白水家の災い

 いつものように朝陽で都がほんのり明るくなったところで寿院じゅいんと、隆鷗たかおうは家を出た。

 家を出る時、散々黒司こくししゅうにごねられ、すっかり時間を食ってしまった。

 しゅうは矢継ぎ早に、置いていかれる不満をぶち撒け、屁理屈を並べ立て、連れて行きたくなる言葉を必死になって導き出すことに、失敗した。しかし、それを認めない姿はなかなか悪党だった。

 寿院はたいそう呆れていた。

 「あいつがわたしの家にいるのは、呪符を貼ったやつを捕まえるためだよな。それで、なんで一日中家を空けられるんだ?」と、寿院が言う。

 だが、隆鷗は相変わらず黙っている。

 「あぁ、やっぱり…答えてくれないか。昨夜は、答えてくれたのに、三国志。わたしは三国志が好きになりそうだ」と、寿院がしょぼくれる。

 「あっ?すみません」と、隆鷗は言う。「考えてました」

 「何を考えていたんだ?」と、寿院が尋ねたが、やはり隆鷗は黙っている。

 本当にものを言わない少年だ。と、寿院はいささか困惑した。隆鷗を見ると、心ここにあらずと言ったところだろうか、思考のなかに閉じこもったような顔だ。

 大通りを歩く二人の足は早い。考えごとをしている隆鷗は、町の光景を何も捉えているふうではないが、しっかり寿院について来る。


 「あの呪符は…」時折、隆鷗の心の声が漏れる。

 寿院は、隆鷗の声を逃さないように耳をそばだてた。

 「恐ろしい…ひとが作る…どうやって…呪いを…あの呪い、似ている。猿真似…?紙に封印して、解き…放つ…ブワッと…うーん無理がある」と、隆鷗は呟いていた。

 「似ている?猿真似、紙に封印して、解き放つ…ブワッと…?」寿院は、隆鷗の言葉の跡を追い、囁くように一応尋ねた。しかし、隆鷗はまだ思考のなかにいる。

 「呪い…似ている。つまり隆鷗君は以前、あのような呪いを見ているのか?」と、寿院は、隆鷗の傷だらけの身体を思い出した。「もしかして闘った…のか?だからこそ本当の恐ろしさを知っている?猿真似、紙に封印して、解き放つ…は?ブワッと???闘ったのはひとか?ひと?呪力を持って生まれてきたとか…?呪力を封印して、解き放つ?ブワッと???隆鷗君、分からないよ…喋ってくれぇ…ないよな」と、いつの間にか寿院もぶつぶつ呟いていると、道順を間違えていることに気づき、目的地まで随分時が掛かってしまった。


 白水しろうず家の屋敷を目の前にした時、隆鷗は、もう思考から離れていた。しかし、その代わりにまたあの目をしている。また…、何もない場所をしきりに見ている。


 いったい隆鷗君には何が見えているのだ?と、寿院は隆鷗から目が離せない。


 しかし、白水家に着いてしまった。手鞠てまりが斬り殺された場所だ。目的地に行く前に確認しておきたいことがあったので、立ち寄ったのだ。何も話さないわけにもいかないと思い、寿院は喋り始めた。

 「隆鷗君、もしかして聞こえていないかも知れないが、勝手に話すから…」隆鷗が何を見ているのか話してくれれば寿院もこんなに苦労をしない。しかし、話してくれたところで、それを理解する自信もなかった。

 しかし、隆鷗がぽつりと話した。

 「ここで大勢のひとが斬り合いをしましたか?」

 寿院は驚いた。

 「どうして、そう思うのだ?」

 ああ、またまどろっこしい質問をしてしまった。と、後悔した寿院だが、意外にも隆鷗はすんなり答えてくれた。

 「他の屋敷には見えないのですが、あの屋敷だけ黒いもやに包まれています。そして、門戸から、突然、ひとの形をした黒いすすの塊が大勢出てきて、斬り合いをするのです。すぐに風に吹かれるように消えていく。そして、また再び同じことを繰り返す。それが延々繰り返されているのです」

