選択の向こう側 中

 

 休み明け、登校して来なかった勇斗を不審に思った学校から連絡が入り、始めて俺達はそのことを知った。普段は冷静な長兄が、珍しく慌てた声で電話してきたのを覚えている。

 

「心当たりは無いか」

「ねえ。でも、探してみる」

 

 短いやり取りだったが、それで十分だった。

 すでにまともな会社勤めをしていて忙しい長兄より、俺の方が時間の融通が利く。俺はカメラを教えてくれていた先輩に断りを入れ、しばらく勇斗を探してほうぼうを駆け回った。

 長兄が警察に行方不明届けを出し、両親に連絡を入れる頃には当たれる所には当たり終わっていた。

 

 基本的には滅多なことでもない限り電話で済ませる両親が、この時ばかりはすぐに帰って来た。

 

「あらあら、隆ちゃんひどい顔。いっぱい頑張ってくれたのね」

「母さん……。もう一ヶ月になるんだ……」

「ふふ、長〜い冒険の旅にでも出てるのかしら」

 

 母はふわふわとした人だが、寡黙な父に代わって何か重要な決断をするのはいつだって母だった。何の仕事をしているのか聞いたことは無いが、少ない思い出の中の母はいつだって笑顔で、焦っているのを一度も見たことが無い。

 両親が帰って糸が切れるようにしおれた長兄は、今まで通りに振る舞っていてもやはりかなりのストレスを抱えていたんだろう。

 

「ほら、隆ちゃんと……圭ちゃんもね。しばらくは休んで? このままじゃ二人共倒れちゃうわ」

「俺は別に……」

「ダーメ、部屋で寝てなさい。綾ちゃんと奏ちゃんには内緒にしてるのよね?」

「うん……なんて言えば良いか、分からなくて」

「そうよね。うん、私もそれでいいと思うわ」

 

 そう言って俺達の頭をひと撫でした母は、疲れ切った俺達に代わり弟妹達の世話をした。久し振りの両親に喜ぶ二人を、俺はただ無心で眺めることしか出来なかった。

 三日ほどしっかり休んでクリアになった頭で考えた。家出か事故、あるいは何らかの事件に巻き込まれたか。色々な可能性を考えたが、いなくなったタイミング的にも、行動範囲を考えても、どれも可能性が高いとは思えなかった。

 

 両親は三ヶ月程滞在して、いつの間にかあらゆる伝手を頼りに捜索してもらっていたらしい。そのどれもが空振りだと分かると、俺と長兄を集めて言った。

 

「これだけ探して見つからないなら、そう簡単に私達の手が届く所には居ないってことだわ。……だから、二人はもう今まで通りの生活に戻りなさい」

「……諦めるって、ことですか」

「違うわ、待つのよ」

 

 母は終始微笑んでいた。

 長兄は耐えきれないというように顔を歪めたが、俺は気持ちの何処かで納得していた。

 勇斗はすでに、手の届く所にはいない。

 それでも死んだとは思わない。思えない。

 だから俺達はただ、あいつが帰って来た時に大変だったと愚痴をこぼせるくらいには元気でいなくてはならなかった。

 

 俺はまたカメラ片手に飛び回る生活に戻り、長兄は今まで通り仕事とチビの世話を続けた。チビ達も小学生とはいえ、高学年にもなると自分達で出来ることも増える。俺は時折兄貴から来る電話で愚痴を聞きながら、自分の撮りたいものを求めて日本から飛び立った。

 


 そうしてさらに一年と数ヶ月。

 少し頻度が落ち着いてきていた長兄からの久し振りの電話は、声が少し震えていた。

 

「……勇斗から、手紙?」

「ああ。昨日までは無かったはずなのに、朝起きて机の上を見たらあった」

「なんだそりゃ、一体誰が置くっていうんだ。ドアが開くのに気付かなかったのか?」

「本当に誰かが来たなら気付いたはずだ。インターホンどころか防犯カメラにも、何も映っていなかった」

 

 それは聞けば聞くほど奇妙な話だったが、本音を言えばいつ置いたかなんてどうだっていい。 

 

「……それで、本当に勇斗からなのか?」

「ああ。……お前も見れば分かる。次はいつ帰って来る?」

「今すぐ」

 

 俺は電話している間から帰り支度をととのえ、現地の知り合いに声を掛けると、出来るだけ最短のルートを選んで日本に戻った。

 

 日中に着けば、家には誰も居なかった。皆学校と仕事で外に出ている。俺は実家に居た頃からの隠し場所で鍵を見つけると、苦笑して中へ入った。

 手紙は居間ではなく、長兄の机の上に置かれていた。まだ弟妹達には話していないからだろう。二人共、薄々感じているとは思うが、勇斗について一度も聞いてきた事はない。

 

 見慣れた便箋ではなく、フィクションで見るような羊皮紙の紙束が、ご丁寧に一度開いたのを巻き直したのか、麻紐で結ばれている。俺はそれを解きながら裏返し、目を見張った。

 

 ── 生きてます、元気です。  天城勇斗

 

 シンプルな言葉が、折り畳まれた中央にこじんまりと書かれていた。慣れないペンで書いたように少し線がガタガタしているが、その文字の癖は見間違えようがなかった。

 

 俺は安堵の深い溜息を吐き出し、どっかりと椅子に腰を据えると、六枚ある便箋を一枚ずつ開いて読み始めた。

 

 

 日が沈む頃、長兄が帰って来た。俺はコーヒーを淹れていた台所から声を掛ける。

 

「おう、おかえり。綾と奏は?」

「綾斗は友達の家に泊まりだ。奏斗もそれに着いていった」 

「ふうん。でかくなったなぁ」

「お前は……小汚いな」

 

 そう言われてパチリと瞬く。確かに、ここ数日はテントで泊まり込んでいたため、長らくきちんとした風呂に入れていない。そういえば髭を剃るのを忘れていた、と顎をさすれば太い毛根がざりざりとした感触を指に伝える。

 風呂に入りたい、という気持ちを思い出した。長兄にそれを目で訴えると、複雑な表情をされる。本当はすぐにでも手紙について話したかったに違いない。

 ややあって、諦めたように「行ってこい」と自分の部屋着を渡しながら送り出してくれた。

 

 風呂から上がると、すでにテーブルには夕飯兼晩酌の用意が整っていた。

 

「お、それ、良いお酒じゃん」

「ふん、私は給料が良いからな」

「ごちになりまーす」

 

 遠慮なく瓶を開け、惣菜をつまむ俺を長兄が呆れた目で見つめる。

 

「お前……ちゃんと生活出来てるんだろうな?」

「まあまあ」

「相変わらずいい加減だな……」

 

 俺達兄弟は正反対だ。学生時代は教師から月とスッポンと言われたこともある。

 兄は生徒会長も務めた優等生、俺は授業をサボりがちで成績も中の下の不良。すでに卒業していた兄と比べられる事は少なかったが、どちらも知っている人間には似ていないと太鼓判を押された。

 それでもまあ、別に仲が悪いわけではない。

 俺達はしばらく酒と肴をつまみながら、どうでもいい話を続けた。

 

 どちらも程々に酒が入った頃、長兄が飲み切った瓶を軽く左右に揺らしながら言った。

 

「それでお前はあの手紙……どう思う?」

「どうって、そりゃお前……」

 

 俺は少し火照った顔で長兄をまじまじと見る。この兄は、酒は付き合いでしか飲まないと言いながら、べらぼうに強い。まったく顔色が変わっていないが、すでに俺の倍は飲んでいる。

 

「……普通に、すごくね?」

「…………だよな?」

 

 

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