第23話 父からの試練

 その日の朝、館内がただならぬ喧騒に包まれていることを感じた。使用人たちがあわただしく行き来し、調度品を磨き上げ、祝宴の準備を口々に確認し合っている。しばらく砦で防衛戦の指揮を執っていた辺境伯ヴァレリア=グラキエスがついに凱旋するのだと噂が飛び交い、館はまるで蜂の巣をつついたように活気づいていた。


(いよいよ父上が戻るのか……)


 アーテル=グラキエスが脳内で感慨深く呟いた。魔族との戦いが終わり、兵士たちが帰還するとの情報は早々に得ていたが、それが実際に邸内に波及すると、こうも空気が変わるのかと感慨深い。フルームやルブラは大忙しで使用人に指示を飛ばし、フラウスやティグリスも玄関ホールで父を出迎える準備を整えている。


 俺もアーテルの身体を動かしながら、館の一角で様子を見守っていた。居並ぶ騎士たちがずらりと並び、やがて玄関の扉が開け放たれると、気迫に満ちた威風堂々とした男が姿を現す。漆黒の髪と鉄の塊のような体格、そして獣のような鋭い眼光――これこそが辺境伯ヴァレリア=グラキエス。


 ――父さんが帰ってきはったか。


(すごい威圧感だね。魔族と渡り合う当主として、誰もが畏怖するのもわかるよ)


 脳内でアーテルが呟く。実際、ヴァレリアの足取りと視線だけで、周囲の騎士や使用人たちが背筋を伸ばすのがわかる。彼は館内をぐるりと見回し、軽く相槌を打つだけで皆が道を開ける。フルームやルブラも深く一礼し、フラウスやティグリスが続く。こうして当主が帰還するだけで、館がひとつの生き物のように動いていると知り、俺たちは改めて辺境伯家の大きさを実感した。


 翌日には早速、祝宴が催された。大広間には長いテーブルが並べられ、豪奢な料理が並ぶ。着飾った人々の笑いさざめきが響き渡り、今まで戦時下の張り詰めた空気を緩和させるかのような華やぎをもたらす。


 高座に座るヴァレリアは、まず今回の魔族との戦いを簡潔に振り返った。


「今回の侵攻も大規模ではなく、こちらの防衛線を試すようなものだった。連中は厳格な階級社会で、下層階級の雑兵は数こそ多いが力も弱く、撤退も早かった。だが、彼らの上層階級に当たる貴族が本気で攻めてくれば、容易にはいかない。古くから魔族は長く生きるほど強くなると言われている。いつか大きな波が来るやもしれん」


 ヴァレリアはそう語りながら、騎士団や隊長たちの奮戦を讃え、感謝の言葉を贈る。フラウスやティグリスは静かに耳を傾け、周囲から立派な御子息だと敬意を寄せられていた。


(父上が誇らしげに話しているのは、ずっと最前線を支えてきたんだという自負もあるんだろうね)


 ――せやな。俺らにとっては遥か遠い戦場で、砦がどうなっていたかも知らんかった。母上や兄上たちがあれこれ派閥争いしてる間も、父さんはずっと命を懸けて国境を守ってたんや。


 俺はそんな父に対して自然と敬意を感じた。魔族は一筋縄ではいかない。その本格的な攻撃がいつか来るかもしれないというのは、RPG「アストラルオーダー」のPVでも示唆されていた。不気味な存在だが、とりあえず当面の脅威は去ったわけだ。


 祝宴も一息ついたころ、父ヴァレリアがそろそろ話したいことがあるのではないかと水を向ける。すると、第一夫人フルームがゆっくりと口を開いた。


「ヴァレリア様。このたびの勝利は誠に喜ばしいのですけれど、度重なる軍事費で我がグラキエス家の財政は苦境にあります。いつまでも当主ご自身が前線を飛び回るわけにもいきません。そろそろ後継者を立て、次代に引き継ぐ準備を始めてはいかがでしょう?」


 深くうなずく者もいれば、やや戸惑いの表情を見せる者もいる。フルームは促すように続ける。


「フラウスはかねてより学問や領政の研鑽を積んでまいりました。体は弱いですが、その頭脳は誰よりも優れております。財政難を解決し、辺境伯家を新たに導くには、彼が適任かと」


 一方、第二夫人ルブラが待ったをかける。


「魔族の脅威が完全になくなったわけではありませんし、グラキエス家は防衛の要であり続ける必要があります。領民を束ね、戦う意思を持ち続けなければならない。ティグリスこそ指導者として多くの人をまとめる大きな器がありますし、私の実家との連携を使えば財政面も補えるでしょう」


 フルーム派とルブラ派の激突で祝宴が再び緊張に包まれ、ヴァレリアは険しい目で両夫人を見つめる。突き刺さる沈黙。そこへヴァレリアが「アーテル、お前はどう思う?」と、突然に話を振ってきた。