 「そういうのが見えていたのか?」

 隆鷗は、寿院を見て、すごく安心した顔をした。少しでも寿院が疑ったら、隆鷗はもう二度と口を開かなかったに違いない。


 「隆鷗君の言うとおり、ここで斬り合いがあった。大勢の者が斬り合いで亡くなったと聞いている。友がそれに巻き込まれてしまった。わたしが悪いのだ。あるひとを見張ってくれとわたしが頼んだばっかりに、あの子は死んでしまった。ずっと後悔しているんだ」と、寿院が言う。

 隆鷗は黙って聞いていた。

 「ひとりの女子おなごを見張らせたんだ。それが『呪い屋』だ。ここで大立ち回りがあったと聞いて、『呪い屋』も終わったと思っていたが、女子おなごは逃げたと聞いて、がっかりしたのだ。だが、この屋敷の者は救われたと思っていた」

 寿院は落胆していた。何度かここを訪れたが、門には未だに検非違使なのか警護が六人もついていた。

 「わたしは本当に馬鹿だった。『呪い屋』は、もうこの屋敷を去ったと短絡的に考えていた。まだ終わっていなかったんだよな」

 寿院の言葉に隆鷗は、少しばかり考えていたが、頷いた。

 「全てわたしの傲慢さから起こったことだ」と、そう言うと、寿院は、通りから白水家の屋敷の方へ歩いてくる二人の男を捉えた。男の顔がはっきり認識できる距離になった時、寿院はすごく不愉快そうな表情をした。

 通りを歩く男もこちらを認識したのか、方向転換をして、寿院を見ながら歩み寄って来る。

 隆鷗からすれば、ひとの形をした黒い煤を通り抜けながら向かって来る男の姿は異様な光景だった。


 「おいおい、そこにおわすは元不正に陰陽師を騙っていた寿院殿ではないか?それを注意された臆病なお方は今度は呪術師を騙っておられるという恥ずかしい噂を聞いておりますが、そんなところで何をなさっているのかな?」と、男が歩み寄りながら、叫んでいた。

 そして、寿院の前に立ちはだかった。

 「壬生みぶ陰陽師か?」

 「壬生陰陽師かじゃぁないだろう。ここで何をしている?また余計なことに首を突っ込もうとしているだろう。聞いているぞ。ここで大立ち回りがあった日、琵琶法師の娘が巻き込まれて斬り殺されたんだってな。琵琶法師の娘とお主は親しくしていることをわたしは知っているぞ。さては何かするつもりなんだろう?」

 寿院は、黙っている。

 「おやっ、今日はひとりではないのか?誰だ、その子は」と、壬生という男は隆鷗をじっと見つめた。

 「弟だ」

 意外な言葉に隆鷗は驚いた表情で寿院を見た。

 「お主に弟がいたのか?おやおやこれはまた随分きれいな面立ちをしているではないか?」

 えっ?隆鷗は、背筋がぞくぞくとした。

 「まぁ、寿院殿の弟だからな」と、壬生は顔を赤らめる。

 「ところで壬生様、ここで大立ち回りがあった日、白水家の屋敷を占拠していた賊は捕まったのではないのか?なのにあの頑強な警備は何か理由があってのことなのかな?」と、寿院が言う。

 「またまた…。寿院殿には教えられない。お主はいつも危険なことばかりするだろう。賊とか言って、知らない振りをしているが、このわたしが何も知らないと思っているのか?お主が『呪い屋』のあの女子おなごの正体を暴いたことは知っている。これは我々陰陽師の案件だ」

 「陰陽師案件…つまりひとの成す悪行とは限らない案件だということですか?確かにわたしはあの女子おなごが『呪い屋』ではないかと暴きはしたが、たかだか子供ではありませんか。子供ひとりの正体を暴いたからと、そんなにわたしを警戒することではありませんよ」と、寿院が言い返す。

