第15話 迷子を目にする男と女
「わたしのために貴重な休日を奪われたのに、本当にお礼も何も不要なのかしら」
先ほどまでぼくたちがいた飲食店は、複合商業施設の一角に存在していました。
金髪の女子生徒とその手下たちに気付かれないようにその店を出ると、休日ということもあり、身動きができないというほどではありませんが、数え切れないほどの人間の姿を目にすることができます。
佐倉さんの目的は食事だけで、それ以外にこの施設には用事が無いということだったため、ぼくと彼女は並んで歩きながら、施設の外を目指していました。
その道中、隣を歩く佐倉さんから発せられた言葉に対して、ぼくは首を左右に振りました。
「ぼくが好きでやっていることですから、佐倉さんが気にする必要はありません」
これは彼女に対して気を遣っているわけではなく、ぼくの本心でした。
ぼくは、何かしらの見返りを目的として、困っている人間に手を差し伸べているわけではありません。
中には佐倉さんのように、感謝の気持ちとして贈り物を渡そうとする人間も存在していましたが、ぼくは全て断っていました。
何故なら、ぼくが望んでいることは、ぼくの手によって困っている人間が救われることだったからです。
ただ、欲を言えば、後になってそのことを振り返ったとき、
「そういえば、あの人のおかげで助かったなあ」
そのようにして、ぼくのことを思い出してくれるようなことがあれば、なおのこと良かったのです。
それ以上に求めるものは、何もありませんでした。
ぼくの言葉に、彼女は唇を尖らせながら、
「ジロくんはそれで良いのかもしれないけれど、恩恵を受けている身としては――」
其処で、不意に佐倉さんの言葉は止まりました。
何事かと思い意識を転じたところ、彼女は無言のまま、その目をとある人間に向けていました。
複合商業施設の基本的な構造は、中央に広い通路が存在し、その左右に様々な店が所狭しと並んでいるというものです。
店の種類は多様で、目的も無く見て回るだけでも、遊園地に来たかのような面白みがあります。
ただ、施設はあまりにも広いため、夢中になって歩いているうちに、気が付いたときには、相当な疲労が身体を襲っているということも考えられます。
施設側もそのことを理解しているのでしょう、歩き回ったことで疲れた客のために、中央の通路には、休憩用の長椅子が等間隔に設置されています。
佐倉さんが目を向けていたのは、その長椅子に座っている、一人の少女でした。
小学校低学年と思しきその少女は、背中を丸めた状態で太腿に手を当て、目を伏せながら涙を流していました。
年齢的に、一人でこのような場所へ来るとは考えられません。
ですが、周囲に保護者らしき人間が見当たらないことや、泣いている姿から考えるに、おそらくは迷子なのでしょう。
少女が泣いている姿は、他の用事を全て投げ出してまで助けになりたいと思わせるような庇護欲を生じさせました。
しかし、道を行く他の客たちは、少女に目を向けながらも足を止めることはなく、そのまま通り過ぎるばかりで、誰一人として声をかけようとしていません。
ぼくにとってその光景は、異様なものでした。
確かに、昨今は親切心から声をかけようとしても、不審者として通報されてしまうという風潮が蔓延っていますが、明らかに困っている様子の少女を目にしながらも、これほどまでに誰も声をかけようとしないとは、何と不親切なことでしょうか。
今を生きる人間の冷たさに憤慨しながら、ぼくは少女に近付こうと一歩踏み出しましたが、
「ちょっと、待ちなさいな」
佐倉さんは、ぼくの腕を掴むと、その歩みを止めました。
ぼくは彼女に振り返り、何のつもりかと目で訴えると、
「もしかして、あの子に声をかけるつもりなのかしら」
くだんの少女を顎で示しながら、佐倉さんはそのように問うてきました。
それは、犬に対して『あなたは犬ですか』と問うているような、分かりきったものです。
「当然でしょう。何か問題でもあるのですか」
ぼくがそのように訊ねると、彼女は首肯を返しながら、
「あるわよ」
佐倉さんは、ぼくを指差しました。
どういう意味かと首を傾げましたが、即座にその意味に気が付きました。
一刻も早く少女に手を差し伸べようと気が急いていましたが、ぼくの外見は、子どもとは相性が悪かったのです。
どれほどかといえば、ぼくの姿を見た子どもが泣く度に貯金をしていくと、すぐにでもその額が大きなものと化してしまうほどのものでした。
それに加えて、ただでさえ保護者とはぐれて不安なところに、ぼくのような人相の悪い人間が近付けば、さらに心を乱されることでしょう。
その結果、少女が泣き喚くようなことになれば、大きな騒ぎに発展してしまうことも考えられるために、ぼくが近付くべきではないのでしょう。
ですが、迷子を放っておくわけにもいきません。
何か良い方法はないものかと考えようとしたとき、ぼくの目は、隣に立っている一人の女性を捉えました。
男性よりも女性の方が警戒されにくいでしょうし、そもそも、ぼくよりも先に少女の存在に気が付いたことを思えば、気になっていることは間違いありません。
頭を下げて頼んだところで、少女を然るべき場所まで連れて行ってくれるかどうかは不明ですが、困っている少女を救うためならば、ぼくは土下座でも何でも実行する所存です。
そのようなことを考えながら、ぼくは隣に立っている女性を無言で見つめました。
やがて、その意味を察してくれたのか、佐倉さんが自身と少女を交互に指を差したため、ぼくが頷くと、彼女は額に手を当てながら大きく息を吐きました。
「――まあ、ジロくんには世話になっているし、これが恩返しになるのなら、やるしかないわね」
観念したように呟いた佐倉さんに、ぼくは頭を下げました。
「お手数をかけますが、よろしくお願いします」
「ええ、分かったわ。案内所にでも連れて行けば良いのよね」
彼女は迷いの無い足取りで、くだんの少女へと近付いていきました。
ぼくはといえば、少女に声をかけなかったとしても、この姿を目にしたことで怖がらせてしまうことが考えられるために、少し離れた場所へと移動することにしました。
物陰からぼくが見ている中で、佐倉さんは少女の眼前でしゃがむと、相手に声をかけ始めました。
彼女が視線を合わせ、相手を安心させるような微笑を浮かべていたためか、少女の表情には、警戒心のようなものは見られません。
ぼくからは離れた場所にいるために、二人がどのような会話をしているのかは不明ですが、やがて少女は、座っていた長椅子から立ち上がりました。
そして、二人は手を繋ぐと、歩を進め始めました。
少し進んだところで、佐倉さんが振り返り、口元を緩めながら親指を立てたために、ぼくは彼女に向かって頷きました。
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