01. 錆犬王と勇者姫

 どさり。と、大きな音を立てて、洞窟に足を踏み入れたはずの少女エヌナは落とし穴へと見事にはまる。

 穴に嵌ったエヌナの純白の長い髪に、錆色の泥がぱらぱらと降ってきたのを目にしたエヌナは、蒼穹の宝玉の如き瞳を半眼にさせて盛大なため息を吐き出した。


 この落とし穴も、いつものやつだ。


 あのが創り出した〈錆〉によって地面が腐食し、できた穴。この落とし穴に落ちるのは、もう何度目かもわからない。


 そんなことを内心でぶつぶつとぼやいて、エヌナは落とし穴をよじ登る。すると、洞窟の奥からケラケラと笑い声が響いてきた。


「だはははは! ああ、今日も今日とて気持ちいい落ちっぷりだな? 。ほんと、面白いくらいに綺麗に落ちてくれるから、落とし穴作りが止められないぜ。もうやみつきだ」


 洞窟の奥で胡坐をかいて座るのはエヌナより二回り以上は大きな背丈をした、人型の異形のような者だった。

 狼の鋭い顔に、狐の大きな耳と二股尻尾と、黒と赤毛が混じり合った〈錆色〉のふかふかな体毛。そして獣と同じ琥珀色の眼差しをしているが、身に纏った古代の装束から出るその手足はすらっと伸びていて、精悍な人間の男のような引き締まった身体をしていた。……もふもふのくせに、だ。

 しかし、怪物は左腕が無い。

 奴には、あらゆるものを錆び付かせる、またはエヌナを嵌める落とし穴を作り出す呪いの「錆の右腕」しかない。


「犬みたいな鳴き声、出さないでくれる? 錆犬さびいぬ


 エヌナは低い声を絞り出して、その狼のような、狐のような怪物——「錆犬王さびいぬおう」を睨むと、落とし穴から抜け出す。

 錆犬王は、額に青筋を浮かべるエヌナの様子など気にした風の欠片も無く、たくさんの耳飾りで彩られた狐耳を大きく揺らして、シャランと音を立てて見せた。


「キャンキャンうるさいのは君の方だろ? ここに来る度、欠かさず落とし穴に落ちてくれる可哀想な子犬。ほら、泣きべそかいてさっさと帰りたまえよ。子犬」


 錆犬王は微かに鋭い牙を見せてにやにやと笑った。


「子犬じゃない! わたしはゴヴァノン王が末子、エヌナ・リベンティーナ! 命鉱神めいこうしんヲルカヌスの神託を受けて生まれた、この地のだ!」


 エヌナはまた何度目かもわからない名乗りを上げ、錆犬王へと人差し指を突きつけると、噛みつくように声を張る。


「錆犬。あなたの〈呪い〉のせいで未だ〈命鉱めいこうの大山脈〉に入ることができない。何度でも言う。早く呪いを解いて」


 人間に火を授け、鍛冶の技術を授け、豊富な鉱物資源を授けた英雄神ヲルカヌス。その神のだとされる〈命鉱の大山脈〉がここ十年近く、大規模な土砂崩れ等の災害多発によって一切の人間が入山できない事態が続いていた。


 そのせいで、この〈ゴヴニュ四国盆地しこくぼんち〉に点在する四つの国々の全てが新たな武器を造ることができず、百年続く「四国大戦」と呼ばれるこの大地の覇権を争う戦争が長引き、泥沼化しているのだ。

 今の四国に残されているのは、一月ひとつきに一度だけ武器が生み出される、ヲルカヌス神より賜った神器のみ。これだけでは武器が足りず、戦争を終わらせられない。


 エヌナの母国にいる、ヲルカヌス神の神託を聴く大司祭によると、それらはヲルカヌス神を憎む錆犬王が撒き散らす〈呪い〉が全ての原因らしい。

 そのため、エヌナは勇者として錆犬王に呪いを解くよう仕向けるため、この禁足地の洞窟に一月ひとつき以上通い詰めていたのだった。


 呪いは術者を殺してしまえば永遠に解けることはないとされる。ゆえに呪いを解くよう、この怪物相手に仕向けるしかないのだ。


 未だに、にやにやと胡散臭い笑みを浮かべたままの錆犬王に痺れを切らし、エヌナは眉を顰めながら滅多に口にしない悪態を吐く。


「本当にあなたは、ずる賢くて狡猾だね……狐と狼の怪物だから?」

「お褒めに預かり光栄。ちなみに私は狐と狼の混血ハーフだぜ? 見てみろ、この逞しくて美しいカラダ。これのどこが怪物だよ。狐の可愛~いとこやら狼の凛々しさやら、良いとこ取りで最高だろ? それに、私の本当の姿は大山脈よりも大きく立派で……」

「うるさい! そんなことどうでもいい。わたしは命鉱の大山脈にかけられた呪いを、一刻も早く解かなければならないんだ! だから、とにかく呪いについて何か話して。錆犬」


 エヌナの言葉に錆犬は呆れたように半眼になって、くるりとそっぽを向いた。


「だーから、呪いだ何だの。そんなもの私は知らないんだって。入山できないのなら、その神自身に何か思うところでもあるんじゃないか? 『それ以上血濡れの武器を造るのなら、鉱物資源はもうあまりあげたくない』とか。直接聞いてみろよ、勇者姫ゆうしゃひめさん。命鉱神ヲルカヌス様に」


 それっきり、その日は錆犬が口を利くことはなかった。

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