第16話 逃げる女を止められない男
「――――」
「――――」
少女の表情は硬いままですが、手を繋いでいる佐倉さんの言葉に頷いたり、口を動かしているところを見ると、それなりに心を許しているのかもしれません。
二人は赤の他人ですが、何も知らない人間がその様子を見れば、年齢の離れた姉妹のように思うことでしょう。
姉妹が手を繋いで外出している姿は、一見すると微笑ましいですが、実際のところを考えると、この状況は恐ろしいものです。
何故なら、保護者でも何でもない見知らぬ人間が、少女を何処かへと連れて行こうとしているからです。
困っている少女に手を差し伸べ、不安を解消させるための行動だったとしても、第三者にしてみれば、どのような理由で少女と共に行動しているのかということを、判断することができません。
ぼくや佐倉さんのように、少女が迷子であるというこの状況を打開したいという考えではなく、親切そうな表情を浮かべながら、危害を加えようと企んでいる人面獣心たる人間が少女に声をかけた場合を考えると、自分のことではないにせよ、身が震える思いです。
ゆえに、ぼくたちがその存在に気が付くまでに、誰も少女に接触しなかったということは、そういう意味では良かったのかもしれません。
尤も、迷子になるような状況が作られないことが、最善なのですが。
一定の距離を保って佐倉さんと少女の後を追いながら、ぼくがそんなことを考えていると、やがて案内所へと到着しました。
無事に目的の場所へと辿り着いたことに安堵しているぼくを余所に、佐倉さんが少女と手を繋いだまま係員に声をかけていたため、どうやら事情を話しているようです。
やがて係員は笑顔を浮かべながら頷くと、少女に向かって声をかけましたが、不安によるものなのか、人見知りによるものなのか、少女は佐倉さんの後ろに隠れました。
そして、眼前の女性に縋るかのように、その服の裾を掴みました。
その様子から、関わった時間が短いとはいえ、少女がどれだけ佐倉さんのことを信頼しているのかが分かります。
当の本人は苦笑を浮かべると、少女と目線を合わせるためにしゃがみ、その頭部に軽く手を置きながら、何かを告げました。
どのような言葉を吐いたのかは不明ですが、少女が首肯を返すと、佐倉さんは困惑したような様子で、ぼくに目を向けてきました。
ぼくは案内所から離れた場所に立っていたために、彼女と少女がどのような会話を交わしたのかは分かりません。
ですが、少女の様子から察するに、保護者が来るまで、佐倉さんに一緒にいてほしいということなのかもしれません。
それほどまでに、迷子になって不安だったところに声をかけてくれた彼女という存在が、頼もしかったのでしょう。
それならば、佐倉さんにはもう少し頑張ってもらう必要があります。
ぼくが真剣な眼差しをしながら自分の両手を繋ぐようにすると、その意図が伝わったのか、彼女は疲れたような顔で、大きく息を吐きました。
しかし、佐倉さんは即座に相手を安心させるような笑みを浮かべると、少女に向かって、案内所に設置されている長椅子を指差しました。
少女が小さく頷いたことを確認すると、二人は手を繋いだまま、長椅子へと移動していきました。
それから佐倉さんは、係員が差し出してきた飲み物を口にしながら、少女と会話を交わし始めました。
少女は俯き加減でしたが、かけられた言葉に反応する様子を見せています。
その姿を見て、ぼくは再び安堵しました。
これで、少女の不安を最小限にすることができたでしょう。
一刻も早く、少女の保護者が来ることを祈りながら、ぼくもまた、近くの長椅子に腰を下ろしました。
***
少女に関する情報が施設内に放送で知らされてから十数分ほどが経った後、一人の男性が慌てた様子で、案内所に駆け込んできました。
膝に手を置いて荒い呼吸を繰り返していることから、一目散にやってきたのでしょう。
その男性は若く、ぼくと同い年のように見えたために、おそらくは少女の兄だと思われます。
それを裏付けるかのように、それまで佐倉さんと普通に会話をしていた少女は、男性の姿を認めた途端、涙を流しながら、相手の身体にしがみつきました。
ようやく不安から解放されたその姿に、見ている此方までも涙を流しそうになってしまいます。
感動の再会に、係員もまた、穏やかな表情を浮かべていました。
しかし――佐倉さんだけは、異なっていました。
彼女は姿を現わした少女の兄に対して、親の仇でも見るかのような、敵意の籠もった目を向けていたのです。
其処に、先ほどまで少女に見せていた柔和な様子は微塵も無く、あまりの変貌ぶりに、まるで異なる人格が姿を現わしたかのように見えました。
ただならぬその雰囲気から、ぼくは佐倉さんと合流してこの場から離れようと考えましたが、どうやら動き出すのが遅かったようです。
彼女は少女の兄に声をかけ、相手が自分に意識を向けたことを確認すると、顔を顰めたまま、口を動かし始めました。
どのような言葉を吐いているのかは不明ですが、当初は妹との再会を喜んでいた兄の表情が、みるみる沈んだものへと変化したところを見ると、あまり良い内容ではないのでしょう。
様子が変化したのは、兄だけではありません。
数秒前まで自分に優しい姿を見せていた人間のあまりの変わりように、少女は明らかに怯えた表情を浮かべていました。
言葉の意味は分からなかったとしても、佐倉さんの表情や口調から、怒りを露わにしているということを理解したのでしょう。
係員もまた、どうすれば良いのか分からないというような、困惑した様子を見せていました。
異様な雰囲気であるということに気が付いたのか、周囲の客は足を止めることはありませんが、揉め事でも起きているのかと、興味深そうに目を向けています。
そのような周囲の様子もお構いなしに、佐倉さんは言葉を続けていますが、このままでは駄目だということは、誰でも分かることです。
ぼくは案内所へと駆け寄ると、怒りを露わにしている彼女を落ち着かせるべく、声をかけました。
ぼくの登場によって、佐倉さんは、少女やその兄の様子、そして周囲から向けられる視線から、自身がどのような行為に及んでいたのかということにようやく気が付いたようで、目を見開きました。
しばらく無言と化しましたが、やがて何かを言おうとしたのか、彼女は口を開いたものの、其処から言葉が出てくることはありませんでした。
そして、佐倉さんは眉を顰めながら瞑目すると、ぼくの肩に手を置きました。
「――悪いけれど、先に帰るわね」
絞り出すようにしてそう告げると、施設の外に続く道を走っていきました。
残されたぼくはどのように行動するべきか分からず、その場に立ち尽くしていました。
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