 「寿院殿、子供だと侮ってはいけませんよ。誰も気づかないうちに白水家に潜伏していたのだから。お主はもう関わらない方がいい。もう、呪術師などそんな騙りはおやめなさいな。呪術師の世界は奥が深い。代々続く由緒ある呪術師の家系には本当に奇妙な術を使う家系もある。ある意味、あの世界は我々陰陽師より関わってはいけない世界だ」と、壬生が言う。

 「壬生陰陽師は、今から白水家にお入りになって何かお調べになるのですか?」と、寿院が尋ねる。

 「そうです。だからお主とあまり話していられないのだよ」と、壬生は、少し長めの顎をさすりながら言う。

 「壬生様、決して余計なことは致しませんので、一緒に入らせてくれないでしょうか?」と、ダメ元で寿院が言う。

 「いやいや、有り得ないです」

 「そこを何とか、お願いします」と、ごり押しする寿院。

 「陰陽師様、屋敷の奥の雑木林、あすこを掘り起こしてみませんか?」と、唐突に隆鷗が話しに入ってきた。


 おおおぉぅ、隆鷗が助け船を出した。これはすごい進歩だ。例え断られたとしても、わたしはもうそれだけで満足だ。と、寿院が感動する。


 そこへ、いつの間に近づいてきたのか、もうひとりの陰陽師も話しに割って入ってきた。

 「壬生殿、いいではありませんか?白水家にいったい何回調査に訪れたか、その度に我々陰陽寮はなんの結果も出していない。痺れを切らした近衛様が清盛殿を動かして、お前の言うところの奇妙な術を使う由緒正しい呪術師にも調査をさせたとかなんとか…。しかし、何も分からないままだ。わたしさえ黙っていれば知られることもあるまい…」

 「これは香舎かしゃ殿。またそのような」と、壬生は困った顔をする。

 「面白いではないか。その少年が言う雑木林を掘り起こしてみるのも悪くない。あすこに目をつけた者は誰もいなかったなぁ」と、香舎という陰陽師が言う。「少年、どうしてそう思ったのだ。」


 隆鷗の表情が硬くなった。

 隆鷗はずっと考えていた。屋敷中が黒い靄で覆われている理由を。そんな光景はあまり見たことがなかった。ただ一度だけ同じように黒い、暗鬱あんうつとした靄のようなモノをまとった屋敷を知っていた。

 屋敷の家主にはいつも悪い噂が付き纏っていた。そして、獣が憑いていると噂されていた妻がいた。それを祓いにやってきた者が何故か屋敷に居着いてしまった。その時から暗鬱な黒い靄を纏い始めたのだ。

 黒い暗鬱な靄は、呪いを帯びたモノがいるからに違いない。

 そして、白水家の屋敷の黒い靄はよく見ると、雑木林の方が色濃くなっている。

 「あ、あの…。すみません。ことの詳細を知らないくせに余計なことを言ってしまいました。ただ、あの雑木林が鬱蒼として、恐ろしく思っただけなので、気にしないで下さい」と、隆鷗は恐る恐る答えた。


 子供の戯言たわごとに思えるかも知れない。しかし、何故だろう?わたしには、隆鷗君のそんな言葉がやけに重く感じる。

 寿院は、自信に満ちた顔で宣言する。


 「さて、如何なさいます。子供の戯言と聞き流しますか?誰かが密告するまで、あの屋敷の異変に誰も気づきもしなかったのですよ。しかも、あの『呪い屋』の女子おなごはこの屋敷の姫様に成りすましていたと聞いています。そんなことが出来たとしたら、この屋敷内で起こっていたことは想像を絶します。さて、本物の姫様は今どうしているのですか?もし、あの雑木林から何か出てきたとしたら…?何かが起こって骸など隠さなければならなかったとしたら…?」と、寿院は言ってのけた。

 「何も出なかったら?」と、壬生が言う。

 「そうしましたら、わたしは呪術師を返上し、一切、こういった事案に関わりません。どうです?」

 「いや、その程度で我らは動けないだろう」と、壬生が言う。

 しかし、香舎と名乗る陰陽師は、暫く雑木林を眺めながら思案に暮れていた。

 「楽しそうではないか?ことの詳細を何も知らない子供があの雑木林を見て、恐ろしいと言うのだ。子供には大人にはない不思議な感受性を持っているとよく言うだろう。何か面白いモノが出てくるやもしれんぞ」と、香舎が言う。