(うわっ、来たか……)


 アーテルは脳内で俺に目配せする。ここで自分のことをどう説明するかが重要だ。父は商会との取引で大金を稼ぎ、辺境伯家の借金を一部返済した功績を知っているらしい。


 俺は前に出て静かに口を開いた。


「父上。私は後継者争いには参加しません。母の実家であるルーナエ家から養子にならないかという話をいただいております。私としては、そちらの道に進みたいと考えています」


 一瞬、場が凍りつく。フルームやルブラ、そしてフラウスやティグリスまでもが驚きの表情を見せる。グラキエス家の三男が、まさか継承権を捨てて貧乏宮廷貴族になることを選ぶとは想像していなかったのだろう。


「ルーナエ家が動いているという噂は聞いていましたが、まさかこんな形になるとは」などと呟く家臣もいる。


 ヴァレリアは鋭い眼差しを浮かべつつ、フルームやルブラの主張を改めて見やり、さらにアーテルにも意見を聞くような態度をとる。しかし、アーテルは財政再建には寄与したが、自分は後継者になる気はないと強調する。フルーム派やルブラ派にとって、アーテルの今後の出方が読めず、状況が混迷しそうだ。


 「ならば、後継者はこの私ヴァレリア=グラキエスとの模擬戦によって決めるとしよう」


 ヴァレリア=グラキエスのその言葉が祝宴の熱気を一気に変えた。フルームとルブラの両夫人たちが互いに主張をぶつけ合い、兄のフラウスとティグリスがそれを受け止める形で微妙な緊張をはらんでいたところに、まさか三男の俺――アーテル=グラキエスまで含めた三人の模擬戦が宣言されるとは、誰も想像していなかったのだろう。大広間に張り詰めた沈黙は大きな衝撃を物語っている。


(父上は本気か……。撲はルーナエ家に行くつもりだっていうのに、まさか後継者候補に入れられるなんて)


 脳内でアーテルが呆れ、俺も苦い思いを噛みしめる。けれど、この家の当主たる父はじっとこちらを見据えていた。筋骨隆々の偉丈夫であるヴァレリアは、魔族との長年の戦いで磨き上げた威圧感をそのままに、雷鳴のような低い声で続ける。


「グラキエス家の当主を継ぐには、言葉だけでは足りぬ。軍事も領政も、総合的に力ある者が相応しい。フルーム、ルブラ、そしてアーテル。お前らも、それぞれ主張があるなら見せよ。フラウスとティグリスがどれほどの指導者になれるか、アーテルが本当に外の道を望むだけの力を持つか、模擬戦で証明してみせい」


 フラウスは病弱な身体を意識してか、唇をきゅっと結びうつむきかけるが、母フルームの視線を背に受けて覚悟を決めたように頷く。ティグリスは曖昧な笑みを浮かべ、胸を借りて戦いたいとばかりに軽く拳を握った。そして俺は複雑な心境のまま深く息を吐く。


「……承知しました、父上。後継者になりたいわけではありませんが、模擬戦とあれば、やるしかありませんね」


 誰かが感嘆の声を漏らした。フルーム派の家臣が「フラウス様とティグリス様の二人ならともかく、なぜアーテル様まで?」と呟き、ルブラ派の騎士が「三男といえど、あの坊ちゃんが最近大金を稼いだと聞くからな。侮れないかも」と警戒を示す。


 親族や家臣がざわざわと動揺し始めるなか、祝宴は急速にその役目を終え、戦いに向けて動き出すのを感じた。


 ***


 祝宴が終わった後、いまだ騒然とした空気が大広間に残っていた。第一夫人フルームと第二夫人ルブラの激突によって、フラウスとティグリス、そしてアーテル――三人が次期後継者としてどれほどの力を持っているのかを示す必要があると宣言されていた。だが、その相手として名乗りを上げたのは、ほかでもない当主ヴァレリア=グラキエスその人だった。


「三人まとめて争わせるのではなく、私がお前たち三人を試す。辺境伯家は口先だけで跡を継げるような場ではない。強さと器量、そして何より守り抜く意志を示せ」


 そう言い放つヴァレリアの眼光は、人々を一瞬で静まらせる威圧感を帯びていた。かつて魔族との戦いを幾度も乗り越え、最前線を支え続けたグラキエス家当主。その重々しい言葉に、長兄フラウスも次兄ティグリスも、そして三男の俺――アーテルすら抗うすべはなく、ただ承諾するしかなかった。


(まさか父上自らが僕たちを相手にするなんて。すごいプレッシャーだ)


 脳内でアーテルが呆れまじりの声をあげる。フラウスやティグリスも内心穏やかでないだろう。だが、グラキエス家の継承者として認めてもらうあるいは自らの進路をはっきり示すためには、当主の試練を回避できない。フルームとルブラも、それを当然と受け止めるように凜と立ち尽くしていた。

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