第4話

「茨(いばら)さん、茨さん」

佐伯の声に、あむかは深い眠りから目を覚ました。

どうやら保健室でぐっすり眠っていたらしい。


「院長さんが迎えにいらしたわよ」

あむかの意識がゆっくりと戻る。


佐伯の後ろに児童養護施設の院長・五十嵐の姿があった。

「こら、あむかちゃん。先生方に迷惑をかけちゃいかんだろう」

五十嵐の猫なで声を聞いた途端、あむかの気持ちは一気に沈んだ。朝早くから施設を抜け出し、報道陣の目をかいくぐって学校に来たのは、少しでもこの男から離れたかったからだ。


「五十嵐先生、迷惑だなんて、そんな……」

「いやいや、甘やかしちゃいかんですよ。この子はまだわかってないんです。勝手に抜け出して、私らがどれだけ心配したことか」

「勝手にじゃありません。ちゃんとメモを残しました」

「それで済むと思ってるところが浅はかだと言うんだよ」

五十嵐の大柄な体から一瞬、怒気が噴き出す。


「むしろ私たちとしては、茨さんが来てくれてありがたいですよ」

佐伯が間に入るように言った。

「茨さんは大変な状況です。私たちで連携して、茨さんを守っていきましょう」

「ええ、それはもちろん……」

五十嵐はまだ何か言いたそうだったが、言葉をのみこんだ。


「茨さん」

佐伯はあむかをまっすぐ見つめる。

「どんな些細なことでも、すぐに私や五十嵐先生に相談してね」


五十嵐が院長を務める「みつ愛ハウス」の児童たちは、全員この小学校に通っている。彼ら、彼女らの口から漏れ伝わる五十嵐評はあまり芳しくない。さっきも保健室の外で待機していると思いきや、ずかずかと入ってきて驚かされた。


茨あむかはおそらく中学を卒業するまでは五十嵐のもとで暮らすことになる。せめて小学校在学中だけでも穏やかに過ごせるようにと佐伯は願っている。

その願いは、一か月後に起こる大事件により打ち砕かれてしまうのだが――。


* * *


小学校の中央玄関前には、五十嵐の乗用車が乗りつけられていた。バンパーの所々に擦り傷がみえている。

車内は段ボールやクーラーボックス、ぬいぐるみ、レジ袋などが散乱しており、助手席以外は物で埋め尽くされていた。


「わたし、後ろに乗ります」

あむかがそう申し出ると、五十嵐は焦った表情を浮かべた。

「いや、後ろは散らかってるし……」

「誰かに写真を撮られたら困るので」

言い返されて、五十嵐は仕方なく後部シートの上の荷物をどかし始めた。


「茨さん、また明日ね」

佐伯が小さく手を振る。明日も学校は臨時休校のはずだ。それを「また明日」とは、あむかが施設を抜け出すのをけしかけているのか、この女は。五十嵐は何か言いたそうにしながらも短く挨拶を返し、車を走らせる。


校門近くにはまだ数人の野次馬がいて、スマートフォンをかざす者もいたが、あむかは身を低くしてやり過ごした。


「あむかちゃん、頼むよ~」

車内に二人きりになると、五十嵐はいきなり猫なで声に戻る。

「ああいうことされると、おじさんが君のことをまったくケアしてないみたいに思われるでしょ。少しは考えてほしいなあ」

あむかは黙ったまま、窓の外の景色に視線を向ける。見慣れない街並みが流れていく。


「道が違うんですけど」

あむかが静かに口を開くと、五十嵐はルームミラーをちらりと見た。

「ん? ああ、お腹すいてると思ってさ。それに疲れてるだろ。横になれるいいところがあるんだよ」

「さっき保健室で十分休みましたから」

冷たい声を出したあむかを、五十嵐はまったく意に介さない。

「なあに。あんな大変なことがあったんだ。そんなかんたんに疲れが取れるわけがないって」


前方にホテルの看板が見えてくる。

「まあ、悪いようにはしないさ。おじさんに任せとけばだいじょぶ、だいじょぶ」

ミラー越しに、小動物を観察するような五十嵐の目が光る。あむかは言った。

「この車、さっきから尾けられてる」

五十嵐がぎょっとした表情になる。

「え? ま、まじで!?」

「マスコミか、ユーチューバーかわからないけど、ずっと同じ車」

「……」


五十嵐はバックミラーを確認するが、それが本当に尾行なのか判断がつかない。あむかが嘘を言っているのかもしれないし、仮に本当だとしても、ここで騒ぎを起こすわけにはいかない。

(まあいい。これからいくらでもチャンスはある)

五十嵐はそうつぶやくように言い、大きく舌打ちをした。

「しょうがねえな、ったく」

車はホテルの入り口を通り過ぎ、みつ愛ハウスへと向かう。


施設の前にも数人の野次馬がいた。何人かが車にデバイスを向けている。

「クソどもが。訴えてやるからな」

五十嵐は仏頂面で毒づくと、車を玄関前に停め、来ていた背広を脱いであむかに放り投げる。

あむかは背広を頭からかぶり、急ぎ足で玄関の中へと飛び込んだ。


部屋に入ると、同室の御堂マミが待っていた。

「お、奇跡の美少女のおでましだ」


(つづく)

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