただでさえボーッとしているのに突然の状況に思考停止していたら、やがて拓也が怒ったような顔をしながら顔を離した。
「……好きなんだよ。勝手に死のうとすんな馬鹿」
「……ごめん」
素直に謝罪の言葉が口を突いて出る。次の瞬間、拓也が思い切り顔を顰めた。
「てゆーか凜人、口クッセエ! いつから歯磨きしてねーんだよ! て髪の毛もフケだらけじゃねーか!」
「拓也って普通に失礼だよな」
口臭いは思っても言っちゃダメなやつだろ。
拓也が喚く。
「人として風呂は入れ! 風呂キャンダメ、絶対! 今すぐ風呂はいっぞ!」
「……面倒臭い」
「……ああああっ! 俺が洗ってやるから! 入れ!」
拓也はそう言うと、僕の身体は汗臭い筈なのに、なぜかギュウウ、ときつく抱き締めたのだった。
◇
それから。
拓也は「凜人はひとりにさせちゃダメだ」と言って、拓也の両親を説得した。そして何と、僕を連れて東京に戻ることが決定する。何でも、拓也が僕にベタ惚れしていて拗らせてるのは、拓也の家族の中では以前から知られた事実だったらしい。
僕の家は、拓也のお母さんが「時折換気しとくわねー」と言ってくれたので、有り難くお言葉に甘えることにした。
僕は大学は行かない代わりに、家事担当になっている。母子家庭だったこともあって、料理も掃除も洗濯も割と得意なんだよね。
拓也は大学に行く為に家を出る時、必ず何時に帰るからと言ってくれるようになった。
「だから必ずおかえりって出迎えてな? な? メッセージも無視するなよ? な?」
「寝てなかったらね」
「くっそ、でも昨夜も夜更かしさせたのは俺だし……くうっ」
拓也はいつだって、僕のいる場所に帰ってきてくれる。
だから嬉しくなって、
「……寄り道しないで早く帰ってこいよ。今夜はお前の好きなハンバーグだからな」
と伝えると。
「……ッ! 寄り道、しない!」
そう言って、拓也は僕をギュウウ、と遅刻ギリギリになるまで抱き締め続けたのだった。
帰る場所 ミドリ/緑虫@コミュ障騎士発売中 @M_I_D_O_R_I
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