 やはり姫様はまだ見つかっていないのか?と、寿院は直感した。

 しかし、この香舎という陰陽師、ふざけた様子もなく、悪びれる様子もない。そうしたことをさらっと言う、掴みどころのない男だ。寿院には、それが逆に曲者くせものに見えた。用心するに越したことはない。


 「また…」と、呆れた壬生が口を噤んだ。

 「さて、参ろうか」と、香舎が隆鷗を見た。


 屋敷の中に入ると、暗鬱とした空気が立ち込めていた。

 それは最初に入口まで出て来た年配の侍女の陰鬱とした表情が主にそんな空気を印象付けていたのかもしれない。

 よく見ると、侍女は、すごく上品な口調で、滑らかな喋り方をする上、隙のない面立ちをしている。お家柄の良さが滲み出ていた。さながら侍女頭といったところだろうか?

 年配の侍女は我らを見るなり、軽くため息をついた。幾度も訪れる陰陽師や呪術師に失望しているため息だ。やっと『呪い屋』が屋敷を去ったというのに、困憊こんぱいした様子が窺える。


 いろいろ話しを聞きたいところだが、陰陽師に頼み込んでここに入れてもらったのだから、出しゃばる訳にもいかない。

 寿院は、周囲を見まわし、『呪い屋』が残したものはないかと注意を払った。


 しかし、四人が通された広間は何も置かれていないただ広いだけの部屋だった。


 「白水家は、雅楽寮ががくりょうの家系で、この広間は雅楽に関係しているのだろう。特に白水家の御当主は、若者の育成にも力を入れていると聞く。ここにつどい、楽器を奏でていたのかも知れないな」と、ぽつりと、香舎が言う。その声が異様に響いた。

 「雅楽寮と言うと、朝廷の行事の音楽に関わりある訳ですね」と、寿院が言う。

 「勿論、そうでしょう。雅楽の監督や管理をなさっている」と、香舎が答える。

 「白水家の噂は耳にしていますよ」と、寿院はさらっと聞いてみた。

 「噂とは…?」と、香舎が尋ねる。

 「勿論、今回の噂です。とんでもない噂です」

 「寿院殿、またまた、あなたのことだからちゃんと調べているのでしょう」と、壬生が言う。

 「勿論、噂の真意は調べましたよ。驚きましたよ。全く出鱈目で」と、寿院は言った。


 白水優雨幻しろうずゆうげんの醜聞は、誰が言ったともなくじわじわと広がっていった。

 宮廷雅楽の楽隊は優雨幻ゆうげんのお気に入りのものばかり集められたと言われている。

 しかし、そればかりでなく、優雨幻の蔵は雅楽蔵と言われ、不正に集められた楽隊の血の結晶と言われていた。

 そんな中でも龍笛りゅうてきの名人、名実ともに家柄、実力、容姿、全て整っていた高倉の若様が、雅楽蔵を充した家柄の低い若者に雅楽隊の龍笛りゅうてきの座を奪われてしまったのだ。

 高倉家は近衛家と親したかったことから、その不正を摂政に告発した。すぐに白水家の蔵が調べられたが、不正の証は出てこなかった。腹を立てた高倉の若様は、腹いせに白水家の姫様に付きまとうようになり遂には乱暴まで働いたのだ。姫様が気を病んだことで、優雨幻は『呪い屋』に依頼して、高倉家の若様を呪い殺してしまったのだ。

 それが噂の内容だった。

 しかし、寿院が調べたところ、まったく事実と異なった噂であることを突き止めていた。

 九堂の若様の時の噂と酷似していた。


 実際、厳格な優雨幻は不正など働くような人物ではなかった。また、高倉家の若様は、龍笛りゅうてきを趣味にしているが、代々朝廷の職についている高倉家の嫡男である。雅楽隊に在籍していた事実はなかった。


 「陰陽寮は何か分かっているのか?」と、寿院は尋ねた。

 「陰陽寮だってそれくらいは調べているさ」

 「陰陽寮は、この案件は『呪い屋』の仕業として調査しているのかい?」

 「『呪い屋』など、流言に過ぎない。陰陽寮は流言に惑わされたりはしないさ。『呪い屋』などとそんな曖昧な言葉、誰が言い始めたかも分からない。流言に惑わされず、何故こんな事件が起こっているのか、誰が、何の目的でやっているのか調べるだけだ」と、壬生が言う。

 「だが、面白いことに…」香舎が口を挟む。「その噂の重要なところは姫様が気を病んだと言うところだな。姫様の所へ祓屋が来てもおかしくない整合性があるんだよ。まぁ、しかし、もっとましな噂を作れなかったものなのかね」

 「まぁ、噂とは醜聞であればある程、広がるのも早いからな」と、寿院は言う。


 やがて、広間に女房と思しき女が現れた。女は、柔らかい物腰で静かに部屋に入って来た。しかし、やはり困憊こんぱいしていた。

 女は、白水家の姫の乳母だと言う。

 「当主様が此度こたびの騒ぎですっかり憔悴なさって、身体を起こすのも時がかかりますゆえ、誠に申し訳ございませんが今しばらくお待ち下さいませ」

 「恐縮いたします。そうしましたら、もし宜しければ事の経緯を最初からお伺いいたしたく、お願いしてもよろしいでしょうか?」と、香舎が言う。

 「はて?」と、乳母は首を傾げる。「陰陽師様でございますか?わたくしの記憶に間違いがなければ此度は三度目のご訪問。一度目も二度目もお話しさせていただいておりますが、陰陽寮には引き継ぎなるものは存在していないのでしょうか?」と、冷たい面持ちで乳母が言う。

 「申し訳ございません。三度のご対応、お疲れとは存じます。幾分かは伺っております。『呪い屋』なるものが初めて白水家を訪れたのは、姫様の狐落としだと聞いてます。姫様に狐が憑いていることを随分悩まれた優雨幻ゆうげん様がお祓いを頼まれたところ、幾昼夜も呪文を唱え続ける祓屋にそのまま居つかれたと…。その祓屋こそ『呪い屋』だったというわけですね」と、香舎が尋ねた。


 隆鷗は、その話しに驚いた。まるで、あの屋敷と同じだ。


 「『呪い屋』だか何だか知りませんが…。姫様は狐などに取り憑かれておりません。厳格な御当主様に幼い頃から和琴わごんを厳しく教えられ、休むいとまもございませんでした。その為に時折心が壊れそうになるのを和らげようと奇声を発しておりました。わたくしには奇声を発したあと、胸のつかえがすっきりしたと、申しておりましたので、そうした不思議な行動が姫様には必要だったとわたくしは信じております。しかし、御当主様には奇行にしか見えなかったようです」と、乳母が訴える。

 「そうですか。それで優雨幻様が狐に憑かれたと思い込まれて、祓屋に依頼されたのですね。それはお気の毒でした。ところで、我ら陰陽師もお調べして、結論は出ているのですが、噂になっている、白水家が呪ったと言う高倉家の若様は本当に面識のない方だったのですか?」と、香舎が丁寧に尋ねていく。

 「ええ、まったく…」と、乳母の声が僅かに淀んだ。「陰陽師様もお調べになったのでしょう?」

 「はい」と、香舎の表情も淀んだ。

 「あのような噂を信じる事自体馬鹿げた話しですよ」と、苛立たしく乳母が言う。

 「あの噂はいつ頃囁かれるようになったのでしょう?祓屋が来た後ですか?それよりも前でしたか?」

 「まったく馬鹿げた質問をなさいますね。あの噂は根も葉もない噂。噂が流れていたことすら存じませんでした」更に乳母が苛立った。

 「そうしましたら、高倉家の若様は白水家とまったく関係なく亡くなったと考えて宜しいのですね?」

 「当たり前です」遂に乳母が怒鳴った。

 「くだらない質問に答えて頂き、ありがとうございます」と、香舎が微笑んで言った。


 高倉家の若様の遺体は往来が激しい通りに野晒しになっていたという。身体には傷一つなく。死因が特定できなかった。まるで本当に呪いにでもあった遺体だったという。

 やはり噂は故意に流されたのだ。目的は何だろう?白水家と、高倉家に繋がりがないのであれば、高倉家の若様を殺害しようと企んだものの仕業か、殺害の動機を誤魔化す為か?或いはその事件を利用して、何かをくらます為か?

 そして『呪い屋』…、というより祓屋は何か目的があって白水家を占拠していたのか?

 寿院はずっと考えていた。しかし、何も図が見えない。


 「後は行方知れずの姫様さえ見つかればいいのだが…。祓屋の仕業に違いないのだが、証拠がない。姫様が見つかれば大方解決が見えるのではないか?」と、壬生が口を出した。

 「貴方、何を仰るの?姫様が行方不明になって、へんな娘が姫様に成りすますのを強要されたことによって、御当主様がどれほど憔悴なさっているか?あの祓屋全員死罪にして、初めて解決するのですよ!」と、乳母が怒鳴る。

 「しかし…。それだけでは死罪にはならないと思います。祓屋が罪を犯すために姫様に成りすましたと言う証がなければ、立証は困難かもしれません。祓屋にただ居座られたとしても、この前、検非違使が捕まえた幾人かは突然、刀を振り翳してきたわけですから、罪人として裁けるかもしれませんが…尤もあの斬り合いで殆ど死んでますけどね。これ以上は、何某らの証が出ない限り、もうこれで終わりだと思います」と、香舎が言う。しかし、一瞬黙り込んだかと思うと、すかさず続けた。「しかし、姫様の亡骸でも出てきたら、話しは別ですが…」


 陰陽寮はこの事案を終わらせようとしているのだろうか?

 この事案は、『呪い屋』の噂が先行して、あまりにも曖昧なことが多い。『呪い屋』つまり祓屋が白水家に居座ったことは確かだが、そのせいで白水家が憔悴していたとしても、その目的が分からない。白水家の資産を盗んだ訳でもないし、白水家の者を手にかけた訳でもない。ただ、姫様のお祓いを行なっていたにすぎず、その途中、姫様が失踪してしまったが、それが祓屋の犯行だと何も立証されていない。今は姫様が逃げたと言えば信じざるを得ない状況に過ぎなかった。


 しかし…。

 安易に祓屋が居座ったと終わらせていい事案でもない。お祓いを行うには多過ぎる人数と、その中には武芸の達人までいた。そして、あの『呪い屋』の娘が何故姫様に成りすましていたのか?明らかにこれから何かをしようとしていたに違いないのだ。それを立証するのは不可能に近い。


 しかし、寿院と、隆鷗は決して諦めてはいなかった。


 香舎が黙ると、突然隆鷗は立ち上がった。

 「どうした?厠か?」と、言うと、寿院は、隆鷗の腕を掴み「それは大変だ」と、慌てて広間を出て行った。

 なんだ…と、壬生もまた、追いかけるように部屋を出て行った。

 「あの二人はわたしにお任せを…」

 「何処へ行くのだ。勝手に屋敷を歩き回るではない」と、乳母が慌てて立ち上がるのを香舎が阻止した。

 「何故、そのように慌てておられる。何か不都合なことでも…」

 「騒がしくしては、御当主様に触ります」と、乳母が言う。

 「そうですか?そうしましたらそろそろ御当主のところへ参りましょうか?御当主のお身体に触らないように簡単にお話しを伺うだけですので。乳母殿が何か時をお稼ぎでなければですが…」

 「そのようなことをしていない。何を仰るのですか?」と、乳母は香舎を睨みつける。

 「でしたら、乳母殿も早く終わらせたいでしょう?」と、香舎が言う。

 「まったく、陰陽寮も訳の分からないあの呪術師も不愉快極まりない」

 乳母が不機嫌に呟いた。

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